「ディランさん文章盗んだ?」ノーベル賞記念講演 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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「ディランさん文章盗んだ?」ノーベル賞記念講演
【ミューヨーク=有光裕】
2016年のノーベル文学賞を受賞した米国の歌手。ボブ・ディランさんが、今月5日に公開された受賞記念講演で、内容の一部をネットから無断引用した疑いが浮上し、米欧メディアは14日、「盗作の疑い」(米紙ニューヨーク・タイムズ電子版)などと報じた。
 最初に疑惑を指摘したのは米オンライン誌「スレート」の記事。ディランさんが。自らの曲作りに影響を与えたとして、講演で掲げた米作家メルビルの「白鯨」に触れた文章の一部が、ネット学習サイトの作品解説と酷似しているという。
 ディランさんは2001年発表のアルバムで盗用疑惑が浮上するなど、近年は他のアーティストからの「無断借用」がしばしば指摘されている。ニューヨーク・タイムズ紙は「ノーベル文学賞を受賞した今となっては、その代償ははるかに大きい」と指摘した。


という記事が読売新聞に載ったというのをFACEBOOKのお友達の投稿で知りました。

この短い記事を読んだだけだと、ボブ・ディランが昔から「パクリ」を繰り返していたのだが、今回は「ノーベル文学賞」の受賞講演でのパクリなだけに、今までのように見逃すことはできないだろうといった趣旨の内容に読めるのですが果たしてそうなのでしょうか。というかボブ・ディランやロックというものを知らない人にとればそのように解釈されてしまうのだろうなと思います。




記事の中に「2001年発表のアルバムで盗用疑惑が浮上」という記述がありますが、そのアルバムとは『ラヴ・アンド・セフトLove and Theft』というアルバムで日本語にすれば『愛と盗み』というそのものズバリのタイトルでした。そして盗用されたという小説はなんと日本人の医師、佐賀純一による89年の任侠本「浅草博徒一代」というものでした。

ノーベル文学賞 ボブ・ディランが歌詞の世界に取り込んだ幻の名作 舞台は浅草、主役はヤクザ

リンクしたbuzzfeedの記事にもあるように、確かに「浅草博徒一代」からの引用(盗用)は感じられるものの出来上がった作品は「浅草博徒一代」とは違った世界観のものであり盗用にはあたらないという形で決着しているようです。

まぁ結果はさておき、ここで注目したいのはボブ・ディランのコアなファンにはディラノロジスト(ディラン学者)と呼ばれる人たちがいてディランの作品や発言のすみからすみまで分析しまくっていて、「浅草博徒一代」のような日本人でも知らないようなヤクザ小説の英訳本、もちろん絶版のものとの類似性までを見つけてしまうということです。

そんな人たちがいっぱいいるディランなのに、何故ノーベル文学賞講演という普段以上に注目される文章で「盗作」をしたのでしょうか?バレちゃうのミエミエですよね、とすればあえて「盗作」をしたのか?でも、なんで。

ここで注目したいのが

>講演で掲げた米作家メルビルの「白鯨」に触れた文章の一部が、ネット学習サイトの作品解説と酷似している

文章を「盗用」されたとする<ネット学習サイト>って何なんだろうということです。向こうの記事をあたってみるとどうやら「SparkNotes」っていうサイトが「ネット学習サイト」のようです。

いったいどんな内容のサイトかと言うとこんな感じのようです→SPARKNOTESで、自分の好きなところだけ、楽しくつまみ読み。

かんたんに言ってしまえば、国語などである作品について自分の意見をまとめてこいみたいな宿題が出された時に原本を読むのめんどくさいなぁと思った生徒はスパクノーツを見ればあらすじが読めるし、かつ作品についての背景や感想、作者のプロフィールなどといった情報がアップされており、必要に応じて文章をコピペ、加工して先生に提出しているのだとか。


つまり、ボブ・ディランはノーベル賞のアカデミーから、半世紀以上に渡るその詩作が「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で 新たな詩的表現を生み出した功績による」として文学賞に値すると評価されたわけです。そして受賞を受けての記念講演文の中で自身の詩作は「白鯨」やホメロスの影響があるとまことしやかに発言しているのですが、その「白鯨」との共通点を語る文章は実は自分の言葉ではなくて中高生が宿題のネタ元としているサイトからの「盗用」だったということなのです。

たしかに現象面だけ見てディランがスパクノーツからパクったとみることもできるのでしょうが、天下のボブ・ディランが前述したようにすぐバレるような状況下で中高生レベルのパクりを果してやるのでしょうか?いやいや、やらんでしょう。

とすれば、この行為は確信犯的にノーベル・アカデミー、文学賞をもらうことでディランは権威に屈したと批判した者たち、はたまた、まことしやかに受賞を正当化した者たち(僕も入ります)といったディランを取り巻くすべての者たちへの強烈な「皮肉」だったんじゃないかと思います。

ディランは死んでも治らない、恐れ入谷の鬼子母神であります。