胎児に酸素を送るために。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
身辺雑記。

富山も、桜が満開になりました。観測史上最速の満開で、3月中に咲くのも初めて。


立山に近い家の周りはまだですが、富山市中心部はお花見の人たちが。
豪雪だったこの冬、桜は一段と透明。

鬱状態が続いたからか、おわらの男踊りの衣装が黒だからか、モノトーンの冬の季節の反動か。急に色が脳に飛び込んできました。

D&DEPARTMENT TOYAMAの壁絵。画家のはっとりさちえさんによるもの。色の取り合わせが心に楽しい。



絵の上の線は立山連峰の稜線なのだそうです。服の柄は、富山にちなんだもの。鱒寿司とか。これはおわらの女性ですね。


青が多いのは、富山の海、雪、水の色。

隣の県民会館の2階の書道展を見るつもりが、つい引き寄せられるように熊谷喜美子さんの彫刻展の方に入りました。そこで思いがけず素晴らしいものと遭遇。

熊谷さんの録画ノート。
(写真撮影許可を得て撮りました。)


きれいな色、細やかな描写で、見ているだけで熊谷さんの世界観をトレースするようです。





このエッシャーの滝の絵。
小四の図工の時間、課題が人より早くできてしまって時間もて余す私に、先生が模写をするように言ってくださったもの。


ペンローズはこのエッシャーの絵にヒントを得て、宇宙が終わると次の宇宙が始まる。始まりと終わりが繋がる宇宙、それはエッシャーの滝のようで……と。

ハッブル望遠鏡から見える宇宙は、130億年前の宇宙の姿だとか、

子宮の中の胎児に酸素がいくのは、血管壁がわざと狭くなっていて、窮屈なところを通ることでこすり合わせて酸素を作っているのだとか、

胎児には指の間に水かきがあるけど、その細胞は死ぬために存在するのだとか。

渦のことなども。

日展の審査員やら協会の理事などされる方なのですが、問わず語りに、自宅介護の傍ら、起きていなければいけない夜、テレビを見ながら作られたノートと知りました。

他にシリウスの移動時間の記録なども。

小一からずっと学生時代、授業が全然聞き取れないままだった私には、クラスの優秀な人にノートを見せてもらったような喜び。

こんな素敵な宇宙に、私たちは生きているんだよ、というメッセージのようでもある。

もう少し溜まったら、録画ノート展をやるそうです。



Twitterで読んでいた「おじさまと猫」の漫画も買いました。渋いおじさまと猫、という好物2つの組み合わせ。

その中で、あるセリフのところで涙が出た。ずっと泣けないでいたけど、やっと。

猫のふくまるのモノローグです。ふくまるは、「不細工」ということでペットショップで成猫になるまで売れ残っていた猫。

おじさまが、亡くなった奥様の遺影に向かって語りかけている。ふくまるには人の姿は見えないけど……。

だって こんにゃに優しい目と声は 
誰かに向けにゃいと 出てこないものにゃ
ふくまるは ずっと 見てきたにゃ
いっぱい いっぱい 見てきたにゃ
数えきれないくらい見てきたにゃ
ただ見てほしかったにゃ

今は、おじさまがたくさん愛情いっぱいに見てくれる。

狭いショーケースの中で哀しみ、寂しさを存分に味わってきたために、有り難さをよく感じる子になりました(あくまでも漫画の中での設定ね。ケースの中でこんなになるまで生かされないし、精神に支障きたす子も多いです)。

私も、幼い頃からよく鏡の前で笑顔作って自分に笑いかけていました。今思うに、一日誰も私を見ることも、笑顔を向けることもないので。無意識に鏡で自分に向けられる目、笑顔を見て心を落ち着かせていたのだと思います。目と目のコンタクト。笑顔。多分、成長期の脳と心に必要なことだった。

生存本能が働いたのでしょうね。




大好きなコブシの花も咲いてて、これはマグノリアっぽい。


先ほど書いた、子宮の胎児に酸素を送るためには、血管が狭くあらねばならないこと。

ふくまるが愛情を目一杯感じとるのは、一年、ケージに閉じ込められていたからこそ。

熊谷さんのノートも、介護の夜から生まれました。

そして、私も。


ほぼ毎日、桜を見に行っています。気持ちが、せっかく来た春に取り残されそう。でも、一年で一番好きな季節なのです。

宇宙との約束を確認する季節。蘇りの。

だから、精一杯氣を取り込みます。今の桜の空間と、同期させます。



富山城の辺りで馬に乗れるので、久しぶりに乗ってみました。自転車や車とやっぱり違う。生き物に乗るのは。心を通わせながら、一緒に歩く。



昔、乗馬クラブでサラブレッドの乗り方を教わったのと、あと、モンゴルで現地の男性たちと馬に乗って草原を走ったことがあります。

日本から同行していた記者さんが、最終日ウランバートルの空港で手続きをしている日に焼けた私を見て、あなたはモンゴルにいるのが一番あなたらしい、と。私も前世の一つがモンゴルなんだろうなぁと、ものすごくくつろいだ気分で丘に仰向けで寝て、ニガヨモギの薫りをかいでいました。

いろいろと、思い出します。
世界は、まだまだ広い。


サンシュユの花。

今の時期、女性性を開かなくてはいけないはずなのに、おわらの男踊りで日々、男性化していってる。はたしてこれでいいんだろうかと思っていましたが、夕方、近所のおばさんが庭の椿を持っていきなさい、とハサミをくださいました。

椿をいく枝か。他に枝ものとしてこれもどうぞ、と採らせていただいて。

腕一杯になったので一旦自宅に取って返し、お菓子を少しも持ってパタパタと戻る。小走りしながら、ああ、これは女性性よなぁ、と。こういう出来事が起こるの。展開。私の中の女性性に起因する。

男っぽいけど、女性性も持ち合わせているよなぁ、と。




今日は満月。ブルームーン。