ささいなことでも | にほんとつながる子どもの記録

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韓国にルーツをもつ夫と日英韓にルーツをもつ子どもたちとの日々の記録

<娘たちのことばについて>

私は、日本で生まれ育った日本語母語話者。

夫は韓国で生まれ、生後すぐに養子としてアメリカへ渡り、英語母語話者。

現在3歳4ヶ月になる娘と、生後2ヶ月になる娘と韓国で暮らしている。長女は生後4ヶ月の頃から韓国現地の託児所にて終日預かりをお願いしている状態。朝9時ごろから夕方6時ごろまで託児所で過ごすため、1日の大半を、そして人生の大半を韓国社会と韓国語の世界の中で暮らしている。家に帰ると母親は日本語で、父親は英語で(娘が2歳を過ぎた頃からあることがきっかけで彼も日本語で)のみ話をしている状態。

 

夜中の3時に突然大泣きして起きた長女。

私たちは生後1ヶ月目から長女とは別室で眠っているため、この日も長女の部屋に行って様子をうかがうと……耳に虫が入ったとのこと。

耳垢でもたまっているのかしら?それとも怖い夢でもみたかしら?などと思いつつ、「そう、怖かったね。夢の中で虫が耳に入っちゃったの?」と尋ねると、「うん、夢に出てきた。」という。

頭を数回撫でて、私も娘のベッドに横になり、「さあ、もう一度寝てみようか。もう出てこないといいね。」というと静かにまた目を閉じて……。

 

1分くらい経った時に、娘がふと口を開いた。

「ママ、よしよししてくれてありがとうね。」

 

娘にとっては特別じゃないことかもしれないけれど、こういうありがたさをことばで表現してくれたこと、ありがとうと日本語で言ってくれたこと、などなど、私には大きく響いて、夜中に起こされたことなど吹っ飛んでしまった。

 

韓国の人に言われたことがある。

「小さなことでもなんでも『ありがとう』と言ってるけど、ありがとうの安売りするのは良くないよ」と。

 

韓国でももちろんお礼をいうけれど、言わないのが美徳のようなところがある。個人的にはそういう文化も好きだけれど、娘がしょっちゅう「ありがとう」と言ってくれると、私が彼女に対してこんな日本も伝えられているようで、心底嬉しくなる。

海外生活だからこそ、妙に大きく考えてしまうことなのかもしれない。

 

兎にも角にも、娘よ、ありがとうと言ってくれて、ありがとう。