前回までのお話はこちら下矢印

 

私の小学校の話。

 

昭和一桁生まれの担任は、

 

一方的で、威圧的でした。

 

子どもの訴えを受け止めるということは、皆無です。

 

 

ある図工の授業で、

 

クラスの8割が忘れ物をしたことがありました。

 

忘れ物をしたとされる子どもは、立たされ、

 

ロッカーの上に並ばされました。

 

図工の終わるまでの2時間、そこに立たされたままでした。

 

授業を受けたのは、5人。

 

忘れ物をしなかった人です。

 

後ろの方にいた子が、

 

後ろを振り向き、ボソッと言いました。

 

「ランドセルに入れっぱなしにしておいてよかった。」と。

 

先生は、連絡し忘れていた。

 

そう思いました。

 

 

小学校の教員を大人になってからしていた経験から考えても、

 

ほとんどの子が忘れ物をした場合は、

 

伝え方が悪かったと教員が自分の至らなさを認めるべきです。

 

そして、計画を変えて、他の授業をするべきです。

 

ほとんどの子が教育を受ける権利を奪われた状況は、人権問題になります。

 

今では体罰に当たる行為でした。

 

このような対応を、先生に取られた経験を持つ人は、

 

私以外にもたくさんいるはずです。

 

今の40代くらいの人たち。

 

どうですか?

 

権威へのトラウマが少なからず生まれます。

 

指示には従わなければならない。

 

和を見出してはいけない。

 

おかしいと思っても意を唱えてはならない。

 

そんな刷り込みがあるかもしれません。

 

 

でも、間違っています。

 

人の指示に従う必要はありません。自分のことは自分で選ぶことができるはずです。

 

和を乱すことは悪ではない。

 

子どもを一人の人間として尊重しない先生。

 

その先生の都合のいい和を保つ必要はありません。

 

おかしいことは、おかしいという自由・選択肢を私たちは持っています。

 

子どもの頃の刷り込みは、大人になっても影響します。

 

かつての先生は、世の中の暗黙のルールに置き換われる。

 

例えば、マスク着用のお願い

 

といういまだに続く、お願いに従い続けている私たち。

 

本当は、意味のないこと、理不尽なこと、デメリットが多いことに、

 

気づいている人が多いのではないでしょうか?

 

 

_____続く。

下矢印

 『人の役に立たない私は愛されない?』前回のお話はこちら 『先生や大人の間違いにNOと言おう【サンゴちゃんのインナーチャイルドの旅10】』前回までのお話はこちら『子どもの友達づくりを応援するために…リンクameblo.jp


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