(届かない)義弟への手紙 9 | 左官日和

左官日和

日々、七転八倒の左官日和。

これで9通目になるね。小学生だった君の娘や息子、私の娘が高校受験や大学受験をするまでに成長している。みんな無事に合格して一安心。君の妻もだいぶ肩の荷が降りたようだよ。報告あったでしょ?

何なんだろうね。学校ってシステムに関して色々言われるし、自分でも思うところがあるけど、でも卒業式に参列したりして成長する姿を目の当たりにすると感動して涙すら溢れてきたよ。もちろんその先の人生において学校っていう形態が最適なのかどうなのか。葛藤は消えないと思うんだけどさ。既存の学校のあり方に強烈に問いかける形で新しい学校を作る人達が出てくるのも理解できる。でもやはり主流にはならなそうだよ。やはり既存の形態の方がまだフィットする社会なんだろうね。同時に既存の学校の中で少しずつ変容、淘汰も進むんだろうけど。

もうさすがに暑いくらいだから雪が降るような寒い日があったなんて毎年のごとく嘘みたいに感じるけれど、そんな日が続いていた頃私の母の兄が君のいる世界へ行った。私もお葬式に行ってきたよ。結構遠いし、うちの母も父も体調が万全じゃないから到底現地にいける状態じゃなくて、自然と弔電と郵送でって話になってたんだけどね。でも、その話を妻としていたらさ、行けるなら行ったらどうなの?ってさ。確かにその日は休みだったから仕事上の迷惑をかける心配もなかったし、行かない理由を見つけるほうが難しかったんだよね。遠くて大変ってぐらいかな。だから母にも言ってみたんだよ。私だけでも行ってみようと思うって。そしたら最初は無理しなくてもと言ってくれてたんだけど、正直なところは嬉しいってさ。やはり妻には感謝しかないよね。

行くことにしたんだよ。10年ぶりなのか何年ぶりなのか思い出せないほどだったよ。新幹線のチケットなんかも自分で取ることのない生活が続いてたから何もかもが新鮮、というか戸惑いの連続だったな。でも今は便利だよ。全部手元の端末、スマホで完結するんだから。そういえば君はスマホは使ってたかな。微妙なところか。

パソコンを立ち上げてネットにつないでとかそんな時間すら要らないし、ましてや駅まで行ってみどりの窓口で時刻表調べてとかそんな必要は当たり前だけどまったく無くてさ。

時刻表といえばその伯父さんの息子が好きだったな。私と同い年の従兄弟。小さい頃は夏場になると母が帰省するのに連れてってもらったときによく遊んだ仲だった。今回久しぶりに会ったんだけどブランクがあったわりにはすぐに分かったよ。コロナ禍以来つづいているマスク姿でもなんとなくね。でも、向こうの人達は私だとはなかなか気づかなかったみたいでさ。伯母さんも叔父さんもみんな。無理もないんだけどね。私が来るなんて思ってもいなかったんだから。私は私でちゃんと挨拶したつもりが伝わってなかった。名前も名乗ったんだけどね。でも年とともに耳が遠くなったりするからさ。激しく反省したよ。私はそんなにも挨拶できない、相手を慮れない大人になっていたのかと。

同い年の従兄弟は普通に高校進学したかったところを伯父さんの意向が強く働いてその希望は叶わなかったんだよね。家業を継ぐ事が決まってたから中学を卒業するとその業界で生き抜くのに適した専門的な物事を学べる学校に行った。専門学校とも違うんだけど、歴史ある大企業の創業者の名を冠した塾といったようなところだよ。君も知っていると思う。既存の学校とは一味違う実践的な場所なんだろうね。彼はとても悲しそうだったし、伯母さんもせめて高校までは普通科で良いんじゃないかとか話し合おうとしてたみたいだったけど伯父さんは頑として聞き入れなかったみたいでね。とにかくこれと決めたらブレない人だった。酒好きの陽気な人であると同時に経済観念とか合理性とかについては確固とした考えも持っていて、それに合致しないことに関しては絶対に受け入れなかったんだよ。でも、それによって一代で自分の家業を築き上げて、従兄弟や甥兄弟の代まで継続させているんだから。従兄弟も後々は伯父さんの判断の正しさに納得いってたんじゃないかと思うよ。明確な目的意識があればそれに向かって道を最適化させることに集中できる。曖昧だと考える、選択するという名目のもとあやふやな道を進むことにもなる。もちろん、本当にそこでの紆余曲折が生きる場合もあるだろうけど。でも、今にして思うのは、成功するためには早く目的をはっきりさせる方が良い気がする。意味なく考えたり逡巡するのは休んでることと変わらない。社会に出る道や近づく道が開けているのにその前段階を無闇に選択すると致命的な遅れになる。結果的にその差は凄まじい事になる。そんな例はたくさんあるよね。もちろん明確に目的意識を持った上でなら満を持した準備期間になって、遅れて社会に出た事が無駄になってないケースもある。色々考えて娘にも適切なアドバイスをしたいところだったけど、私自身がしっかりと結果を出しているとは思えていない限りそんなことをする時間もないし実質も伴ってこない。だから成るようにしかなっていないよ。もちろん娘は自分自身で情報を集めて学校の先生にもお世話になって、進路を決めて、しっかり準備して、目指せる最難関に挑戦して見事に結果を勝ち得たからね。立派だよ。だから私からどうこう言う必要なんてない。最低限のことを見守るのに徹するべきなんだと思う。むしろ、自分のこと、自分がやるべきこと、やりたいことに集中する姿を見せられなければならない。それが出来ていない大人のどんな言葉も意味をなさないだろうから。もう随分前から出ていた答えを反芻しているようだよ。

世界は相変わらず酷い。ウクライナとロシアはまだ戦っている。中東も酷いままだ。そしてそのことを肯定する世界に私達は棲んでいる。君のいる処に毎日毎日悲しい目に遭った人達が向かっているからわかるよね。そんなだからこそ自分のやるべきことややりたいことに集中しなければらならない。それは、今妙に流行ってしまっている“〜ファースト”みたいな“自分ファースト”とは別。己に集中するからこその他者との真摯な対面、それこそ他者を目的として扱うという意味合いになってくる。こうしてみると扱うという表現は傲慢にも響く気がするね。手段として扱うことが常態になってることと対比した表現で見ると気にならなかったけど。

ともあれ来年は節目の10年になるんだね。それまでどんな一年になるのか。期待というよりやっぱり不安だね。もう少し先の未来、娘たちが大人になるころ、どんな世の中になっているのか。どういう世の中にしたいのか。多くの人達が棲む世の中のことだから、もちろん少人数の頭の中で計画出来るものじゃないから、個々に理想は思い描くべきなんだよね。そして実行に移すべきで。その過程で起こる問題こそ課題で、その都度クリアしていく。

では、また来年書くよ。