Rev1.2 小鷺田団地・安川電機社宅・引野配水池について修正しました。/2024.6


以前別の記事で穴生浄水場や貯水池・ダムについて少し調べたことがあるんですが、

 ↓コレ


そのとき穴生の隣にある「引野」を冠する、引野浄水場というものが存在していることを知りました。穴生は上水道、引野は工業用水道の浄水場です。

この引野浄水場、どこにあるのか穴生浄水場と一緒に少し調べてみたんですが、全然特定できません。

以下では、地元の過去や成り立ちへの中途半端な興味だけで、引野浄水場調査に挑んでしまったド素人オジサンの右往左往劇を記録します。

書いてる本人は至って楽しみながら書いてるんですが、コレ、本人以外ホントどうでもいい話です。

親族以外はスキップをオススメしますが、よろしければお付き合い下さい。めちゃくちゃ長いです。



▼穴生浄水場と現在の引野町

▼引野浄水場は昭和35年に起工し、昭和44年に竣工したそうです。北九州市ホームページより

穴生浄水場すら知らなくて?忘れてて?
ついでに引野浄水場も調べてみるんだけど、ネットじゃ殆どヒットしません。当時の航空写真みても、引野やその周辺に浄水場らしきものは見当たらず。。

え?なんで?

となるんですが、以前別の記事を書いたときには、本筋から逸れた所の話だし、そのまま流してました。

その後、昭和41年 市政だよりの表紙で、再び引野浄水場というキーワードに出会います。

▼コレです(昭和41年 市政だより 5/1号)。写真下テロップに「八幡引野浄水場に勢いよく流れ込む水」とあります。バックには山?林?みたいなものが映り込んでます。
最初にこの記事を見たときは、そう深く考えるもなく、穴生浄水場の近くなんだな〜なんて、軽く流してたんですが。

改めて記事をみますと、穴生浄水場で市長代理が出席し、神事の後、通水式が執り行われた、とあります。

で、写真中央上部にいる真っ白な人、白装束の神主さんですよね?
式が終わって、関係者と一緒に貯水槽に流れ込む激流を見てる感じ?
でも、写真は引野浄水場。

穴生の方に市長代理が出席し、通水式までやったのに、なんで引野の写真?
さては…市長代理、みんなから嫌われてマシタネ?

あるいは引野にも神主さんと撮影係、来てたんですかね?んで、穴生よりもいい写真、撮れちゃったとか?

まさかの誤植で、実は穴生浄水場?
さすがにそれはないですか。

▼ちなみに当時の穴生浄水場周辺はまだ木も多く、同じような写真を撮れそうな雰囲気です。



そんなこんなで少しモヤモヤしながら、昔の航空写真で引野浄水場らしきものを探して、空中散歩へ出かけます。空き時間などで穴生浄水場から南東、引野とその周辺をウロウロ。
アチコチ見てみたんだけど、昔からある池だったり学校のプールだったり。。浄水場らしきものは見つからず。


それでも少し足をのばすと、

▼北九州都市高速 黒崎インターのそば、養福寺の巨大池の近くで見つけました。

▼貯水槽付近を拡大。こうして見ると、なんだかすごく立派です。
でも下の写真、まだ終戦まもない頃。引野浄水場はまだ存在してはイケマセン、、、ハズレです。。

しかし一面田んぼが広がる、こんな長閑な場所に、何だか似つかわしくないコンクリート構造物にちょっとビックリ。
気になったのであたりを見渡すと、、

▼知らなかったんですが、ココには遠賀水道が接続されてたんですね。
現在、この貯水槽あたりには幼稚園などが建ってます。

単なる溜池ならこんな立派な造りじゃないはずなので、かつて浄水場だったんですかね?

めげずに次、行きます。

▼養福寺から北東方向、黒崎寄り。幸神で見つけました。

▼貯水槽付近を拡大
あれ?コッチは戦後なかったのに、1970年前後には既に幸神団地が建っちゃってます、、ハズレですかね。。。

▼現在の姿(幸神分譲団地)

面白がって空き時間にアチコチ探してると、ついつい足をのばしてしまうんですが、なかなか見つからないので、ふと我に帰って笑、改めて記事を見てみますと、

「・・・穴生浄水場で力丸ダムの水を本市に導水する通水式が行われました。関係者が出席し神事のあと、市長代理の河村市収入役がボタンを押すと同浄水場の貯水槽に水が大きくあふれ・・・同時に九百メートル離れた工業用水専用の引野浄水場にも導水管から勢いよく水がほとばしり出ました。」

とあります。

うーん、九百メートル。。。

▼両者は余裕で二、三キロあります笑

空中散歩を一旦中止して、ネット検索に戻ります。

▼引野浄水場は相変わらず情報少なく、起工・竣工など、ごく初期の情報しかないんですが、色々探してると新たに引野配水池ってのを見つけます。
(北九州市工業用水第3期改修事業概要図)
う〜ん、引野配水池。似てるけど微妙に違うアナタは一体何者デスカ?
なんかまた話が本筋から脱線する予感。。

▼拡大してみます。
森下に大きな分岐点があり、そこから東進したところです。

▼もう少し詳しい位置を確認するため、更に拡大。
手作り感満載のプロットを信じれば、現在の小鷺田町と茶売町の境界、小鷺田市営団地付近のようです。 
【お詫びと訂正】
すみません。引野配水池はこのあたりではなく、もう少し南だったようです。(詳細は後日作成したこちらの記事にて)
また配水池がどこか地下にあるんじゃないかと彷徨ってた際、ストリートビューで見かけた取壊し中の建屋は安川電機社宅5号・6号棟でした↓
▼取り壊し前


浄水場と配水池。ちょっとマジメに見てみます。

▼経産省より
浄水場と配水池は役割を分担してて、同じ敷地には設けそうにない感じ。配水池は長い送水管と工場の間で、なんかクッション的な役割を果たしてそう(テキトー)

▼このままテキトーに流すことも多いんですが、テキトー過ぎてゴールに辿り着けそうにないので、もう少し見てみます。


たしかに、配水池は浄水場の下流にあって、浄水が流れてるから青天井じゃダメですね。

航空写真でも何も見当たらないし、ココは地下に配水池のみ。引野浄水場はないですね。
穴生浄水場からも1.5キロメートルくらいあります。ハズレです。。

しかし穴生浄水場南東、引野周辺で九百メートルくらいとなると、年代を遡ってもそれらしいものは何も見つかりません。

行き詰まって、振り出しに戻った感が。。。

もしかして引野浄水場は現存しないんじゃ?



ここまで約2ヶ月くらいかけてます笑。ちょっとした空き時間で思い立ったときに空中散歩とネット検索してたくらいなんですけどね。

でもなんか煮詰まってきたし、時間もできたので、このまま記事を書いちゃおうと手を付けたところで、ようやく気づきます。

モシカシテ、、、
探ス場所、間違エテタンジャネ?

と言うのも、引野と言えば、私の幼少期から鉄竜・鉄王の穴生社宅群の隣にあった町なんですが、昭和41年5月に区画整理によって生まれてるんですよね。すっかり忘れてました笑(市政だよりスクラップ作ってて思い出し)

引野浄水場の起工は昭和32年なので、まだ区画整理前。穴生の南方一帯は、かなりの広範囲にわたって引野だったはずです(大字引野)。なので、大字引野が捜索範囲デス。。。

一体どこからどこまでが大字引野なんでしょ?

▼区画整理前の地図
この地図みても、一体どこからどこまでが大字引野なのか、全然分かりません笑
引野は穴生の南東、右端の下方に記されてます。中央あたりに竹末。この地図は何度か拝見してるのでイメージが残ってて、それに引っ張られて南東ばかり探してたというオチです。

▼続いて区画整理後の地図(1970年前後)
既に過去のものとなった大字引野の境界は明示されてませんが、穴生の南部に町名よりも大きなフォントで2箇所、引野と記されてます。

なお、区画整理により一帯は新しい町名が割り付けられましたが、実用上は、より広い範囲を指し示すのに、広義の穴生・引野(区画整理前の大字穴生・大字引野)がそのまま使われ続けます。

▼これまで探してなかった穴生浄水場南西を、空中散歩してみます。
穴生浄水場からの距離は九百メートルくらいなので範囲はかなり絞られます。

▼すると、あっさり今池の北で見つけました。

▼付近を拡大。浄水場でしょうね。
起工は昭和35/1960年4月なので、下の写真も起工後に撮影されたものですが、工事範囲には遠方からの地下配管なども含まれるでしょうし、この写真ではココが着工してるのかはよく分かりません。

▼更に拡大。
南に小高い山みたいなのがあるし、ココも市政だより表紙のような写真(背景に山?林?がある感じ)になりそうです。

▼そして現在
あれ?跡形もない。。

けど、ココが引野浄水場であることを示唆する間接証拠がいくつも揃ってます。
・築造当時の大字引野あたりに存在
・900m前後に存在する唯一の浄水場らしき建屋
・小山?林?の位置関係が写真とも整合
・起工以前には存在してない
・最新の航空写真で跡形もないのは、ネット検索しても殆どヒットしない状況と辻褄が合う(引野浄水場は現存しない)

引野浄水場はココで間違いない気がします。
(水道局に電話するか、水道局のPR施設に行けばすぐ分かるんじゃね?と思ったりもするけど、当面はソコをグッと耐えて、市政だよりを過去から未来へ、ジワジワ攻めてみます笑)

ところで写真に映り込んでる日本乾溜工業、ちょっと興味が湧いたので調べてみました。


(中略)


(中略)

え?ココ、森下なんですか!?
森下って工業用水道の大きな分岐点があるところ!

▼地図を確認すると、
ビンゴです。引野浄水場と思しき所と重なります。

どうやら引野浄水場は、区画整理前に大字引野の地に浄水場として築造され、区画整理後どこかのタイミングで役割を終え、森下の地に分岐点として生まれ変わった。

裏は取れてないけど、行き当たりばったりで書いてたら、なんか結論っぽいところまで辿り着いたような気がします。

果たして真相は? (おしまい)


▼後日追記
別記事を書いてたら市政だよりを見るよりも先に、あっさり住所を特定できました。下水道法に基づく特定事業場名簿に、引野浄水場がエントリされてます。森下でした。



追伸
穴生の方は大字穴生(住居表示未実施)が現在も一部残っているんですね。飛び地になっており、変な境界になってます。