ナレーションを学ぶ22 誰が喋っているのか。演じるのか。それとも自分か。
こんにちは。勝呂美和子です。
今日はナレーションを学んで行く時にぶつかった悩み、他の方がどう考えているかはわかりませんが自分ではこう思っていたと言うことについて。
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私は今現在はナレーションを読む時に基本「自分」で話すということをしています。
しかし、声優という仕事をしているので「役を演じながら読む」と言うことも出来ます。
演技経験したことがないという方には 「自分は自分なのだから自分以外に何がいるの?」と思うかもしれないのですが、役者と言う経験を積んだ方は演技をすること、演じること、役になりきる、憑依させることを(人によって様々なタイプがいると思います)日常的に訓練していますので、ある文章、セリフ、文をを与えられた時に、習慣、考え方の一部としてこれはどんな役で演じることをすれば良いのか?と瞬間的に考えます。そして、私の場合はその決まった役柄で演じて読んだ方が文章を上手く捉えて読むことができました。例えば最初の頃私がよくオファーされたのは「落ち着いたお姉さん」でした。「優しく語りかけるように」「声のトーンは明るいけれど落ち着いていてキャピキャピしない感じ」など。その求められる役柄を演じて、それを外さないことを一番に意識していました。
しかしナレーションを勉強するにしたがってもっと色々なものを読んでみたいと思うようになり、私の出した結論は「素の自分で読もう」ということでした。
初めて「自分」で読む。とうことを意識したとき、文章が全く読めなくなりました。
「私って、普段どうやって読んでいたんだっけ?」これが正直な感想です。
そして、そこから抜け出した読み方をするのにかなりの時間が必要でした。私は決して個人の読み方を否定しているわけではありません。人には求められている立ち位置というものがあるので「その人を」という形で求められている場合にはそれで良いと思います。
しかし、ナレーションを1から学びたい。新たな分野に挑戦したい、自分の今の位置を知りたいと考えた時「今の読みはナレーションではない」と言われた時、そんな時にはこの事がもしかしたらヒントになるかもしれません。長年培ってきた自分の技術。それはそれで素晴らしい。そして長年培ってきたものは簡単に変えることはとても難しい。
声優の方がナレーションを読む時、声優の読み方になる、アナウンサーの方がナレーションを読む時、アナウンサーの喋り方になる、MCの方がナレーションを読む時、MCの読み方になる、それはその人がその訓練をして、それに特化したから出来る喋り方です。
私はナレーションの幅を自分に持たせるため「自分」という読みを研究しました。もちろんこれが正しい勉強の仕方なのか。と言われたらそうではないかもしれません。
最近気づいたのですが「落ち着いたお姉さんな感じで」とはあまり言われなくなりました。
「ボイスサンプルの感じでお願いします」もしくは何も言われない場合はテストで自分の考える最大を出します。
もしそれが相手の求めているものとかけ離れていたら、その場で求められる表現に変化させれば良いということです。曖昧な表現はすぐに伝わってしまいます。
「落ち着いたトーンのお姉さん誰かいませんか」ではなく
「勝呂さんが良いです」と名前で呼ばれるために。
「自分だけの読み」というものを磨いて行きます。
勝呂美和子