【1】五一棚、【2】核桃坪野化訓練基地 に続いて今回は、【3】臥龍鎮です。
五一棚や核桃坪基地へ行くために、私が宿泊した村が臥龍鎮。
(鎮は町・村のこと。卧龙镇:wo long zhen)
臥龍は、ウーロン(wo long:卧龙)と発音します。
★ウーロン茶は、乌龙(wu long)です。
私が泊まった臥龍鎮は、S303道(現在はG350との表記もあり)沿い
端から端まで400m程の小さな村です。
この村は、2008地震後に造られた新しい村。
数軒の宿、小さな商店、食堂の他、
臥龍鎮政府(村役場)
公安派出所
小学校・幼稚園・住宅。。。
臥龍鎮政府と公安派出所
臥龍鎮政府・派出所の対面にある住宅・宿屋と商店
私が2015、2016年に泊まった「臥龍客桟」
2015年、食堂のおばあさんと孫。食事は素材を指さし注文。
2015年の食事の後に出会った4人(USAとイスラエル)。
彼らは、チベット方面から4WDとバイクでここへ。
翌日、私と一緒に五一棚を登る。
★右から2人目(Boka:USA)が、耿达への悪路でバイク共、崖から落下。。
この食堂前は小さな広場になっており、こんなものがありました☟
「房県にバクの獣がいて、鋼鉄を食べるのが好きで・・・」
「・・・685年・・武則天が天武天皇に2匹の生きたパンダと毛皮を送った・・」
★詳しくは、「パンダは、なぜ空を見上げるのか、知っていますか?」
https://ameblo.jp/suikapanda-china/entry-12490532200.html
2016年、宿の予約も無しに村を訪れてみると。。。?
村は、お祭りでした!。。。。(翌日、お祭りではなく、葬儀と気づく)
宿の夫婦と一緒に祭り(?)で夕食。
宴は夜遅くまで続いていました。。。
翌日、早朝から爆竹が鳴るので、行ってみると。。。
祭りではなく。。葬式だったのです。
中国の田舎は、未だ土葬が残っています。
この新しい臥龍鎮から、2kmほど行ったところに、従来の臥龍鎮があります。
そこは、新しい臥龍鎮よりずっと広く、銀行(ATM)や郵便局がありました。
しかし、2008地震で建物の多くが崩壊。
2015・2016年は、全て再建中でした。
大きな団地もありましたが、人は住んでいないように見えました。
ここは、地震前は、臥龍で最も大きなホテル「臥龍山荘」がありました。
地震前に臥龍を訪れた日本人も「臥龍山荘」に泊まっていました。
ここには、地震前に「熊猫博物館」がありました。
私は、「祥祥の毛皮」はここに展示されているのではないか?
と思っていたのです。
2015、2016年。残念ながら、「熊猫博物館」はありませんでした。
代わって「臥龍自然と地震博物館」が建てられていました。
廃墟か?再建中か?「臥龍山荘」(2016)
新しく建てられた「臥龍自然と地震博物館」(2016)
★次は「臥龍・核桃坪基地・五一棚の場所と行き方」を書く予定です。
【臥龍鎮・核桃坪基地・五一棚の旅行記】
(タイトルをクリックすると旅行記へ移動します)
『熊猫谷➡臥龍鎮』 (2015.4.29)
『臥龍鎮の夜、五一棚登山』 (2015.4.30)
『臥龍鎮➡核桃坪基地➡神樹坪基地』 (2015.4.30)
『熊猫谷➡臥龍鎮』 (2016.3.5)
『臥龍鎮はお祭り、五一棚で野生パンダの足跡発見』 (2016.3.6)
『臥龍鎮➡耿达 新パンダ基地』 (2016.3.7)
【四川省パンダ基地】
【雅安パンダ基地】 「中国大熊猫保護研究中心 雅安碧峰峡基地」
【1】私が五一棚(臥龍)に行った理由・・・選ばれてしまった『祥祥』
【2】核桃坪基地には入れない。門の外から眺めるだけです。(^_^)
【4】野放化第一号「祥祥」が眠る五一棚、そして五一棚観察站へ
~スイカパンダ in China