モダリティの入り方 | にほんとつながる子どもの記録

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韓国にルーツをもつ夫と日英韓にルーツをもつ子どもたちとの日々の記録

<娘のことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在2歳1ヶ月になる娘は、そんな私たち夫婦の仕事の都合で、生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所で預かってもらっている。

朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしていることになる。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

 

以前モダリティ表現・文法について研究をしているとき、子どもたちはどうやってモダリティを獲得しているのだろうと疑問に思った経験がある。日本語も韓国語もモダリティを表す形態素のくっつき方が似ているが、モダリティ表現を使用する文脈(環境)や頻度にも違いがある。そんなモダリティ表現を上手に使っている子どもたちを見ると、ついついその獲得・習得過程が気になっていたのだった。

 

さて、昨晩娘ができたてのご飯を口に入れる際、「ママ、これは熱いかもしれないと思うけど、食べても大丈夫かな。」と話しかけてきた。いつのまにこんな表現を身につけたのかと驚いた。

「かもしれない」に「と思う」など、上手にくっつけているなぁと感心した。

 

娘の母親となって、初めて知ったこと。それは、子どもたちはやはり「模倣」からモダリティ表現を身につけていくのだろうということだ。私の口癖を子どもは真似る。最初は意味もよくわからないままオウム返ししている表現が、次第にどのような文脈で、どのような環境で身についてくるのかを体験の中で身につけていくようだ。

 

さて、そんなモダリティ表現を含んだ発話を英語母語話者の夫が聞くと、「はっきり言い切ればいいのに、オーバーなくらいモダリティ表現入れて話すよね。」と言う。日本語母語の私には自然な表現に聞こえる発話が、夫には「不自然」に聞こえるというのだ。モダリティを学ぶ文脈、環境要因もしっかり把握しながら、ことばを身につけていってくれているのだと思うと、その吸収力に驚かされる。

 

大人の外国語の習得過程と異なり体全体で、経験の中で身につけていく子どもの言語の習得は、いつも新鮮さと驚きに溢れている。