能登半島とはこんな半島 | 直球オヤジの自由奔走生活

直球オヤジの自由奔走生活

座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

新年早々、立て続けに大災害、大事故が起こった。どちらも膨大な報道がなされているが、私なりに違った視点でこの二つの災害と事故を見てみよう。まずは能登半島大地震。

能登半島とは
どんな半島だろうか。知名度は高く、観光で訪れたことがある人も多かろう。能登には過去に5~6回ツーリングで走っており、去年の10月にも奥能登を中心に走った。この半島を隅々まで走ったことがある私から見ると、この半島特有のものが見えてくる。

・能登半島は非常に大きい。日本全図で眺めると、
房総半島位の大きさで、私が住む静岡県にある伊豆半島の数倍はある巨大な半島である。


・巨大な半島であるがゆえ、輪島市や珠洲市、能登町、穴水町で形成され「奥能登」と称される半島の先のエリアまで行くのに、かなりの時間を要す


・道路整備が進んでおり、輪島市の山中にある「のと里山空港」まで無料の自動車専用道が延びている。

 

「のと里山空港」は小さな地方空港

同じ建屋に「石川県奥能登総合事務所」が同居(2023年10月撮影)


・前述の「のと里山空港」と空路があるのは羽田空港のみ。それも上下各2便だけ。

 

空路は羽田空港との間の上下各2便のみ(2023年10月撮影)

 


高い山は無いので、低山を縫うように地方道や広域農道が貫いており、道路が縦横無尽に走っている。一部にまだ険道はあるが、片側一車線の整備された快走路も多い。

 

半島山中を走る快適な広域農道


国道は主に半島の海沿いを走っており、特に奥能登エリアのR249は断崖絶壁や入り組んだリアス式海岸の下や上を走っている。これがツーリングエリアとしての能登の魅力でもある。


・海岸沿いだけでなく、高い山が無いので、内陸部各所に小さな集落が点在している。


・能登半島全体で過疎化、高齢化がかなり進んでいるようで、半島の先の方へ行けばいくほどその進行が酷いように感じる。


・能登半島で頻繁に見られる家は、黒い板塀と黒光りしている瓦で建てられたこの地方特有の木造家屋

 

能登半島で頻繁に見られる黒を強調した伝統的な木造家屋


・奥能登には輪島市以外の町ではスーパーマーケットやコンビニが非常に少ない。コンビニは珠洲市や能登町合わせた広大なエリアにファミマが数軒あるだけ。


・奥能登の主要産業は観光。その中心が輪島市。


・能登半島沖合には舳倉島という釣り人に人気の孤島もあり、輪島港から船が出ている。


冬は厳しそう。日本海に大きく突き出た半島で、特に半島西側のエリアは冷たい西風をまともに受ける。このエリアの海沿いの集落に行くと、この風から家を守る特有の壁(囲い)がよく見られる。

能登半島を一言で言えば、典型的な過疎地であり、特に
奥能登は超過疎地だということ。そんな地域を振興するためか、道路網は発達しているが、その道路網がズタズタに寸断され、孤立している集落も多いことだろう。また空港もあるが、開設されている空路や便数を見ると、今までの活用度合いは低いようだし、現在(1/4時点)、その空港も滑走路が損傷し使用できない状態。しかし、この空港が使えるようになり、道路の応急措置が取れれば復旧拠点になりそう。更に、幸い海に囲まれているから海からのアクセスもできるのではなかろうか。ただ、冬の日本海はかなり荒れる。

こんな厳しい土地で大地震が起きた。これは厳しい。まだまだ被災状況の全容がわかっていないが、被災地はこんな場所だということを頭の片隅に置きながら、今は状況を見守ることしかできない。