おわらの、アツい人たちの中で。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

24日はむろやん、一人で山梨河口湖のセンター(うちのこのはな酵素風呂の本部)へ。一泊。

私は猫たちとお留守番でした。まだ気持ちが耐えられそうになく。


一人で留守番するも、やっぱりうつ状態、パニック発作きそう、自殺しそう。動けなかった。

わななくような恐怖の中、なんとか一晩耐えました。

翌日の夕方に富山駅にむろやん迎えに行って、そのままおわら道場の第二回目講習へ。


夜の時間の講習だったので、富山市民芸術創造センターに着いた時、ちょうどマジックアワー。樹々の美しさに力をいただく。




始まる前に話した男性。おわら道場の理事やっていたけれど、自分から降りたのだそうです。おわらの唄をやっていたけどこの先、声が出るか分からない。三味線に転向して、師範に。

おわらの道、30年。

三味線で言われるのが、「調弦三年」と。私は二胡をやったことがあるのですが、調弦ができなくてギブアップしました。聞こえないので、どれが「ド」の音か、合わせようがなかった。
そうか……聞こえる方でも、調弦に三年。

つい、と目の前を横切られた男性は、宮城から来られている、と。今回遅い時間の講習なので、遠方の方は無理だろうなと思っていた。

なんの、車で下の道を走って来られるのだと。富山でのたった二時間の講習のために。講習終わるのは夜の9時。それからまっすぐ、また宮城まで帰られる。消防士なのだそうです。

今日は男踊りやる「女性」は私だけ。前回に比べて狭めの部屋なので、(でもわの舞の講習に使った部屋と同じ広さ)ぎっしり升目になって踊る。

男性陣の一員として、黒の格好。黒シャツ、黒い股引、黒足袋、黒の鼻緒の草履。ダンッ、ザッ、と動く。その心地いいこと。

細かい動き一つにかなりの時間かけて直される。一つのアクションに、何度も何度も手直し入る。

ずっと私一人をチェックしておられたり、私たち初心者三人を二人の先生で教えてくださったり。

途中、初心者隅っこで教えてくださってて、休憩になったので、ちょっとでも踊りたい私、「じゃあ向こうで踊ってきます」と先輩達が踊っている方に向かいかけると、先生「待て待て待て待て。」また初心者向けのレッスンを続けられました。

我流のクセがついたまま踊る時間を減らす。

元々のおわらの踊りは八尾の11ある町それぞれに違うのですが、おわら道場のおわらの踊り、というのがまた別にあるそう。違った踊りのクセがついてしまわないよう、最初の段階から気をつけてくださっているのです。

緩急のつけ方、高さ、角度。ためるところ。タイミング。細やかに手直し入ります。

休みなし、メモ取る暇もない、教わることいっぱい。

おろしたての草履が踊っている時にたまに脱げてしまいます、と相談したら、それは鼻緒を足指できゅっとつまんでいないからだ、と。教えてくださる先生方、草履の鼻緒の両横だけすり減ってたり、足の親指と人差し指での、つまむ力が強かったり。鼻緒をつまんで立つからグラグラしないのだ、と。

そうだ、仕舞でもそう教わった。本来の日本人の体の使い方だと。でもあの時は白足袋で舞った。こちらはさらに草履をはいて踊るから、もろに出ます。足指使ってないと。

動きへの細やかな心遣いは、さすがに最も洗練された盆踊り、と言われるだけあります。

群舞をすれば一人浮き立ってしまう私。そうでなくても浮いてしまう私。大丈夫かなぁ。

編み笠かぶるの、聞こえない身には不安要素ですが、今はかぶれるのが少し嬉しくもあります。かぶってしまえば、顔が隠れるので男になりきれる。無名の一人、になってしまえる。顔の表情すら見えぬようにして踊るおわら。

講習途中で、杖をついたかなりのご老人が会場に入ってこられました。男性がゆっくり歩を合わせて導きます。

ナウシカに出てくる大婆様みたい。古老。椅子に座ってご見学。男踊りの、重鎮らしい。

派手さはなく、ただ居られる。
その眼差しの、柔らかいこと。

ご自分が踊れなくなっても、踊る者たちを見に来られている。それだけ、このお方はおわらが好きで。見守る、愛。

宮城から来られる方といい、理事でありながら自ら降りて転向される三味線の方といい、ここにおられる方は皆さん、私に負けず劣らずの情熱をお持ちです。

その情熱の人たちの中で、男踊り集中の二時間。気持ちがかなり、楽になりました。これで1000円。

来月4月14、15の土日に、早速富山の朝日町のイベントで本番を迎えます。

流しだから初心者でも大丈夫って会長が。編み笠かぶって、腹掛と法被来て。こんな感じ。   



画像はちょっとそこまでさんからお借りしました。

これは元花街の鏡町なので、こういう左の手首。華やかです。

八尾の人たちは、お腹の中にいる時から聞いて育つから産まれる時は踊りながら、そうでなければ「おぎゃあ!」でなくて「おわらー!」と泣きながら生まれてくるそうです。

保育園の頃から踊っているそう。だから20代でもう熟練の踊りです。

横に長い八尾の町の端と端では踊りがかなりかっこいいらしい。ダイナミックでクセが強い。西新町と天満町。あたかも日本列島の端と端、東北北海道と、九州沖縄みたいに。

もとは岐阜の郡上踊りから始まった私の踊り歴ですが、おわらも美濃から伝わってきたと。それが磨きあげられて、今のおわら。

おわら道場が風の盆の時に使わせていただくのが聞名寺ですが、そのお寺がおわら踊りの発祥で、美濃から伝わってきたのだそうです。私の母方、美濃のお寺。何だか、また繋がってきた。


わの舞がしっかり体に染み込んでしまっているので、他の踊りをするというのはかなり抵抗があります。心と体に別の針金を無理やり入れるみたい。心身ズタズタになる。

でも、今は仕方ない。でないと、怖い。爆発しそう……。

盆踊り、踊り、というのは、集団をつなぐ、コントロールするツールでもあるのだな、と。

村などをまとめるのに一つの踊りがあると、集団はその踊りを踊ることで一体感と喜びを感じる。楽しい、解放感を感じる、までならいいけどそれともう1つ、脳と体もコントロール下に置かれる。

体の先端まで張り巡らせたワイヤーで、あやつり人形のごとく、日常生活でもその動きを意識する。
しかも頭と体ごと支配されてるゆえ、集団から逃げることが難しい……。集団統制のツールなんだ。

盆踊りの、そんな一面を見ました。


ともかく、おわらは生の三味線の音と、唄で踊れる。同じく、芸事に熱意のある方たちと。歴史の厚みと。

それと、連脈と私の中に流れる血と。

それを、今は頼みに。




六つ昔幼な心に受け入れし無限の無声(こえ)を今もなお聞く

山田宗睦


「無限の無声」とは何か。おそらく人類が誕生する以前、あるいは人類が言葉を獲得する以前から宇宙を満たしていた永遠の沈黙。

(読売新聞より)


神の御手大きく開く初日かな
(三鷹市)二瀬佐恵子