四川省の5つのパンダ基地については書き終えました。
最後に残してあるのは、核桃坪野化訓練基地 と 五一棚観察站です。
この2つの施設は、一般見学はできません。
だから、パンダが見たい普通の観光客には無用の情報です。
しかし、私には最も重要な場所なのです。
この2つの基地のブログは、他のパンダ基地ブログに書いたような
「パンダの写真」「基地への行き方」・・・というわけにはいかないのです。
五一棚(wu yi peng)・・・中国四川省 臥龍の山中にある場所の名前です。
私は、2度ここを訪れました。
2015.1・・・五一棚まで行けず
2015.4・・・五一棚に登る。。。五一棚観測站発見!
2016.3・・・五一棚に登る。。。野生パンダの食事跡と足跡を見つける!
五一棚(wu yi peng)。
なぜ、私は五一棚へ行ったのか。。。
【五一棚 と 祥祥】
2008.5.12 四川汶川大地震の前まで、四川省臥龍には「臥龍中国保護大熊猫研究中心」というパンダ研究基地がありました。
ここには、「臥龍熊猫園」という一般見学者用エリアがあり、多くの日本人が「子パンダと一緒に遊ぶ」「パンダを抱っこして写真を撮る」などパンダとの触れ合いを楽しむため訪れていたのです。
●2008年の地震により、臥龍中国保護大熊猫研究中心の裏山が崩落。
施設は甚大な被害を受けました。
四川汶川大地震は、M7.9。 阪神淡路大震災は、M7.3です。
「臥龍中国保護大熊猫研究中心(★)」は、1983年 中国で最初に出来たパンダの飼育・繁殖を研究するパンダ研究基地です。
★本ブログでは、以後「旧臥龍基地」と表記する。
(成都パンダ基地:成都大熊猫繁育研究基地の開設は1987年)
★パンダ基地名をクリックすると、該当基地情報ブログに移動します。
1990年代になると、旧臥龍基地では「飼育パンダを野生に帰す(野放化)」の研究が始まります。
旧臥龍基地の背後には四川省臥龍の山々が連なっており、そこに広大な「野生化訓練エリア」を造り研究を進めたのです。
2003年 野放化訓練パンダとして
・年齢(2~3歳が最も、元気で好奇心旺盛とされる)
・身体能力(体力)
・健康状態
・能力(学習能力・適応能力)
・性格(好奇心旺盛など)
などを考慮し、当時100頭を数えるパンダの中から
2001.8.25生まれの祥祥(♂)が選ばれます。
(この時、祥祥は2歳。2歳までは飼育パンダとして基地で生活していたのです)
2003.7.8
標高2080m、2.7万㎡の野生化訓練エリアで祥祥の訓練開始 [第1期]。
2004.9.15
標高2480m、24万㎡の野生化訓練エリアで祥祥の訓練開始 [第2期]。
2006.2.17
第1期、第2期の訓練を経て、祥祥は、
「自力で水・食料を調達でき、冬期間の生活にも耐えられる」
と判断され、第3期の完全野外放が決定します
2006.4.28
四川省 臥龍の自然山林「五一棚」に放たれます(野放化) [第3期]。
五一棚に放たれる祥祥
祥祥には発信機(首輪)が付けられており、生活位置は把握されていました。
2006.12.13
祥祥は、突然、普段の数倍の距離を移動します。
2006.12.22
工作員が、竹林で竹を食べている祥祥を見つけます。
祥祥は、背中、脚など多数負傷しており、耳も噛み千切られていました。
★このとき工作員を見た祥祥は、
餌を貰えると思ったのか「懐かしそうに」近づいてきたそうです。。。(T_T)。
(重傷を負ったパンダが山を降りて、人里に来ることは何度も報告されています。村人は「パンダは人が助けてくれるのを知っているんだ」と言っています)
祥祥は麻酔を打たれ、治療のため基地へ連れ帰られました。
2006.12.30
傷は、8割方回復、健康状態にも異常が無いと判断され
祥祥は、再び「五一棚(白岩地区)」に放たれたのです。。。(T_T)
★酷い傷を負った祥祥を僅か1週間ほどで、再び山へ戻すことには異論もあったようです。
しかし、治療で長期間基地生活させることは、人依存になり野放化に支障がでるのです。
2007.1.2 ・1.4
工作員は至近距離で、野生生活する祥祥を観察。
傷の状態・食欲・精神状態に異常が無いことを確認。
2007.1.7(午前)
祥祥の発信機の電波が微弱になり、その後消失してしまいます。。。(@_@)
2007.2.19(午後)
祥祥を探していた工作員が、”转经楼沟”の雪の上に祥祥の遺体を見つけます。。。(-_-;)
★转经楼沟:表紙2枚目の写真の矢印の場所
祥祥の遺体を運ぶ基地スタッフ
祥祥の発信機(首輪)は損傷していました。
[検死解剖報告]
左側胸部・腹肋部をひどく損傷しており、野外で激しい攻撃を受けて高所から転落し、腹部が石などの鈍器にぶつかり、軟骨を骨折した可能性が高い。
鈍器にぶつかった衝撃により、内臓やすい臓がひどく損傷し、肝臓、腎臓、肺臓にもうっ血がみられた。
[基地スタッフの見解]
祥祥は野生パンダとの縄張り争い、エサとり争いのなかで、重傷を負った。
最初の負傷から基本的に回復し、再び大自然に帰った。
その後、野生パンダとの2回目の戦いが発生し、逃亡する途中で高所から転落、石などの鈍器に左側胸部腹肋部をぶつけて内臓を損傷。
特にすい臓がひどい損傷を受けた。
ひどい内傷により、消化機能と呼吸機能が弱まり、傷の痛み、恐怖、衰弱により死亡した。
[基地 副主任のコメント]
祥祥の死亡が証明しているように、オスのパンダが野生のパンダの中に溶け込むのは難しい。
野外で生まれたオスのパンダは成長してからも生誕の地に残ることが多く、メスのパンダは母親から離れ、別の種群の中で暮らすことが多い。
次の段階では、メスのパンダが優先的に選ばれるだろう。
[基地 獣医のコメント]
野生のパンダと比較して、祥祥の生存競争能力は劣っていた。
攻撃能力と防御能力が特に弱く、野外で戦った経験がないことが、2回の戦いで重傷を負った主な原因であり、死亡した直接的な原因でもある。
今後の野生化訓練では、パンダの生存競争能力、特に攻撃能力と防御能力を鍛えていく。
なんともはや。。。。かわいそうなのは、2度も戦わされた祥祥です。
祥祥は飼育施設育ち。
野生パンダが攻撃してくるなんて思ってもいなかったでしょう。
近づいてくる野生パンダに祥祥は、きっと
「やあ、こんにちは。ここの竹はおいしいねえ。(^o^)」
と言ったでしょう。。。
なぜ同じパンダから攻撃されるのかもわからず。。。
もちろん、祥祥に攻撃能力などあるはずがありません。
祥祥は、ただ、ただ逃げたのでしょう。。。
そして、崖から落ちてしまった。
(「五一棚」の私が登った場所にも凍り付いた雪の、数十mの崖がありました。。。)
体中傷だらけになって、痛みと、恐怖で死んでしまったのです。。。(-_-;)
驚いたでしょうねえ。
痛かったでしょうねえ。
怖かったでしょうねえ。。。
祥祥の遺体は、野生で暮らした「五一棚」に埋葬されました。
祥祥の毛皮は、臥龍中国保護大熊猫研究中心に保存されました。
★祥祥の情報は、2014年に中国網、新華社報などから取得したものです。
●[祥祥には双子の兄弟がいる!]
野放化訓練のエリートとして選ばれた祥祥には、双子の兄弟がいたのです。
2001.1.25 生まれの「福福 (fu fu)」です。
旧臥龍基地では、「似た遺伝子を持つ個体が、異なる環境(野生と飼育)で生活した場合の比較研究」をする計画だったのです。。。
福福はどうなったのでしょう。
2001.8.25 臥龍中国保護大熊猫研究中心で生まれる(♂)
2003.12.22 雅安碧峰峡基地へ移動
(この時、祥祥は第1期野放化訓練中)
2005.4.8 福州動物園へ移動
(この時、祥祥は第2期野放化訓練中)
(2007.1 祥祥 五一棚で死亡)
2008.5.6 雅安碧峰峡基地へ移動
(2008.5.12 四川汶川大地震で旧臥龍基地 崩壊)
2008.6.24 福州動物園へ移動
2012.2.16 成都大熊猫繁育研究基地へ移動
2019.2.22 左睾丸切除手術を受ける➡術後正常
福福は生きていました。(^_^)
双子の福福と祥祥は、全く違う人生を送ることになりました。。。
18歳になった福福は成都パンダ基地にいます。(2019.8時点)
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私が、祥祥の情報を知ったのは、2014年。
そして、祥祥の毛皮を探しに。。。中国大熊猫保護研究中心に。。
祥祥の眠る五一棚を探しに。。。臥龍へ行ったのです。
五一棚への道は超悪路で大変でした。
そもそも、五一棚がどこにあるいのか情報が無かったのです。
☝ 五一棚
【四川省パンダ基地】
★タイトルをクリックすると該当する基地情報ブログに移動します。
【熊猫谷】 「成都大熊猫繁育研究基地 都江堰繁育野放研究中心」
【雅安パンダ基地】 「中国大熊猫保護研究中心 雅安碧峰峡基地」
【1】1私が五一棚(臥龍)に行った理由・・・選ばれてしまった『祥祥』
【2】核桃坪基地には入れない。門の外から眺めるだけです。(^_^)
【4】野放化第一号「祥祥」が眠る五一棚、そして五一棚観察站へ
~スイカパンダ in China