小学6年ぐらいだったと思う。何をする際にも
・その行動にどんな意味があるのだろうか
・理由はなんなのか
・本質はなんなのか
・結果から得た体験に基づいて、より良い結果を出す為に何が足りなかったか
・少しでも可能性があるなら諦めずに継続すること
思考回路が少し明確になり
観察→思考→行動→分析→改善の流れを感覚的にするようになっていた。
多分、11歳のあの日から。
母が肺炎からの脳症で記憶喪失になり、衰弱し亡くなった後悔からだと思う。
夜だった事、病院までの道のりが危険で行けなかったあの日、危篤ながら自分たちを呼ぶ親のお見舞いをキャンセルして、翌日早朝に回さなければ、意識を取り戻す可能性があったかもしれない……。
どんなに可能性が少なくても、やれるだけの事をやらないで、諦めるのはバットエンドに繋がります。
人間大切なものを失う・取り返しのつかない事を実体験すると本当の意味で成長すると思います。
ただ、このような事を他の人に味わって欲しくないと強く思いますし、悲惨な経験を実体験してから世の中の物事を『青信号』で見るだけではなくを『赤信号』にも変更してもらうのは非常に辛い事だと思います。
ではどうすれば世の中の危険への実体験に近づけるのか……。
自分が出した答えは現実では体験できない様な事柄が出る『RPGやノベルゲーム』『小説』『成功者・失敗者の本』『ライトノベル』『アニメ』等を通じて擬似体験をし、自己に置換えて体験し、可能な限り実体験に近づけていくこと。
アニメ等は特にオープニング&エンディングの歌詞、シナリオ製作者は視聴者に何を伝えたいのか、その本質はなんなのか、自己体験に置換えたり、仕事に置き換えたら違う形で何に生かせるのだろうか等を考えて見てしまう。
考えながら観ていると
アニメで人生の為になる作品はいくつもありました。
アニメでは
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
(お別れの仕方の本質)
グリザイアの果実(1期)
グリザイアの迷宮
& (2期)
グリザイアの楽園
(存在意義・生きる為の考え方の本質)
西尾維新 物語シリーズ
(生きる為の考え方・自己の在り方・存在意義)
化物語
傷物語
猫物語 黒
偽物語
猫物語 白
傾物語
鬼物語
囮物語
恋物語
憑物語
終物語
魔法少女リリカルなのはシリーズ
・魔法少女リリカルなのは MOVIE THE 1st
・魔法少女リリカルなのは MOVIE THE 2nd'AS
・魔法少女リリカルなのは REFLECTION
・魔法少女リリカルなのは Detonation
・魔法少女リリカルなのはStriker's(アニメ3期)
大切なものを守る意味・仕事の考え方&教え方(上司・部下)
魔法少女まどかマギカ
(自己啓発アニメ)
最近では
葬送のフリーレン
(恩返し・お別れ・人生・終活など)
ゲームでは
・うたわれるものシリーズ
~散りゆく者への子守唄~
~偽りの仮面~
~二人の白皇~
・ブレイブリーデフォルト(3DS)
・ドラゴンクエスト11
ゲームでは上記の作品が仕事や人生の在り方・生き方・考え方に置換えて観ると役立ちます。
生きる事とは辛いというのが本質です。
その中でも『目的のない生きる』が一番辛いと思う。
目的なく、がむしゃらに生きながら変化の少ない中年後半になると、段々とつまらなくなる筈です。
多分これが『生きる事に飽きる』だと思います。
飽きない為にも、色々な新しい事を取り入れチャレンジし、その時代にあった考え方を学び、卑屈にならず、視野を広げながら次の世代に自分のノウハウを伝えて引き継いでもらう。
次世代が育つことで様々なことを安心して託せるのです。
その為にも自分の存在意義を示せるように、大切にしてくれる周りの仲間・生きていられる事への感謝、家族への感謝は大切にして下さい。
最終的に残るのは人格です。
感情で動かずに物事を冷静に善悪の判断できる事で、人は初めて『大人』になれるんです。
可能であれば、大切な人・自分を育ててくれた親に『感謝の手紙』を送ってあげて下さい。伝えたい思いがあるなら、伝えられる時に伝えて下さい。そうしないときっと後悔する事になるかもしれません。
当たり前は存在しないし、同じ次は存在しません。時間は有限です。
絶望という後悔は歳を取れば誰でも平等に経験します。
早くに経験してしまった自分も含めてですが
幸せになると強く思い続けないと、不幸せが続きます。
自己の行動の結果は、考え方の習慣に深く密着しています。
改善策として日々ポジティブな言葉を習慣づけるだけでも変わります。
誰の為でもなく、自分の為に生きて下さい。
自分自身を管理できるようになってから、ようやく大切にしてくれる人に初めて手を差し伸べられるのです。
自己犠牲は悪では無いけれど、自分の為にやりたい事が叶っていない事による弊害は、生きる事への不安、自己嫌悪や憎悪で罪を感じたりして、最終的に『生きる』こと自体が罪に発展してしまいます。
辛い経験してきた方へ
自分は30年間、区切りのつけ方(お別れ)が分からず、特に児童養護施設を出て社会人になってからは底知れない不安に襲われ、生きる事に罪を感じていました。
40歳になってから何故辛いのかの本質を知ることで、本当の意味でようやく心の整理がつきました。
母の死を自分の中で認められなかった事が一番の要因でしたね。
辛い経験に区切りをつけて終わらせ、また前に歩き始める事で様々なことへの弔いになると思います。
誰かが区切りをつけるのではありません。
こればかりは自分自身でしかできないのですから……
誰の為でもなく、また自分の為に生きて良いんです。