先週、ずっと右耳の調子が悪かったんです。
時々、水が入ったようなガサガサという音がする。
しかし耳を傾けて飛び跳ねてみても、水が出るわけでもなく。
音が出るタイミングが耳を傾けた時では無かったので、やはりこれは水が入ったわけではないんだろうなという感じでした。
そろそろ、耳鼻科に行ったほうがいいのかな、って思っている間に毎月恒例のアロママッサージの日になった。
今回は、側頭葉から首筋、後頭部にかけての凝りが強く、「眼精疲労か肝臓の疲れが出るところばかり」凝っていたとのこと。
肝臓は、怒りを感じた時にもダメージを受けるそうで、実はこれが心当たりがアリアリだったのです。
仕事でちょっとした出来事があり、頭に血が昇るような怒りを覚えたのを思い出しました。
怒りの感情は感じてはいけないわけじゃないけれど、自分の体にダメージを与えることがあるのだということを実感しました。
そして諸々の凝りをじっくりほぐしてもらったら、何と耳の不調が治ってしまいました。
施術後にそのことを伝えると、「凝りが強いと耳下腺に詰まりが出るので、そのようなこともある。」と。
たかが凝りだからと侮れないですね。
そして、たかだか怒りの感情でこのようなダメージを喰らうとは思いも寄りませんでした。
様々な感情が湧いては消えて行くのは人のサガですし、仕方のないことです。
でも、感情によっては自分にダメージを与えてしまうものもある。
できるだけそのような感情が湧き起こらない環境へ自分を逃すことも必要であることを学びました。
怒りのようなダメージの大きい感情が起こりやすい環境や関係性というのはやはり存在します。
そのようなものを「学び」として有り難く頂戴する考えもあるかもしれませんが、私は不要だと思います。
なぜなら、波長の不一致による感情的な摩擦というものもあり、そこから学べるものなどないからです。
同調したら、相手の波長に自分を合わせることになり、好ましくない結果を招きますから。
そのような波長に自分を合わせる必要はなく、「不要なもの」と認識するだけで、無意識に自分を逃してあげることができます。
今回は短い間の耳の不調ですみましたが、慢性化して治りにくい症状に進展することだってあり得ます。
もう同じ轍は踏むまい。
その時に起きた状況は2度と経験する必要はなく、その関係者とも関わる必要なないと改めて認識しました。
今回は、あっさり耳の不調が治ったので、めでたしめでたし、です。
腕のいいセラピストさんは、こんな時もしっかりサポートしてくれて心強い限りです。