なんだかこの一年がすごく長かった気がする。
去年は母の兄が亡くなって、2月の寒い時期に葬儀に行った。今年は母の弟さんが永眠された。葬儀は5月だった。そう、去年の葬儀のときに久しぶりに会った人だよ。肺癌だったらしい。
続けて兄弟に先立たれたことで母が精神的に不安定にならないか心配だったんだけど、大丈夫だったみたいだ。もちろん表向きにすぎないかもしれないけれど。会いに行った時にたまたま娘も一緒に行って、久しぶりに孫に出会えて気も紛れていたのかもしれない。また改めて話してみようと思ってるけれど。
君のところの家族とは最近あまり会う機会ががなくてね。子どもたちが大きくなるにつれてなのかな。みんなで会う機会とか少なくなってくよね。
それだけ元気に育ってるってことだから喜んで良いんだろうけどね。
ウクライナでの戦争はまだ続いている。その他の地域でも火種の燻りが大きくなっている。トランプは関税を上げて国内の産業を保護しようと躍起で、見方によってはほとんどそのまま全世紀の大戦の背景をなぞろうとしているかのようだよ。
氏のやり方に賛同は出来ないし、背後からの圧力の影響との関係とかはわからないけれど、日本の政治家とは比べものにならないくらい覚悟を持って仕事をしていると思うよ。
しかし、起こっている事象は惨たらしいままだよ。ニュース映像がどこかしらバイアスのかかったものであるとはいえ、例えばガザで苦しむ大勢の子どもの映像が100パーセントフェイクであるはずがない。
こうした状況においてやはり覚悟をもって臨まなければならない。あまりにも酷いことばかりだけど、やはり数は少ないけれど以前では考えられなかったような生態を見せる人や組織があることもまた事実でさ。大谷とかそういう人はもちろん、もっと身近なところにも。前にも触れたけど、シュワーボ東京というサッカーのクラブチームを率いるレオザフットボール、そして所属する選手達、スタッフの方々。物凄いスピードで成長しているよ。その姿勢に触れていると、自然と自分にも影響が出てくるんだよね。
仕事において、この一年ほど発見の連続があった年も珍しいよ。だから長く感じたのかもしれない。やはり、足らなかったものを一言で表すならば覚悟ということになってしまう。やってるつもりだったというところがまた重症だったよ。自分に矢印を向ける覚悟の連続と維持。50半ばにしてようやくだよ。あまりに遅すぎて情けないと思いつつ、気づけて良かったという安堵感もある。60でも70でもえんえんと死ぬまで気づかないだろう人達もわんさかいるよ。圧倒的に多いのはそういう人達かもしれない。そして世の中は圧倒的多数を守るかのようなポーズの少数の既得権益層で成り立っている。うまくいくわけないんだよね。先の大戦以降続いている世の中の構造の制度疲労、勤続疲労みたいな具合であちらこちらで悲惨な出来事が起きてるんだろうね。そして弱者救済の名の下に怠惰をむさぼる大多数の人間がいる。惜しいよね。民主主義は継続的に平和的に成長するのに機能しているけれど、当然綻びもあって、最も難しいメンテナンスの問題がいよいよ待ったなしに露出してきている。
大なり小なり様々な組織でそういう問題はあった。例えばサッカー日本代表なんかでもそうだった。じょじょに変化しているとはいえ、そのスピードは放っておけばどんどん遅くなっていくところだった。でも、だんだんそんなことでは我慢できない層が露出するようになってきた。テクノロジーの進化もそれを後押しした。シュワーボ東京、レオザフットボールがやっていることはそういう事柄なんだと思う。その凄さはまだまだ認知されておらず、舐めてる人達の方が圧倒的に多いけれど、日々つづけている結果の蓄積が、じわじわと無視できないレベルに浸透しつつあるのを観るのは楽しいよ。君が生きていたら絶対に誘ったな。そして君も間違いなく虜になっていたはず。情熱と合理性。君を表すのにもピッタリの言葉だよ。
経済の分野ではとっくにそうなっていた。資本主義というものの性質がそうなんだから。ひょっとして政治の分野でもそれが起こるのだろうか。起こるかもしれない。起こらざるを得ないけれど、もっと年月が必要なのかもしれない。こればっかりは私が生きている間に拝めるかどうか考えるとちょっと難しそうだよ。まあ、拝む必要もないよね。拝むようにそこに対象としてあって欲しがるような物事じゃなくて、そのとき過ごしている状況そのもののことだから。