とらまめ日記 -23ページ目

とらまめ日記

古い料理本の写しとか、治療中の病気(間質性膀胱炎と乳癌)のこととか、思いつきで色々書いています

今日は、ジムソ治療の2回目です。

 

前回の反省を踏まえて、予約の1時間前に座薬を入れました。

アロマのスプレーとイヤホンをカバンに詰めました。邪魔になるのでクッションは見送りました。

 

尿検査後の診察で、担当の先生からジムソ後の体調等を聞かれて、まあ大丈夫でした、と伝えました。

 

ここまでは想定通り。

 

処置室に呼ばれて、診察台に横になりながら準備中の看護師さんに

「ジムソが入ってる時に体を横にしても良いですか?」

そう尋ねたところ、ああ、前回かなり痛そうでしたもんねと気の毒そうに言われて。

 

「前回、ご自身でトイレに行かれていたし、ジムソを入れた後管を抜きましょうか?」

 

看護師さん、まだ若いのに発言が女神花

 

「お願いします!」

 

あと一つ、注入するジムソって量はどのくらいなんですか?と尋ねると、50mlとのことでした。

私はまだ200ml位は貯められるし、50mlくらいなら全然大丈夫音譜

 

前回尿意があったのは、初回で緊張してたからかな。

 

そう思いながら、まずは麻酔を注入してもらって15分待機です。

 

お腹にヒヤッとした感覚があるけど痛みも何もなく、イヤホンでYouTubeを観ているうちに時間が過ぎました。

これは痛みも感じないし、全然大丈夫です。

 

それに、ジムソはたったの50ml

 

大匙一杯が30mlだから、大匙約1.5杯

なんだ全然大丈夫じゃないニコニコ

 

そんな事を考えているうちに、看護師さんが麻酔を引いてくれて。

「ジムソを入れますね。」

うんうん、今日はきっとだい…じょうぶ…。

 

…痛いというか灼熱

 

言葉にするなら、浅く焼かれているような感覚。

座薬のおかげか、前回よりも痛みは薄いような…と思うんですが。

 

尿意がやばい。

 

50mlのはずなのに、注入された瞬間からもうトイレに行きたくて辛かったです。

管を抜いてもらったから、体を曲げたり座ったり、色々と試してみたのですが、熱感と尿意に耐えるのに必死で

何度も何度も体勢を変えて、下腹に力を入れて、スマホの時計を睨みながら何とかやり過ごそうと努力しました。

 

YouTubeもアロマスプレーも、熱感と尿意をそらす事は出来ませんでした。

試しに診察台に座ってみたら、ずん、と降りてくる感じがして更に辛かったです。

 

そして。

 

「どうですか?」

 

カーテン越しの女神看護師さんの声に。

 

「尿意が…やばいです」

 

最初からずっと…と呻くと、看護師さんは「もう13分ですから、お手洗いに行ってる間に15分になりますし」と勧めて下さって、のろのろとお手洗いに行きました。

 

あと2分だったのに…

なんていうか…負けた気持ちでいっぱいですガーン

 

膀胱を空にして病院を出てからも尿意がひどくて、午後は自宅の椅子に座って過ごしました。

 

半日近く経って、熱感はずいぶんマシになりましたが、夕方近くまで下腹に力を入れていたので腹筋が痛いです。

 

晩御飯は、夫には適当に食べてもらいました。

私は…今日はいいですあせる

 

1クール終了まであと4回…。

こんな感じで大丈夫かなと不安を抱きつつ、これからの2週間で何とか気持ちを立て直したいと思います。

 

…効果があったらいいな。

 

 

未だご飯しか炊いていませんが、なんだかんだで続いています。

前回は、瓶詰と缶詰の紹介まででした。

 

4回目は、『調理法の色々とその秘訣』です。

 

『さて、これまでは料理の材料のお話をしてきましたが、これからは実際の方面に入りましょう』

と書いているし、今回は行けるかもしれません!

 

 

『この頃は、西洋料理、支那料理と色々の調理法がだんだん普及されまして、細かく分ければ実に際限はありませんが、ここでは日本料理の料理法だけをごくあらまし分けてみましょう』

支那料理は広義では現代の中華料理にあたります。時代的な背景があるので説明が難しいです。

 

A.熱を加えずに食べる方法…(1)刺身(2)酢の物

B.熱を加えて食べる方法 …(1)汁物(2)焼き物(3)煮物(4)蒸し物(5)揚げ物

 

『おおよそこの料理法を基礎として、材料を配合し、千変万化色々のお料理を作ります』

焼き魚と言っても塩焼き、幽庵焼き、甘味噌焼き、照り焼き等々、魚の種類と味付け、調理法で無限に広がりますもんね、千変万化という言葉がぴったりに思えます。

 

『お料理は、いつの場合も注意と綿密と時間が大切です』と書かれたうえで、汁物(つゆもの)の秘訣から紹介されています。

 

A.汁物の作り方の秘訣

〇カツオ節の煮汁(だし)の取り方

①水1.8Lを沸騰させて、94~150gの鰹節を入れます

②上面に浮き上がる泡をすくって捨て、すぐに火からおろします

③清潔なふるいまたは布巾で別の容器に漉しとります

 

『これは一番だしと言って主に清し汁に用います。この一番だしを取った後の鰹節に更に540~720mlの湯を入れてもう一度煮汁を取ったものを二番煮汁といい、野菜などを煮込むときに使います』と紹介されています。

 

ウチの台所にあった鰹節(40g)の裏面の出汁の取り方を見ると、600MLの水に鰹節20gと紹介されているので、1.8Lを1/3にすると、31g~50gになります。鰹節の製法も今とは違うと思うので一概には言えませんが、今よりもたっぷりの鰹節を使っていたようです。

我が家では、沸騰したお湯に鰹節を入れてから火を止めて、鰹節が沈むまで待ってから漉しています。顆粒や液体の出汁が売られている現代は、鰹節で取ったお出しは贅沢品なのかもしれませんね。

 

混布出汁は、沸騰したお湯に5センチ角の昆布を入れて『一分程煮立て、すぐ引き上げます』と書かれています。今は水に浸けた昆布をそのまま火にかける方法が主流なので、味の違いが気になる所です。

『素人は、昆布を長く煮れば煮るほど美味しい味が付くと考えていますが、それは誤解です。あまり長く煮ますと、昆布臭くなりますから、さっと煮立ててすぐ取り出すのが秘訣です。後の昆布は更に二番だしを取り、その後は醤油で煮ておくと、美味しい佃煮が出来ます』

濃い出汁=美味しい出汁と思っていたら、しっかり釘を刺されました。

 

この他、鰹と昆布の合わせだし、椎茸だしと説明が進み、調味出汁として八方煮汁と白地八方煮汁が紹介されています。

 

〇八方出汁

煮切味醂(味醂を半分の量になるまで煮詰めたもの) 1割

出汁 1割

醤油 1割

 

煮立てるとは書いていないので、「かえし」のように合わせるだけでしょうか。麺つゆに使っても美味しそうです。

 

〇白地八方出汁

煮切味醂 90ml

出汁 180ml

焼塩 2.5cc

砂糖 5cc

 

以上を一緒に鍋に入れてちょっとだけ煮たてて用います。

茶さじ=2.5㏄で計算していますが、当時の感覚が分からないので、ご自身で美味しい味を探して頂きたいです。

 

 

B.刺身

『刺身として最も美味しいのは、鯛、鮪、鰹、鱸、等です。その他行利を何を用いても作ることが出来ます』と紹介して、魚や貝の他、『鶏肉なども刺身に使用する事があります』と懐の深さを見せています。

 

〇刺身の作り方

・洗い…冷水に塩を入れたものに入れて身を縮ませた後、清水で洗って水気を切ったもの

・糸づくり

・さいの目つくり

・うすづくり

・厚づくり

・酢締め

・酢洗い

 

本書では、いくつかは図解されていますが、刺身の引き方を文字だけで説明しているのでとてもわかり辛いです。『刺身をつくるには相当の技術が必要で、初心の人が作ってもなかなか食膳には上せられませんから、蒟蒻を茹でて魚のような形に切り、それで切り方の練習をすると良いのです』という説明にとどめたいと思います。

当時は、魚屋さんにお願いして刺身にしてもらっていただろうと思います。

 

盛り方については『箱庭に山水を造るつもりで工夫せよ、と昔から言っています』との事です。高さを出したり、刺身とつまのバランスを考えないといけない、という事でしょうか。

『つまに用いるのは、その季節の野菜、海藻類、香辛料類です。つまは体裁を作るばかりではなく食養生にも必要なものですから、季節に応じ、心を配って取り合わすことが必要です』と書かれています。

 

一般的なつまとして、大根、人参、ウド、茗荷、白瓜の千切、花丸胡瓜(小型の胡瓜)の小口切り、紫蘇の実、生海苔、山葵、生姜、辛子、黄桜が紹介されています。

 

刺身に添える醤油は『上等の醤油を使用しなければなりません。特に刺身醤油等と言って、鰹節で味付けした醤油もありますが、この頃は「味の素」のような便利なものがありますから、これを少量混ぜれば、美味しい刺身醤油が出来上がります』と説明しています。

 

味の素が初めて食卓に上ったのは明治42年なので、この頃には既に市民権を得ていたのでしょうね。

明治生まれの私の祖母は、何でも味の素をかける人で、子どもの頃ラーメンを作ってくれる時には、丼にたっぷりと味の素を振ってからラーメンを盛り付けていた事を懐かしく思い出しました。

「味の素を食べたら頭がよくなるから」と、ことある毎に言っていました。

子どもの頃はよく食べていたのに大して頭がよくならなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 

料理本の紹介っぽくなってきましたが、総菜までままだまだ遠い道のりです。

続きます。

お昼ご飯を食べながら、子どもの頃の学校の思い出話をしていました。

 

福岡は、地元の人だと分かると、大人になっても「どこ小?」「どこ中?」と尋ね合うくらい、地域性の強い県民らしいです。

もしかしたら、地方都市あるあるかもしれませんが。

 

昭和生まれの私は、自分が卒業した小学校の校区と、隣接する小学校の名前を憶えていますが、他県で生まれ育った方はどうなんでしょう。

 


私が卒業したのは、今調べたら明治6年に開校されたものすごく古い小学校でした。

在校していた当時は二階建ての木造の校舎があって、野戦病院にされていたとか、廊下にケガ人が寝かされていたとか、言いたい放題だったのを覚えています汗うさぎ

 

木造で薄暗い上に、トイレや階段がある端の方はさらに暗くて

子どもの頃は怖くて、放課後残りたくなかったな…。

 

 

もちろん七不思議もありました。

 

七不思議になると戦争は姿を消して、落ち武者だったり、勝手になるピアノだったり、他の学校と大差ないラインナップだったと思います。

今でもよく分からないのが

 

二時婆(にじばば)、四時婆(よじばば)宇宙人くん

です。

 

 

木造校舎の一階だと思うんですが、2時22分と4時44分になると

 

女子トイレの奥から何番目だったか…(なにしろ大昔の記憶ですから)

 

 

2回ノックするとノックが2回返ってくる。

 

 

 

待ってみても誰も出てこない。

 

 

不審に思ってドアを開けてみると

 

 

 

便器の上に…

 

 

雪だるまがいるゲッソリ

 

 

 

…婆はどこに行った!?

 

 

 

まあ、こんな噂をするのは女子率が高いでしょうし、包丁を持った婆がいる、とかの噂になったらトイレに行けない女子児童が多発しそうですよね。

 

『トイレに雪だるま』は低学年の子に対する上級生の優しさふんわりリボンなのかもしれないです。

 

そういえば、この頃の小学校のトイレは洋式トイレ化が進んでいるそうですよ。

トイレの改装で行き場を失った雪だるまはどこに行くのか…。

 

あ、ウチは洋式なんで来ないでください手

 

 

 

そんな事を書いていると、月初の仕事もラストスパートに入ってきました。

のらりくらり仕事が出来る日常まで、もう少しです音譜