【再投稿】フランス・第2の故郷 エクサンプロヴァンスVol.1 | すいらんぶろぐ

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今から12年前にアメブロに投稿したブログの再投稿で。

最近また、フランス時代のことをよく聞かれることが多くなったので

そして、この頃に投稿したこのフランス寄稿が面白いと言って下さる方が

複数いたので、また再投稿してみることにしました。

そんなわけですので、もし面白かったら読んでみてください。

こんなバカげた留学生もいるのだと、笑ってやってください。

 

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僕の人生を大きく変えることになったフランス


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それもエクサンプロヴァンス

我が父が建築、コンクリート関連の製造施工メーカー

建設業を東京で経営していた関係で

高校生のころまでは、一流大学で建築を学び

ゆくゆくは父の会社に・・・。

という、まあよくある お坊ちゃまとして育ったわけで

しかし、丁度僕が大学進学の絶好というか

最悪のタイミングで父の会社が倒産の危機

結局、従業員を含む下請け何千人のことを考え父は会社を整理、

新宿の本社を含む全国の工場用地売却、

倒産は免れたものの父は責任をとって

人生の全てを注いできたその会社から退き

実質的に我が家は破産状態。

まさに「天国から地獄」へ状態。

 

僕もそんなわけで、日本の大学へ高額な入学金や授業料を

毎年支払うお金が我が家に残っているはずもなく、

両親は東京から両親の故郷、前橋に戻ることを決意、

東京の家を売って、そのお金で今のすいらんを設立したわけですが、

僕は途方に暮れ、友人たちは当然のように志望大学に進学して

自分だけ取り残されたような毎日が過ぎたわけです。

 

でも今となっては、高校生まで友人を4,5人ひき連れて

ステーキハウスや串揚げ屋などを豪勢に食べ歩いたりしていたわけで

もちろん何も考えず、

親のお金で友達の食事代も全て出していたわけですが・・・

バイトもしたことがない僕にとっては

そのころすいらんが始めた画材店というお店側に初めて立って、

お客様に商品を買ってもらったり、

店づくりをしたりするのも、なかなか面白くて

一生懸命勧めた商品を、お客様に購入してもらった時の喜びは

本当に感動ものでした・・・。

 

しかしそれでも、この仕事を流れのまま一生続けていくのか

この先はまったく分からず 不安で不安で・・・

 

そんなある時、「フランスに留学していた」という姉の友人の知り合いが

我が家というかお店に遊びに来てフランスの話をし始めるんです。

いろいろ話を聞いているうちに、

”そう言えば小さい頃、我が祖父がフランスで勉強したかった・・・”

なんていう話しをしていたことが僕の脳裏をよぎり

”フランス???” 

と食いついたのがことの始まり。


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聞いていると、国公立で学費は殆ど掛らない。

”どうせなら美術の勉強を本場のフランスでしてくれば・・・”

”これからは国際化の時代なんだから~・・・”

などという その姉の友人の知り合いのノリの言葉を真に受けて

「よし、フランス行くぞ!!」

それまでの不安はすっかり消えて 

目の前が、パ~~と明るく開けたような気がしました。

それからフランス留学を本気で決めて

決めてからわずか半年でフランスに行ってしまったわけです。
 

フランス語もろくに分からず、ビザを申請するために群馬から日帰りで

南麻布のフランス大使館へ。

 

とにかくその当時は情報誌も、ネットもなにもない時代ですから

情報がものすごく不足しているし、すでに東京ではなく

群馬・前橋にいましたから 一度で終わらないことがもの凄く多くて・・・

 

当時前橋から片道、電車で3,4時間かけて

5,6回、申請に行ったかもしれません・・・。

 

その頃、建築を目指していた東京の高校の同級生も、

当時付き合っていた?(と思っていた)幼馴染みの彼女も、
”何むちゃなことを考えているの・・・”

”あんなに目指していた建築には進まないの??”と大ブーイング

「でも フランスに行くこと!!」

それしか自分を生かすすべはその時はなかったのが現実だけど

そんなこと、周りの友人は 知る由もなかったわけで・・・。

そんなわけで、19歳5カ月でフランスに旅だったわけです。

 

つづく