すいらんぶろぐ -26ページ目

すいらんぶろぐ

群馬県/フランス美大留学/芸大受験・美大受験予備校/カルチャースクール/介護保険認定アートデイサービス/企画画廊/学校教材/画材/総合デザイン研究所/他

Vol.4の続きです。

 

パリ・リヨン駅で特急電車に乗って、

何とか座席が見つかって、

重いスーツケースを置く場所が分かってそこに置いたものの

座席からこんなにも離れた場所にスーツケースを置いて

”もしもなくなったらどうするんだ~” 

という心配もあってソワソワ・・・

 

”でも皆なここに置いてるんだから大丈夫だろう”

と自分に言い聞かせながら

それでもしばらくはちらちら、

自分のデカイスーツケースを確認していたのを

覚えています。


すいらんぶろぐ

 

そしてしばらくは、外の景色を見ていました。

パリを出発してしばらくすると、

あっという間に田舎の景色になって

そこには、テレビでしか見たことのない

美しい自然の風景が広がっていて

日本のように山があったり、

起伏があまりない平坦な土地に

たまに家がポツリとあったり、

牧草を食べる見たことのない真っ白な牛がいたりで、

不思議な気分だったような気がします。

 

まあ、朝も松田氏とバタバタアパートを出て、

朝ごはんも食べずに出てきたので

お腹も空いていたのでボ~ っと・・・。

 

しばらくすると、日本と同じように車内販売が始まって

フランス人のお姉さんが飲み物やお菓子や、

サンドイッチを売りに来たんだけど

お腹が空いてるし、

とにかく朝から殆ど水分をとっていないので

のどが渇いて乾いて・・・。

 

そんなタイミングで車内販売のお姉さんが

自分が乗っている車両に入ってきたので

”ラッキー!” なんだけど、

フランス語でお願いしなくてはならないので

”フランス語でなんて言って頼むんだろう・・・” 

と ドキドキ

 

すかさず、フランス語の本をバックから取り出して

状況別フランス語、みたいなところにあった熟語で見て

高速回転で頭の中で繰り返し言ってみました。

 

あのお姉さん、後ろの2列目の奥の人に

何やらサービスをしているから

”もう少しでこっちに来るな~・・・”

なんて思いながら。

 

頭の中では、持ってきた本の中に「何かを頼む時の会話文」

みたいなページがあって例文が

”エクスキューゼ モア・・・” 

 

でも車内販売で売っているものは何なのかが分からなくて

ちらちらと売られているものを見ても

それがなんだか分からなくて・・・。

もし無いものを頼んで、それが無いことを言われても

こっちは何を言われているか分からないから聞き返せないので

とにかくあるものが何なのかを必死で確認・・・。

 

分かるのは細長いサンドイッチとオレンジジュース。

サンドイッチは”サンドイッチで”同じ 

オレンジジュースは” ジュ ドロンジュ ”

 

Rの発音が出来ない・・・・。

テンパル テンパル・・・。

 

フランス語のRの発音は喉を鳴らしながら

ラ行を濁音にするので

最初は日本人はなかなか出来ないんです。

 

そうこうしているうちに、

”よし、お姉さん来た~!!” 

と心の中でガッツポーズ

 

とにかく ”のど乾いた~~~~”

と思っていたら、

自分より前の席に座ってたフランス人のおっさんが

お姉さんを勢いよく呼んだ(みたい・・・)ので、

お姉さんも僕を通り越して

いきなりそっちへ行ってしまったんです。

 

”うっそ~・・・”

俺だってオレンジジュース飲みたいのに・・・

 

空腹とのどの渇きで、もう大変・・・。

結局、お姉さんは30分後に戻ってきて、

その時はすでに最初にあったサンドイッチはなくて、

わずか残っているのはオレンジジュースのみ・・・

 

やっとの思いで 

”エクスキューゼモア、ジュ ドロンジウ シルヴプレ”

 

”やった~通じた!”

でも買ったオレンジジュースが果汁100%で、

それはそれは濃厚。

 

一時ののどの渇きはいやされたものの、

オレンジジュースの甘さと濃厚さで

さらにのどが乾いたのを覚えています。


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なんとも前途多難なフランス留学への

フランス2日目朝の出来事です。

 

つづく

Vol3の続きVol.4です。

 

すいらんぶろぐ

 

当時のパリミキの松田さん、想像していたより

日本人ばなれした風貌でした。

なかなかイケメンな人なんですが、ちょっと怒った感じで・・・。

 

まあでもまったく余裕がたぶん感じられなかった僕に

”まあいいや、取りあえずこっちへ来なさい” って感じで

店の奥に呼ばれて

”あ~前にそんな連絡があったあった・・・” と

”でもいつ来るのか分からなかったから・・・” 

みたいなことを言われて僕は呆然。

”なんか聞いていた話と違う・・・”と勝手に心の中で。

 

更にそこでフランがないことを伝えると、

日本円をフランに替えてもらって

”今日はどこに泊るの?”と聞かれて 

”いえ、決まっていません”

”泊るところも決めてないの・・・”と松田さんは絶句状態。

 

結局、じゃあ今日は泊めてあげるから、店が終わるまでこの辺で待ってて 

ということになり、店が終わるまでとは ”まいったな~~”って感じで

確かまだ午後2時くらいだったような・・・

 

閉店後、僕を連れて宿泊先のアパルトマンへ・・・。

 

まあ、僕が松田さんの立場だったら 

”ふざけるな小僧!”

って感じだっただろうと思います。

 


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着いた先は、店のすぐ近くにある

古~い感じのエレベーターがついているアパート。

 

当時はとにかく いろいろなことが分からないので

エレベーターは日本から比べると恐ろしく古い蛇腹の中が見える感じ、

(クラシックな昔の映画で出てくるようなエレベーター)

アパルトモンも古めかしくて・・・・と思っていたけど

今分かることは、そのアパルトモン、

相当家賃の高い、古い建物の高級アパルトモンだったんだろうと思います。

知らないというのは、本当に怖いものです。

 

そしてそのアパルトモンは、パリミキの社長さんが

パリに来た時に使う場所で

普段は松田さんが管理しているとのことでしたが・・・。

 

夕飯も作ってもらったのだけど、

フランス人や

フランス社会で長期生活している日本人などが一般的に食べる

普通のフランスの夕食だったと思うのですが、

とにかく、グリーンサラダとパンと何か??? 

ということしか覚えていない・・・。

 

でも大きなサラダボールいっぱいの

グリーンサラダが不思議で

他にはパスタ?があったかも・・・

としか覚えていないくらいの当時の僕にとっては

未知なる食事だったから

”こういうの食べたことないの?”

”じゃ~フランスは無理だよ!”

早く日本帰ったほうがいいよ!!”と・・・。

 

まあ、頭の中真っ白になりながらもカルチャーショックで

とにかくクタクタな状態。

 

そして、すかさず松田さんから

”やっぱり日本へは帰らないんだ・・・”

まあ仕方ないからって感じで、

”明日はエクサンプロヴァンスに行く電車に乗るところまでは

着いていってあげるから・・・”

 

と言われ、ただただ言われるままにその日は爆睡した気がします。

他には何も覚えていないので・・・


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次の朝は7時半に南仏に行く電車が出発するパリのリヨン駅へ。

 

松田さんからは、

”エクサンプロヴァンスには誰か知り合いがいるの?”

と聞かれ ”いいえ”   

”おまえ、ふざけてるな~”  

とまた怒った顔をしながら絶句。

 

結局、”たぶんまだ安部っていうのがここにいると思うから

着いたらそこを訪ねてみろ” と。

でも僕は心の中では

もし阿部さんって言う人がいるかいないか分からないなら、

”電話して聞いてくれればいいのに~~”

と純粋に思ったのですが、

当時まだフランスは電話事情が日本とは違っていて、

貧乏学生の家に電話なんかなかった

というのが真実なのですが・・・。

 

さらに松田さん

”エクサンプロバンスはホテル代がすごく高いから、

星なしのホテルから探せ”

と言われ、この言葉がのちのち

悲惨な事態に陥ることになったのです。

 

取りあえず駅まで行って、

エクサンプロヴァンスまでのチケットを買ってもらって

”マルセイユで乗り換えだからそこから電車に乗って

エクサンプロヴァンスまで行け”

と・・・。

 

”仕事があるから、あとは自分でなんとかしろ!” 

と言われ

その時は見事に見捨てられた感で、

でも不思議なもんで、不安にもならず、

泣きたくもならなかったのは

とにかく無我夢中だったのだと思います。

 

当時はTGVという新幹線のような高速列車はなく、

日本で言うところの特急。

すべて指定席で、出発してから随分経って

やっとの思いで席を見つけたら、そこに人が座っていて

あれ~と思って何度もチケットの座席番号を確認しても

やっぱりそこには誰かが座っていて、呆然としていると

なにやらブツブツ言いながら、

そこに座っていた人が立ってどこかにいってしまったんです。

 

フランス語なので

まあ当時は、何を言っているのか分からなかったのですが・・・。

 

フランスってけっこうこういうことが多くて

電車は全て座席指定なんだけど、無賃乗車状態で

勝手に人の指定席に座っていたりするんです。

今もですよ!!


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で、パリを出発してマルセイユまで、

そこから4時間半の電車の旅が始まったのです。

わずか半日滞在のパリ。

 

それからパリに再び行ったのはそれから1年近く先になります。

 

つづく

ブリュッセルの飛行場をやっと飛び立ち、

あっという間にパリ・オルリー空港に到着

”こんなに近いのに何で来れなかったのか・・・” 

と思いましたが、

取りあえず何とか到着した安心感と

さて、今度はどうやってパリ市内に行ったらいいのか・・・”

という不安が・・・

 

そうこうしていたら、ざわざわしてきて、

いろいろな人がフランスフランの準備をし始めていて

”あっ、フランに両替してないけど、どこで両替すればいいのかな・・・・”

と思い、隣のお姉さんに

”両替ってどこで出来るんですか?”  

と聞いたら

”両替してないの???”  と唖然とした顔をされて

僕としては、フランスに着いたら両替をすればいい 

と思っていたから

日本では両替もせず、日本円のみ

”円じゃ、両替しなくちゃ使えないわよ!!”と・・・

 

結局当時確か50フランお姉さんにもらって、

(借りたのかな?? でも返していない・・)

”これでパリ市内に着いたら、どこかで両替しなさい”

とさっきまで優しかったお姉さんが、命令口調で

すでに気持ちは別にあるらしく ”じゃあ~頑張ってね~”

今考えると、お姉さんもたぶん自分のことだけで

精いっぱいだったんだろうな~~。

 

どうやってパリ市内まで行くのか分からずに、

とにかく日本人が行く方について行こう

と思ってついていったら日本人はタクシーに乗る人ばかり・・・

 

日本を出発する前に、このフランス留学の切っ掛けになった姉の友人から

タクシーはとにかく高いから、

”飛行場からタクシーには乗っちゃダメだよ”

と言われたいたので、バスバス・・・

でもバスターミナルはあるけど、

どのバスがパリ市内に行くのかまったく分からずに

うろうろしていたら、フランス人らしき人に

なんかとにかく乗れ みたいなことを言われたんだと思うのですが

そのバスに乗ってしまったんです。 結構無謀ですね~。

 

そしてしばらくしたらそのバスが地下鉄?の駅に着いて、全員降りるので

”えっ ここどこ?” ”なんでこんなところに停まるの・・・”

と思いながらもバスから降りて、

地下鉄の駅構内にエレベーター?で降りた気がします。

 

どこだかまったく分からず・・・

とにかく地下鉄に乗ればいい 

みたいなことを言われてる気がしたので

またまた無謀にも電車に乗ってしまって・・・・。

この辺はもう頭が真っ白になっていて、

ほとんど状況を覚えていないくらいです。


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しばらくして「地球の歩き方」で下調べしていた時に見た風景が

電車(たぶんメトロ)の窓から見えてきて、

”パリ市内に来たんだ~”という安心感と、

どこかで降りなくちゃ  という切迫感でドキドキ

結局なぜか意味もなく、パリ市内のアンバリッド駅で降りたのです。


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フランスに留学していた姉の友人が

パリには松田さんという、エクサンプロヴァンスの時に一緒だった友人が

「パリミキ」というところで働いていると思うから” と言って

そこの住所と名前を渡され、”取りあえずパリに着いたら

そこに行ってみるといい” と言われていたので

でもどうやって行くのか分からないし、

タクシーは高いと言われたけど、”この際仕方がない” と思い

タクシーを探すけど、タクシー、タクシー・・・

 

日本と違って、一目でタクシーとわかる車はなくて

タクシーがまったくつかまらない。

 

どうやってタクシーを止めたのかもよく覚えていないのですが

何とかタクシーに乗って、預かっていた住所と名前を書いた紙きれを見せて

オペラ座の近くのイタリー通り沿いにあるパリミキに到着。

 

”あっ ここだ!!”


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ほっとする間もなく、お店に入ったら

日本人の人が直ぐに声を掛けてきて

”いらっしゃいませ、何かお探しですか?”

”すいません、松田さんという方はいらっしゃいますか?”

とすかさず。

 

しばらくして、お互いにまったく面識のない者同士の初対面

松田さんは突然の訪問者の僕を見て ”どなた?・・・”

パリ オルリー空港に着いてから約1時間後の初対面でした。

 

つづく






 

そんなわけで、フランスに旅立つことになって

とにかくお金はまったくなかったので、


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しかしながら、まずエクサンプロヴァンスに着いたら

早速入学手続きをしなくてはならない

 

エクス・マルセイユ大学のフランス語学院に提出用の

銀行残高計算書を作成するために伯父さんから借りた100万円。

そのお金を頼りにその頃、
一番安かったキャンセル待ちで取った飛行機のオープンチケットが
大韓航空のチケットで、約27万円だったような気がします。

今から考えるともの凄く高いですよね~。

 

当時は勿論まだフランで1フラン、75円くらいだったような気がします。


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年がばれちゃいますね・・・。

で、初めての海外はまだ行ったことのない未知の国フランス。

はじめての飛行機。

でも意外にドキドキも不安もなかったんです。

それよりもワクワクの方が大きかったような気がします。

見送ってくれた母や父は涙を浮かべながら

“永遠の別れじゃないんだから・・・”

なんて、何か気まずくて

わざとそう言った気がします。

 

大韓航空なので成田から出発して一度ソウルの

当時は金浦空港で乗り換え

そこから、アラスカのアンカレッジを経由してパリへ約27時間
とてつもなく遠い国に行く気がしました。


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飛行機がない時代、船でフランスまで留学した日本人は
どんな思いで3か月以上も船内に居たんでしょうか?

当時はまだ、ちょっと生意気そうながら、童顔な私のような男の子が

飛行機に一人で乗っているのはとても珍しかったようで

機内で随分いろいろな日本人に“フランスには何しに行くの”

“誰か知り合いの人のところへ行くの?”とか

いろいろ質問された気がします。

 

丁度隣に座っていた

20代半ばくらいの日本人女性がとても親切で

"パリに服飾関係の仕事で行くんだ" という話をしていました。
当時はフランスのファッションのことも、

ブランド名もよく知らなかったので
どんな話をしてくれたのかはまったく覚えていませんが・・・。

で、順調にパリに到着すると思っていたら、当時大韓航空は
ドゴール空港ではなくて、オルリー空港に到着で
 

そのオルリー空港が霧で着陸出来ないということになり
急遽、ベルギーの空港に着陸して霧が晴れるのを待ちました。

予定より既に遅れること7時間。

 

はじめてのフランス・・・予定通り飛行機が着かない・・・

本当にフランスに着くんだろうか・・・。と・・・・・

霧が晴れてベルギーのブリュッセルの飛行場を飛び立ったのは

それからまた更に約4時間・・・

 

何と何と長かった~。不安だった~・・・・・・・

 

つづき

今から12年前にアメブロに投稿したブログの再投稿で。

最近また、フランス時代のことをよく聞かれることが多くなったので

そして、この頃に投稿したこのフランス寄稿が面白いと言って下さる方が

複数いたので、また再投稿してみることにしました。

そんなわけですので、もし面白かったら読んでみてください。

こんなバカげた留学生もいるのだと、笑ってやってください。

 

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僕の人生を大きく変えることになったフランス


すいらんぶろぐ

 

それもエクサンプロヴァンス

我が父が建築、コンクリート関連の製造施工メーカー

建設業を東京で経営していた関係で

高校生のころまでは、一流大学で建築を学び

ゆくゆくは父の会社に・・・。

という、まあよくある お坊ちゃまとして育ったわけで

しかし、丁度僕が大学進学の絶好というか

最悪のタイミングで父の会社が倒産の危機

結局、従業員を含む下請け何千人のことを考え父は会社を整理、

新宿の本社を含む全国の工場用地売却、

倒産は免れたものの父は責任をとって

人生の全てを注いできたその会社から退き

実質的に我が家は破産状態。

まさに「天国から地獄」へ状態。

 

僕もそんなわけで、日本の大学へ高額な入学金や授業料を

毎年支払うお金が我が家に残っているはずもなく、

両親は東京から両親の故郷、前橋に戻ることを決意、

東京の家を売って、そのお金で今のすいらんを設立したわけですが、

僕は途方に暮れ、友人たちは当然のように志望大学に進学して

自分だけ取り残されたような毎日が過ぎたわけです。

 

でも今となっては、高校生まで友人を4,5人ひき連れて

ステーキハウスや串揚げ屋などを豪勢に食べ歩いたりしていたわけで

もちろん何も考えず、

親のお金で友達の食事代も全て出していたわけですが・・・

バイトもしたことがない僕にとっては

そのころすいらんが始めた画材店というお店側に初めて立って、

お客様に商品を買ってもらったり、

店づくりをしたりするのも、なかなか面白くて

一生懸命勧めた商品を、お客様に購入してもらった時の喜びは

本当に感動ものでした・・・。

 

しかしそれでも、この仕事を流れのまま一生続けていくのか

この先はまったく分からず 不安で不安で・・・

 

そんなある時、「フランスに留学していた」という姉の友人の知り合いが

我が家というかお店に遊びに来てフランスの話をし始めるんです。

いろいろ話を聞いているうちに、

”そう言えば小さい頃、我が祖父がフランスで勉強したかった・・・”

なんていう話しをしていたことが僕の脳裏をよぎり

”フランス???” 

と食いついたのがことの始まり。


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聞いていると、国公立で学費は殆ど掛らない。

”どうせなら美術の勉強を本場のフランスでしてくれば・・・”

”これからは国際化の時代なんだから~・・・”

などという その姉の友人の知り合いのノリの言葉を真に受けて

「よし、フランス行くぞ!!」

それまでの不安はすっかり消えて 

目の前が、パ~~と明るく開けたような気がしました。

それからフランス留学を本気で決めて

決めてからわずか半年でフランスに行ってしまったわけです。
 

フランス語もろくに分からず、ビザを申請するために群馬から日帰りで

南麻布のフランス大使館へ。

 

とにかくその当時は情報誌も、ネットもなにもない時代ですから

情報がものすごく不足しているし、すでに東京ではなく

群馬・前橋にいましたから 一度で終わらないことがもの凄く多くて・・・

 

当時前橋から片道、電車で3,4時間かけて

5,6回、申請に行ったかもしれません・・・。

 

その頃、建築を目指していた東京の高校の同級生も、

当時付き合っていた?(と思っていた)幼馴染みの彼女も、
”何むちゃなことを考えているの・・・”

”あんなに目指していた建築には進まないの??”と大ブーイング

「でも フランスに行くこと!!」

それしか自分を生かすすべはその時はなかったのが現実だけど

そんなこと、周りの友人は 知る由もなかったわけで・・・。

そんなわけで、19歳5カ月でフランスに旅だったわけです。

 

つづく