わの舞かまちゃん合宿。前日に、千賀先生と舞う。
富山空港から羽田まで1時間弱、羽田から八丈島1時間弱。
お昼過ぎに出発して夕方前には八丈島に。
10年ぶりに飛行機です。
ピンクのパーカを着てるのがお見送りのむろやん。
下に見えるのは呉羽丘陵。
なにしろ久しぶりの飛行機だったもので、
しばらく似たような写真におつきあいください。
乗り換えの羽田空港待合室にて発見。
![そらの](https://stat.ameba.jp/user_images/20150420/15/suiren-amane/54/f3/j/o0800106713281719269.jpg?caw=800)
そして見えてきた八丈島は、
思ったより大きかった。
![地図](https://stat.ameba.jp/user_images/20150420/15/suiren-amane/10/05/j/o0800106713281724646.jpg?caw=800)
合宿の前後はずっと雨でした。
今も八丈島に春の嵐がきている頃でしょう。
「ちょうど」、晴天に恵まれる。
舞いました。
朝日に向かって。海岸で。
夕陽に向かって海岸で。
八丈富士に向かって。
八丈小島に向かって。
シロツメグサの花冠をかぶって草原で。
島にある2つの山にはさまれて。
島の中心で。
温泉の中でも。部屋でも。お店でも。
大地とはだしでつながる。
それだけでいい。へんなものはなにもいらない。
大地、自然の中で。
人として。
昔の人たちの体の使い方をもう一度思い出して。
「大地と断絶していると
人とも断絶してしまう」
八丈島は昔、「女護ヶ島」と呼ばれていたそうです。
ちょうど八丈島に来る前に友人と話していて
「恩納村むら」を「おんなむら」とうっかり言い間違えて笑ったのだけど、
シンクロ。
そして、ホテルで後から到着する人たちのために
スリッパ並べて待ってたのだけど、
青ヶ島というのがあってそこは「男島」。
流刑の人が来る前の話。
徐福に連れて来られた女の子500人
男の子500人が分かれて住んだ、とも。
年に一度、南風が吹く時に渡ってくる
男たちのために、
女達は赤い草履を海辺に並べて待ったという・・・。
ちょーまった、まった!ええ~~・・・・
他にもおっ??と思うこと多く。
翡翠葛。
不思議なあお。
天の舞を踊っているような。
参加者の一人と話してて、
わの舞は踊りによる合唱だ、と改めて思った。
聞こえないから歌の合唱は厳しいけど、
踊りなら目に見える!
それも、わの舞は
きちっと「音程」を合わせる必要はなく、
精神を合わせる。
「こうしなければいけない」の結果の「調和」ではなく、
個々の違いをゆるやかに受け入れた上での「和」。
そして、そのためには「楽器」である自分を
愛すること。
自分の担当の楽器をそうするように、
日々、体をいたわり、いとおしんで
手入れし磨き、メンテナンスをし、
思えばすっと音が出るようにチューニングをしておく。
日頃から感謝、謙虚の気持ちで姿勢を正して過ごす思いや体が
踊りにはあらわれる。
体にも。
髪。
小さい頃から忌み嫌ってほったらかしで、
ブラシも通さず、工作ばさみでじゃきじゃき適当に切る。
髪を素直におろせるように、なりたい。