にほんとつながる子どもの記録

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韓国にルーツをもつ夫と日英韓にルーツをもつ子どもたちとの日々の記録

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<娘たちのことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在3歳5ヶ月になる娘と、生後2ヶ月になる娘と韓国で暮らしている。長女は生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所にて終日預かりをお願いしている状態。朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしている。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

平年にない長い長い梅雨がお盆のあたりに明けたかと思ったら、その2週間後にはあいつぐ台風で、猛暑の夏もほんの一瞬の出来事になりそうな2020年。そんなわけで、セミが鳴いていたと思ったのに、数日前から朝晩は鈴虫の声が聞こえ始めた。

 

長女に「スズムシの声が聞こえるね。リーン、リーンって鳴いてるでしょ。」

と話しかけながら、虫の声の歌を歌ってあげていたところ……

横から"What's Suzumushi and Matsumushi?"と夫。

秋に聞こえるこんな音の虫だよ、と話しながら二人で英語辞書を見ると……

 

夫は「やっぱこれもcricketかぁ」みたいな反応をしながら辞書を引き続け、ある意味衝撃的な結果が。

スズムシもマツムシもコオロギまでみんなcrickets!

 

アジアの虫なので仕方ないけれど、秋の虫声の繊細さを満喫できる長女は恵まれているのかもしれないな、と感じた次第。次女もこの響きを身体で感じられるよう、できたらコロナを避けて外に出てみようと思ったのでした。

<娘たちのことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在3歳5ヶ月になる娘と、生後1ヶ月になる娘と韓国で暮らしている。長女は生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所にて終日預かりをお願いしている状態。朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしている。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

 

最近妙に気になる娘の態度がある。

それは「対話をしている最中に、頭を下げたり目をそらしたりして、相手の顔を見ない」こと。

 

私はいつも目を見て話をしてほしいと思っているので、「○○ちゃん、ママの目を見て話をしてくれる?誰にお話ししてるのか分からないし、ママさびしいよ。」と言うのだが……。

 

ふと気が付いた。韓国では目上の人と話す時に、視線を少しそらしたり、特に怒られている時には頭を下げて目を合わせない慣習がある。

考えてみたら、長女も託児所生活の影響なのか、怒られる時には特に頭がそっぽ向いている。

 

色々な文化が混ざり合って、彼女は生活しているんだな、と思った。でもやっぱり私と話をするときは、きちんと目を見て話してほしーい!と思う母でした。

<娘たちのことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在3歳4ヶ月になる娘と、生後2ヶ月になる娘と韓国で暮らしている。長女は生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所にて終日預かりをお願いしている状態。朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしている。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

夜中の3時に突然大泣きして起きた長女。

私たちは生後1ヶ月目から長女とは別室で眠っているため、この日も長女の部屋に行って様子をうかがうと……耳に虫が入ったとのこと。

耳垢でもたまっているのかしら?それとも怖い夢でもみたかしら?などと思いつつ、「そう、怖かったね。夢の中で虫が耳に入っちゃったの?」と尋ねると、「うん、夢に出てきた。」という。

頭を数回撫でて、私も娘のベッドに横になり、「さあ、もう一度寝てみようか。もう出てこないといいね。」というと静かにまた目を閉じて……。

 

1分くらい経った時に、娘がふと口を開いた。

「ママ、よしよししてくれてありがとうね。」

 

娘にとっては特別じゃないことかもしれないけれど、こういうありがたさをことばで表現してくれたこと、ありがとうと日本語で言ってくれたこと、などなど、私には大きく響いて、夜中に起こされたことなど吹っ飛んでしまった。

 

韓国の人に言われたことがある。

「小さなことでもなんでも『ありがとう』と言ってるけど、ありがとうの安売りするのは良くないよ」と。

 

韓国でももちろんお礼をいうけれど、言わないのが美徳のようなところがある。個人的にはそういう文化も好きだけれど、娘がしょっちゅう「ありがとう」と言ってくれると、私が彼女に対してこんな日本も伝えられているようで、心底嬉しくなる。

海外生活だからこそ、妙に大きく考えてしまうことなのかもしれない。

 

兎にも角にも、娘よ、ありがとうと言ってくれて、ありがとう。

 

 

<娘たちのことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在3歳4ヶ月になる娘と、生後1ヶ月になる娘と韓国で暮らしている。長女は生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所にて終日預かりをお願いしている状態。朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしている。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

先週の土曜日、1月以来初めて近所の公園が開放され、遊べるように。大きな公園ではなく、ブランコとシーソー、そしてジャングルジムがひとつある。そんな公園もこれまで全て閉鎖されていたので娘は大興奮。朝早く出かけて、誰もいない公園でのびのびと遊んできた。

 

そして今週。再び朝早くから公園に行き、しばらく遊んでいると、長女と同じくらいの年齢の女の子が遊びにきた。

女の子は、私と長女が日本語で話をしているのを聞いて、面白そうに韓国語でちょっかいを出してきたり、じーっと聞いていたり。

二人はお互いにチラチラ意識しながら、なんとか意思疎通を図ろうとしているのが見えた。

そのうち、突然その子が英語の歌を歌い出した。何度も何度も同じ英語の歌を歌っている。長女は不思議そうにしていたが、その子が長女のいる場から離れて駆け出すと、なんの抵抗もなく「オンニ!」と言って追いかけていった。

 

私はそのとき考えた。きっとその女の子は、「韓国語ではない外国語を話しているのだ!」と思い、外国語で知っている英語の歌を長女に向けて歌ったのではないか。

そして一方で長女は、「韓国語の母語話者だ」と理解して、とっさに韓国語で合わせて話しかけたのではないか。

 

これが外国語としてことばを学ぶのと、継承語としてことばを学ぶことの違いなのではないだろうか。

私も外国語として韓国語や英語を学んでいる。そのため、韓国語と英語は「外国語」という「母語」とは異なる脳の場所に保存され、意識的に引き出されるという。娘の場合、「母語」として韓国語も日本語も(英語も)存在するため、無意識のうちにとっさに口を突いて出てくるのだと思う。

 

おもしろいなあと思いながら、二人のやりとりを見ていた日曜日だった。

次女が生まれて初めて家族みんなで過ごす週末。

 

長女も張り切って、朝から次女のベッドにかけよっては、ベッドの上に設置してあるモビールに手を伸ばし、音楽をかけてあげたり、私が仮眠を取っている間、夫と二人で哺乳瓶でミルクをあげてくれたり、布で身体を拭いて簡単なお風呂代わりのことをしてあげたりと、お姉さんぶりを大発揮しながら、3歳でできる精一杯のことを一生懸命してくれる。(おかげさまで次女は初日は完全な睡眠不足。二日目はどんな騒音下でも爆睡。早速たくましくなっていきそうな予感。)

 

そんな中、長女の目下の悩みは「オムツと下着」。下着(パンツ)にすると、緊張して常に気になるようで、自分で「わたし、今パンツはいてるのね。」などと話しながらチェックしている。

金曜日に託児所で、そして託児所から家に帰る道でおもらしをしてしまったこともあり、「◯◯は下着でできなかったの」と話すので、「たしかに金曜日は2回できなかったけど、今日は1回できたじゃない!3回できなかったことよりも、1回できたっていうことのほうがもっと大事だと思うよ、ママは。」と話した。

すると、「パパ、パパ!◯◯ね、下着で1回おしっこできたよ。パンツで1回おしっこできたよ!」と大興奮して夫に駆け寄って行った。

わりと慎重派の娘なので、少しずつ、少しずつ、自信をつけていってほしいな、と思う。

 

また、妹ができたことで、ことば(発話)の幅が早速出てきているような気がする場面もちらほら。これまでインプットだけして終わっていたことばが、彼女の中の表現として外に出てくるのかもしれない。

たとえば、「◯◯は床の上に寝るから、ママはベッドに寝てね。」の「床の上」ということばを、彼女が知っているとは気づかなかった。

そして、「(モビール)このボタンを押せば音が出るのね」のように、条件文を上手に使って夫に使い方を確認している。

 

また、わからない単語についても(ものであれば)「ママ、これ、これは……」と指さしながら確認をしたり、(表現であれば)「お腹がいたいの。ご飯が食べたいの。(空いたのと痛いの区別がいまだにあまりついていない)」のように二つの文章を話すことで、自分の意思をより明確に伝えようとしたり、彼女なりの工夫をことばの端々で行なっていることがわかる。

 

次女が我が家にきたことで、これまでインプットして出す必要がなかったタンスの引き出しから、いろいろなことばを出す機会が与えられたのかもしれない。そんなことを思った週末となった。