ありのままの自分を愛せれば。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
身辺雑記。

富山の雪はほぼ消えて、イヌフグリが咲きました。



土筆も。



とても、眠くてたまらない。
春だから、というだけではなく。
魂の休憩。
それとともに、明け方にも予期パニックが起こる。
自殺してもいいくらいの状況ですが、自殺したい程の苦しみからのみ、魂は否応なしに成長します。

昨日、コンビニ漫画で太宰治の「斜陽」と「人間失格」を読みました。
今の辛い自分だから、水のように沁みこんでくる。

自分の人生もさらっと押さえてみようか、と振り返ってみると、愕然としました。

「恋愛」をしたことがない仕事人間で、今世では「恋愛」は卒業しているのか、と諦める程だったのに、意外に類似のシチュエーションが多い。

恋愛でなくて、ひどいことをしてしまった人がなんと多いことか。申し訳ないことをしてしまった。

どうも、自分は「回避依存症」だったようです。

辿ると、
発達障害気味の両親
妹も先天性聾で、家族全員お互いにコミュニケーションの取れていない機能不全家族
母親の愛なし
アダルトチルドレン
共依存
回避依存症
……。


母親からの愛情はなく、おっぱいも飲んでなくて(心が拒否して、飲むと高熱を出してしまう)、
父親の愚痴を聞かされて、自分が家の長として小さい頃から立ち回っていました。自分が父親代わりの男性であった。女性性も育まれず、幼いままで止まってしまう。

自分が男性であるから、他の男性を異性として受け入れられなくて、同士のように思う。今のむろやんだっても、夫婦というより、男同士でルームシェアして暮らしている感じです。

自分という海の中の探求。

アダルトチルドレンは、母親の無条件の愛を知らずに育っている。一体感を知らない。

地球という分離意識の強い波動の低い星で、さらに強烈な分離要素。

そして、小さい頃から意識はもう目覚めていて、周りとの違いに苦しんでいた。

その上に、「障害の中でも『孤独』の障害」と言われる聴覚障害。しかも人に理解されやすい完全失聴ではなく、中途失聴、難聴。

一歳も違わない妹との母親の愛情格差。

郡上踊りの輪で、小学生の僕が涙するのも無理はない。

嫁ぎ先も、関西とは真逆の「閉鎖的・排他的」な富山の、さらに外れ。隔絶される程に積もる雪。

結婚した相手が、アスペルガー。……、と、もうこれ以上はないほどの分離感です。

そして、最近。
(団体の批判はしておりませんので、何か感じられる方は直接僕にメッセージなり、コメントなりを入れてください。)

孤独、ここに極まれり。

なぜ、この母親なのか。自分で親を選んで生まれてきたというけれど、今まで意味が分からなかった。反面教師にするためか?と思っていましたが、やっと分かった。

この思いっきり精神的に孤独な人生を歩むためだった。愛を知るための。

一番難しいステージ。

今この世に生きている人のほとんどが、アダルトチルドレンと言わずとも誰かの愛が欲しいために動いている。そのために社会にひずみが起きている。

もし僕が、自分で今の自分のことをそのままに愛せるようになれば、それは人類が自立する一歩ではないだろうか。

だから、自分の中に、男も女もある。

かんぜんなるひとよ。

きれいに、着地した。全部が伏線として繋がります。


昔、2002年、伊丹のアイホールで上演した20分のソロ作品がある。「きざはし」という。無音の作品です。聞こえない僕は、音は使わない。照明を使う。シンプルな男の服装でやりました。

フラットにしたステージに大きな階段。階段の下に倒れている状態から徐々に起き上がり、階段を斜めにゆっくりとあゆんでいきます。

包む照明は少しずつ明るくなっていく。それも、太陽光から神聖さを帯びた光に変化していく。

最上段で逆光になって自分のシルエットのみになり、ぱっと舞台は暗転。自分は姿を消す(階段の向こうに落ちます。マット敷いてある)。後の野村萬斎の作品のラストが、これと似ています。

自分で作った作品ですが、今の自分の心に響く。

これはいろんな風に読み取れるけど、今なら地球での魂修行の階段、と読み解ける。

こうやって、一つ、一つ。一世、一世。最後は光に包まれて姿を消す。自殺でなくて、次の次元のステージへ消える。スピリチュアルをまだ知らなかった時なのに、よく作ったなぁ。



蕗の薹も出た。


車道の脇を、作務衣姿の老いた尼さんが一人、歩んでいます。ここから8キロ先の、うちの近くにある尼寺の方。

僕は車を運転していて、乗せた方がいいのか思い悩みつつ、追い越した。

途中コンビニで用事を済ませて出てくると、その尼さんがまた目の前を歩んで行く。

僕が用事をしている間に、徒歩でここまで進んでこられた。

車の欠かせないこの田舎で、歩いて買い出しに行かれる尼さん。

この、今の世で。
遅々としつつも、この世で一番、確かなもの。

気高い、尊いとは、このことを言うのではないだろうか。



僕は、大丈夫。先のことは分からないけど、顔がだんだん元に戻ってきた。髪は男のショートで落ち着いたけど、前よりもっと違う、何かが宿った。

このお正月に、皇祖皇太神宮で出逢った若い男性みたいな、静かな顔に。

僕は、大丈夫だ。これからも。生きていけそうだ。


そうだな、「自分が」と僕は言っているけど、これはイコール、人類だ、宇宙だ。

僕の歩みは、延々と軌道を辿る。よその星の人の時もあったし、地球ができてしばらくしてから来たかもしれない。

鉱物だった時も、魚だった時もあるし、縄文時代も生きたし、よその国の男性や、近代の女性だったこともあるし、ただ宇宙空間に光としていた時も覚えている。

地球文明自体が、教科書にはないけど、何度も何度も、できては滅びている。

そして、パラレルワールド。

何だか分身の術も使えるようになってるし、瞬間移動もできそうだ。

歩みは続いていく。


たとえ100万人が
あなたを笑っても
私は笑いません

私はあなたが
頑張っている姿を
見ていましたので

「ワニ男爵」第20話 岡田卓也