鳥肌音楽 Chicken Skin Music

WRITING ABOUT MUSIC IS LIKE DANCING ABOUT ARCHITECTURE.


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FACE BOOKのグループで最近70年代前半にはPOPSの名曲が多かったという話題が盛り上がりを見せています。便乗してブログの過去記事「ALL JAPAN POP 20 1973年 年間ランキング 」をFBにアップしたのですが、そこで書いていたモーリン・マクガバンの「モーニング・アフター」の説明が間違っているというのはFB友から指摘されまして、調べたら確かに勘違いをしていたことが分かりましたので、ここで訂正ついでに記事にしちゃうことに。

まずは僕が書いた説明は以下のようなものでした。


20位 モーリン・マクガバン/モーニング・アフター
Maureen Mcgovern / Morning After



この曲は大ヒットしたパニック映画「ポセイドン・アドヴェンチャー」の挿入歌で見事に全米NO1を獲得。劇中でも豪華客船の中で開かれているカウントダウン・パーティーで歌う歌手役でこの歌を歌っていました。船が転覆した後どうしたんですかね。翌年にはこれまた大ヒットのパニック映画「タワーリング・インフェルノ」の主題歌「ウィ・メイ・ネヴァー・ラヴ・ライク・ジス・アゲイン」を歌ったり「キャン・ユー・リード・マイ・マインド?~スーパーマン愛のテーマ」を歌ったりとアメリカでは大作歌手というイメージなのかも知れませんね。けっこう思いイメージのような気がしますけど。


FB友からいただいたご指摘は以下の様なもの。

お邪魔します。シュガー・シェイカーと申します。第20位のモーニング・アフター・・・俺も大好きな曲なのですが石橋さんの説明ではモーリンが映画に出ていたように記述されていますが、劇中で歌っていたのはバンドのシンガー役のキャロル・リンレイという黒髪のオネーチャン。しかもパーテイーの席でほんのワンフレーズ位しか歌っていません。モーリン本人の歌ったテイクは一度も劇中に出てきません。劇場でみたときにはラストの救出シーンに重ねて流されていたように思っていたのですが、DVDになってから見たら、全くそういうことはなく、調べてみたらモーニング・アフターのモーリン・マクガヴァンのテイクは映画の宣伝用に後から作られたもののようです。そういうことってあるんですね。すいません、長々と・・・。

シュガー・シェイカー 2017-09-14 03:48:43


「えぇーそうだったの」ってことでちょっと調べてみました。

まずは、劇中で歌う歌手についてウィキの配役では以下のように書かれています。

ノニー・パリー(キャロル・リンレイ)ジブラルタルから乗船したバンドの女性。ボーカル担当。ギター担当の兄たちとシシリーのジャズフェスティバルに行くため、船賃代わりに演奏を担当している。彼女が歌う「Morning After」は本編の主題歌にもなっている。

ということですので

>劇中でも豪華客船の中で開かれているカウントダウン・パーティーで歌う歌手役でこの歌を歌っていました。

っていうのは完全な間違いです。歌手のノニー役のキャロル・リンレイCarol Lynleyの写真です。



で、こちらがモーリン・マクガバンの写真、全然別人ですね。



あと

>船が転覆した後どうしたんですかね。

と書いてますがノニーは転覆後に救助を求めジーンハックマン扮するスコット牧師と共に船底へと登っていく(!?)9人のうちの一人で最後まで生き残ったんだったはず。

ところでキャロル・リンレイは歌に関してはあまり自信が無かったようで、劇中で歌われる「モーニング・アフター」は吹替えだったようです。実際に劇中で歌われた(といっても完奏はしていないようですが)ものはこちらのバージョンのようです。




吹替えをしているのは、レネー・アーモンド Renee Armandという歌手。あれどこかで聞いたことあるぞという方もいらっしゃるでしょうね、SSWでジム・ゴードンの奥さんになってた人です。

ザ・レイン・ブック/ユニバーサル インターナショナル

¥2,202
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僕も聴いたことはありませんが、このジャケットには見覚えがあります。

さて、ではモーリン・マクガバンのヒットしたものは何だったのかということになるのですが・・・。

実はこの映画のサントラ盤が何故か当時は発売されていなかったみたいなのです。映画は大ヒットしているのにサントラがないことに目をつけたのが20th Century Recordsのマネージャーであったラス・レガンという人物。ラスは最初バーブラ・ストレイサンドに歌わそうとしますが、人気者のバーブラは別の仕事がありけられてしまいます。そこで思い出したのが彼のもとにデモ・テープを送って来ていたモーリン・マクガバンというセミ・プロ・シンガー。彼女の声を気に入っていたラスは自費でシングルを録音し発売することを決めます。こうして発売されたのがモーリス版の「モーニング・アフター」で5月に発売されたシングルは映画の中の声とは違うのですが、そんなことお構いなしで大ヒットし8月には見事全米1位となります。




当時日本で発売されたモーリンのシングルのようですが、しっかりと「サントラ盤」と書かれていますね。それにしても不可思議なのがこのモーリンの歌ったシングルがその年(73年)のアカデミー賞において「主題歌賞 Academy Award for Best Original Song 」を獲得しているということ。映画が20世紀FOXでシングルが20世紀レコードと系列会社ということで「主題歌」として公認されていたということなんでしょうね。うーん。

モーリス版が1位を獲得できたのはある理由があります。映画がヒットしたにもかかわらずサントラが出ていなかったことは書きましたが、なんと劇中で歌われていた「モーニング・アフター」が73年のアカデミー賞において「歌曲賞Academy Award for Best Original Song 」にノミネートされたのです。そして3月に行われた授賞式においてマイケル・ジャクソンの歌う「ベンのテーマ」など抑えて見事に「歌曲賞」を受賞してしまったのです。ちなみに授賞式でのパフォーマンスはリンレイは歌えないし、レネー・アーモンドはあくまで覆面歌手扱いなので公には出せなかったのかなんとあのコニー・スティーヴンスが歌ったとウィキには書かれています。

こうして映画を見た人はもちろん、見なかった人もその年のオスカー受賞曲ということでレコードを求めてお店に押し寄せるも、お店にはレコードが無くて困っていたところにモーリス版のシングルが投入されたわけですから、そりゃ売れるというものですよね。

後出しでヒットを横取りしてしまったモーリスは「ジェネリック歌手」といったありがたくないあだ名で呼ばれたりしたようですが、「モーニング・アフター」の作者であるアル・カシャ、ジョエル・ハーシュホーンに認められたのか、彼らが主題歌を担当した「タワーリング・インフェルノ」の「愛のテーマ」では正式に主題歌歌手となり映画にもカメオ出演したようです。


PS.2010年に突如として無かったはずのサントラ盤がCDで発売されます。ジョン・ウィリアムスのスコアを中心に「モーニング・アフター」も2バージョン入りということはモーリン版とレネー版が入っているということなのか?未確認ですみません。このCD自体も既に廃盤のようで中古は法外な値段になってますね。

ポセイドン・アドベンチャー (THE POSEIDON ADVENTURE)/La La Land /Rambling Records

¥2,862
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追記)アカデミー賞についてFBの方でモーリスが受賞というのはおかしいというご指摘をいただいので加筆修正いたしました。
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一か月ぶりのブログ更新となります。ここんとこ昼間の、いや夜もですが、暑さのせいか書き始めてもすぐに集中力が切れて尻切れトンボの下書きの山が増えるばかり。これはアカンということで帰省の際に親戚の家でいただいたシングル盤についてサラッと書こうと思ったのですが、書いてるうちにいつものようにあっち飛びこっち飛びになりながら、中途半端に長くなってしまいました。

とりあえず一発目は昭和30年代生まれであればみんな大好きな(ホンマか)この曲を。

The Three Dog night /An Old Fashioned Love Song


スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング An Old Fashioned Love Song」は1971年9月30日発売の7作目のアルバム『ハーモニー』からのシングルとして11月に発売されています。日本発売ははっきりしませんが12月3日付の「ALL JAPAN POP 20」で33位に登場していますので、やはり11月発売、東芝のレギュラー発売であれば11月25日発売かと推測します。本国アメリカのビルボードHOT100では12月18日から1972年1月1日の3週間最高位4位を記録する大ヒットになっています。日本でもヒットしていて、オリコンのチャートは分かりませんでしたが前述の「ALL JAPAN POP 20」では1972年の2月第1週から4週に渡り1位を獲得というこれまた大ヒットになっています。ちなみに2月第4週のベスト10は以下のとおりで、さらに言うと翌週の1位はビョルン&ベニーの「木枯しの少女」、メッセンジャーズの「気になる女の子」は期間中4週連続の2位、思いっきり割を喰っちゃってます、いい曲なんですけどね。

01スリー・ドッグ・ナイト/オールド・ファッションド・ラヴ・ソング
02メッセンジャーズ/気になる女の子
03ビョルン&ベニー/木枯しの少女
04レターメン/ラヴ
05レッド・ツェッペリン/ブラック・ドッグ
06シカゴ/クエスチョンズ67/68
07ドン・マクリーン/アメリカン・パイ
08恋は二人のハーモニー
09グラス・ルーツ/デイ・アフター・デイ バッドフィンガー
10シェール悲しきジプシー

THREE DOG NIGHT/AN OLD FASHIONED LOVE SONG



昔風の恋の歌
ラジオから流れている
その音楽には恋の歌は決して消えはしない
そんな誰かの想いに包まれている
ゆっくりと流れ続ける歌を
昔も聴いていたと君は誓う
でも昔に戻らなくてもいいんだ
恋の歌は決して消えないから

昔風の恋の歌
スリーパートのハーモニーで歌われる
流行おくれの恋の歌
それはきみと僕のための歌なんだ





日本盤シングルの解説を書かれているのは朝妻一郎さん。このライナーは何度か読んだことあるはずなのですが、冒頭に来日直前にメンバー1人の来日許可が下りず、すでにチケット完売後ながら来日中止になった旨のことが書かれていることはすっかり記憶から落ちていました。71年来日予定だったんですね。なんで許可降りなかったんでしょうね。普通に考えれば(!?)ドラッグがらみでしょうか。結局翌年の年末にめでたく初来日することにはなったのですが・・・。

ライナーには朝妻さんらしく作者のポール・ウィリアムスの紹介が書かれています。いわくロジャー・ニコルスと組んでカーペンターズのヒットの多くを作曲し多くのアーティストから注目されている云々。カーペンターズの名前が出たところで、ラジオから流れてくるオールディズに心をわしづかみにされてしまうと歌われる「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」ってカーペンターズが73年初夏にヒットさせる「イエスタデイ・ワンス・モア」(Rカーペンター/Jベティス作)に似ている気がしません?



子供の頃 大好きな歌が聴きたくて
ラジオの前にいた 待ちかねた歌がかかると
思わず笑いがこぼれた

楽しかったあの頃 たいした昔のことじゃないのに
そんな気持ちをいつしか忘れてた
だけど 思い出したの ずっと 会っていなかった友達のような
大好きだった 歌の一曲一曲を

”シャ・ラ・ラー”や”ウォー ウォー”という歌声は
今も輝いているし
”シング-ア-リング-ア-リング”って唄い始めるあの歌も
とっても素敵

私にとっての最高の想い出が
目の前に浮かんできて
泣きそうな気持ちになってしまう

そう昨日のことのように
想い出がよみがえるから


ひょっとしてリチャード・カーペンターとジョン・ベティスが「イエスタデイ・ワンス・モア」を書くきっかけは「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」を聴いたからなのじゃないのか。そんな妄想もひょっとしたらありかなというエピソードがカレン・カーペンターの伝記「Little Girl Blue」(Randy L. Schmidt著)に書かれているようです。伝記によれば、「愛のプレリュードWe've Only Just Begun」や「雨の日と月曜日はRainy Days and Monday」といったポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルス作の 昔風の恋の歌(old fashioned love songs)を取り上げてヒットさせてくれたカーペンターズにぴったりな曲として用意したのですが、何故かリチャードは曲を気に入らなかったようなのです。宙に浮いてしまった曲なのですがボツにするには勿体ないと、自分たちの「アウト・イン・ザ・カントリー」を全米11位のヒット曲にしてくれていたスリー・ドッグ・ナイトに売込み、見事に全米4位の大ヒットとなったのでした。曲の大ヒットを見ながらリチャードは逃がした魚の大きさに後悔をしたのではないでしょうか。

ただリチャードのえらいところは転んでもただでは起きなかったところで、おりからのオールディーズのリバイバルと自作のオールディーズ讃歌を組み合わせてアルバムを作ることを思いつきます。(オールディーズ・リバイバルについて詳しくはこちらを→リチャード・ネイダーとR&Rリバイバル 

私たちにとってうれしいことに、72年中ごろ、オールディーズのリヴァイヴァル・ブームが巻き起こりました。そうしたオールディーズの新しい人気をテーマにした曲を書いたらいけるだろうと思ったのです。私たちは72年からコンサートでオールディーズのメドレーをやるようになり、評判もなかなか良かったので、オールディーズのメドレーを73年のアルバムでやったらさぞ楽しいだろうとも思ったのです。そしてオリジナル曲は最終的に「イエスタデイ・ワンス・モア」となりました。

これをオールディーズ・メドレーとつなぎ合わせたら効果的だろうと考えたのです。というのも、オールディーズのサイドが切れ目のないノン・ストップ・ミュージックだからです。あの当時、よくやられていた50年代ものをやらずに、60年代ものをやることにしました。ラジオ番組仕立てにしたり、このメドレー作りは普通のレコーディングより遙かに大変でしたが、カレンとレイと私はスタジオでかってなかったくらいに楽しい思いを味わいましたし、本当に愉快なときを過ごしました。
byリチャード・カーペンター LPBOXライナーより

結果的にリチャードの作った新曲「イエスタデイ・ワンス・モア」は全米2位を記録し「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」に勝るとも劣らない大ヒットとなります。リチャードは溜飲を下げたことでしょうね。

さて、「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」に戻ります。この曲を紹介している文章を読むと「イントロのオルガンの音が昔の曲みたいで・・・」と書かれているものがいくつかありました。たしかにちょっと懐かしい音ではあるのですが、このオルガンの感じってプロコルハルム「青い影」とかヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」あたりの感じじゃないかという気もします。今から思えば確かに昔風(old fashioned)なのですが、当時からすれば5年ほど前のヒット曲、果たしてそこまで昔風だったのでしょうか?




ひょっとしたら、今僕たちが思うよりはるかに古臭い昔風の音楽に聴こえたのかもしれませんね。60年代後半から70年代の前半の数年間でポピュラー・ミュージックの世界は大きく変わっていますから。サマー・オブ・ラヴを経て対抗文化の象徴として「重厚長大」になっていったものが「オルタモント」などで幻想が崩壊しSSWに象徴されるような(言葉は悪いですが)「軽小短薄」なものへと変化していく。そういった意味合いでは当時の5年というのは今の5年に比べると「昔風」に感じられたんじゃないかなぁと思うのです。

ただイントロは少々「昔風」なものの全体としてはけっして「昔風」ではないサウンドだったと思います。実際、ポップ・チャートでは4位でしたがアダルト・コンテンポラリー・チャートでは見事1位に輝いていますので、十分に「今風」の音であったといえるかと。

ところで作者のポール・ウィリアムスも「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」を71年のアルバム『ジャスト・アン・オールド・ファッションド・ラヴ・ソング』の中の一曲として自演しています。アルバムの発売日は調べても分かりませんでしたが、スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」を含むアルバム『ハーモニー』の発売が71年9月ということで、ひょっとしたらポールの歌う本人バージョンを耳にしていた可能性はあったのかなぁ・・・。

Paul Williams - An Old Fashioned Love Song


作者バージョンを聴くと頭の部分は大人しめですが、サビのあたりからブラスが入って来て20年代30年代のニュー・オリンズとでも言えばいいのか、いかにも「昔風」なアレンジになっています。言ってしまえばタイトル、歌詞から受けるイメージにストレートなアレンジ。つまりは作者ポールの想定としてはカーペンターズやスリー・ドッグ・ナイトにもこれに近いアレンジで歌ってほしいと思っていたということなのでしょうか。

うーん、これだとリチャードは断りそうな気もするし、スリー・ドッグ・ナイトのちょい前の時代を「昔風」としたアレンジはコンテンポラリーな作家の隠れた名品をピックアップする選曲の妙が「売り」だった彼ららしい批評性の表れだったのかもしれないななんて勝手に思ったりもします。個人的にはポールのバージョンけっこう好きではあるのですが。


ポールは76年にマペッツ・ショーにゲスト出演し「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」を歌っています。

"Just An Old Fashioned Love Song" ~ Paul Williams ~ Muppet Show


このバージョンの愉快なところは最初一人で歌っていたポールに、マペッツのポールが加わって歌うのですがサビの「Coming down three part harmony」のとこ二人なのにどう歌うのだろうと思っていると何のことはない歌詞を「two part harmony」に代えて歌います。なぁんだと思って観ていると途中もう一人のマペッツノのポールが現れ今度は3人になってちゃんと「three part harmony」と歌う、ちょっとしたことですが面白い趣向です。

ってことはカーペンターズの場合も二人だから「three part harmony」という歌詞が断った理由だったりして・・・。「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」をあらためて録音したりライヴで歌うということもなかったカーペンターズなのですが、キャロル・バーネット・ショーというバラエティ・ショーにゲスト出演した際にホストのキャロルと三人でメドレーの一曲目として「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング 」を歌っています。





「Coming Down Three Part Harmony」の部分をわざわざ三人のア・カペラで歌って見せるなど(メドレーの最後にまた歌っています)「三人であれば歌っていたわよ」とTVの向こうのポールに言っているようで笑えます。しかし、カーペンターズがゲスト出演した日が71年の9月22日というのもなぁ、リチャードさん本当は録音したかったの?





ところで、シングルのレーベルがダンヒルじゃなくてステートサイドなのは何故なんでしょう、どなたがご存知ないでしょうか・
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5月27日にガンで亡くなったグレッグ・オールマンの9月8日に発売される最後のスタジオ・アルバムの詳細が分かったようです。タイトルは予定どおり『サザン・ブラッド』で、収録される10曲は以下の通り。

1. マイ・オンリー・トゥルー・フレンド / My Only True Friend (Gregg Allman-Scott Sharrard)
2. ワンス・アイ・ワズ / Once I Was (Tim Buckley-Larry Beckett)
3. ゴーイング・ゴーング・ゴーン / Going Going Gone (Bob Dylan)
4. ブラック・マディ・リヴァー / Black Muddy River (Jerome J. Garcia-Robert C. Hunter)
5. アイ・ラヴ・ザ・ライフ・アイ・ラヴ / I Love the Life I Live (Willie Dixon)
6. ウィリン / Willin' (Lowell George)
7. ブラインド・バッツ・アンド・スワンプ・ラッツ / Blind Bats and Swamp Rats (Jack Avery)
8. アウト・オブ・レフト・フィールド / Out of Left Field (Dewey Lindon Oldham Jr.-Dan Penn)
9. ラヴ・ライク・ケロシン / Love Like Kerosene (Scot Sharrard)
10. ソング・フォー・アダム feat. ジャクソン・ブラウン / Song for Adam featuring Jackson Browne (Jackson Browne)

*( )内は作曲者



Southern Blood/Gregg Allman
¥価格不明 Amazon.co.jp


新曲の「マイ・オンリー・トゥルー・フレンド 」を除く9曲はディランの「 ゴーイング・ゴーング・ゴーン 」やリトル・フィートの「ウィリン」などの既存曲のカバーになりますが、タイトルを見ているとボウイの『ダーク・スター』やコーエンの『ユー・ウォント・イット・ダーカー』と同じく最後のアルバムとなることを意識した選曲のように思われます。選曲についてはプロデューサーのドン・ウォズ、マネージャーのマイケル・リーマンと協議して決めたのだとか。

もはや『死』や『老』というのがロックの大きなテーマになっていることが、ここでも見て取れるかと思います。




新曲「マイ・オンリー・トゥルー・フレンド 」の中でグレッグは "きみと僕どちらも知っているんだ、「道」こそが僕の唯一の本当の友だって" と歌っています。「道」についての言及はグレッグの最初のソロ『レイド・バック』でカバーされたオールマン・ブラザースの初期の代表曲「ミッドナイト・ライダー」の ”「道」は永遠に続いていく” など、オールマン・ブラザース、ソロを通じての一つのテーマと言えるようです。


また『レイド・バック』にはアワー・グラス時代に家をシェアするほどの中であった友人ジャクソン・ブラウンの「青春の日々These Days」のカバーが収録されていました。そして今回の『サザン・ブラッド』の最後にはジャクソン・ブラウンの1stに入っていた「ソング・フォー・アダム」が収録されています。最後のアルバムのラストという正真正銘の「スワン・ソング」として何故「ソング・フォー・アダム」が選ばれたのでしょうか。


「ソング・フォー・アダム」という曲についてあらためて調べると、ジャクソンにはアダムと言う名前のちょっと変わっていて人生をドロップ・アウトしてしまった友人がいたのですが、ある日共通の友人からアダムが自殺したという報せを聴いた時の思いを歌にしています。






アダムは僕の友達だった 
ずっと彼のことを知っていたわけじゃない
彼の傍にいた時は 
自分を強い人間と思ったことはなかった
彼は歌の途中で歌うのをやめてしまったんだと今も思う
分かってたなんて言うつもりはないけど
彼が間違っていたんだと思いたい

僕は一本だけのロウソクを掲げている
だけどその光は僕の人生を照らすには弱すぎる
この話はロウソクの光の下に置かれている
そしてロウソクはその時に向かい 刻々と短くなっていく
僕は自分がロウソクのようだと感じる
そこへたどり着くことを望むけど 祈ることはしない



同じ理想を抱き同じ道を進んでいたはずの友達といつしか進む道が違い別れてしまう。その後、友は人生をリタイヤしてしまう。ひょっとしたら彼の選んだ道は純粋な道だったのかもしれないと思う自分がいる。彼は去り僕はここに居る。僕のロウソクの光は弱く正しい道をすべて照らしてくれるわけじゃない。だけど、少なくともその弱い光を僕は信じて前へと進みたい、「死」が訪れるその日まで。

そんな思いでグレッグは「ソング・フォー・アダム」を選んだのじゃないのかなと思ったりします。そして、グレッグは録音した「ソング・フォー・アダム」をジャクソン・ブラウンのもとに送り、ジャクソンの歌をオーバーダブしてくれないかと頼みます。

 彼が亡くなった週に、彼と話す機会があった。
彼の音楽や友情が僕にとってどれだけ意味があるか、彼に伝えた。
彼は最近、僕の初期の曲の1つ「Song For Adam」をレコーディングしていた。
彼とドン・ウォズは、僕に歌うよう、それを送ってきた。僕はそうしたよ。
この曲、彼の歌い方、どんな状況で歌ったのか――人生の最期に――彼は曲を完成し、曲に彼にしかできない奥深さと厳粛さを与えた。
(ジャクソン・ブラウン Barksより引用)


こんな言葉を読むとすぐにでもグッレグとジャクソンによる「ソング・フォー・アダム」を聴きたくなるというものですが、それは後1か月ちょい先の楽しみとして新曲の「マイ・オンリー・トゥルー・フレンド 」を聴きながら待つことにしましょう。

前述したようにこの曲はグレッグがデビュー当時からずっと「道」について歌ってきたことについて、「道」こそが唯一の友だったこと君も分かっているよねと僕たちに歌いかけてきます。そして同じ歌詞の中では  "僕が逝ってしまっても、僕の魂のこもった音楽の虜でいてほしい I hope you're haunted by the music of my soul, when I'm gone"と歌われているのですが、その心は「アンタも自分の「道」を行ってほしい」ということなのかな。


分かったよグレッグ 、ありがとな R.I.P.
 
GREG ALLMAN /MIDNIGHT RIDER



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今からちょうど60年前(1957年)の今日7月6日(英国時間)はジョン・レノンとポール・マッカートニーが運命の出会いをした日です。




1957年7月6日の午後、16歳のジョン・レノンが率いるスキッフル・グループのクオリーメン (Quarrymen) はリヴァプールのウールトンの聖ピーター教会の野外バザーで演奏を行いました。

教会のバザーは音楽の他に様々な露店やゲーム、警察犬による演技、薔薇の女王の戴冠式などもありリヴァプールの住民にとっては年一回の楽しみのひとつでした。そしてクオリーメンのパートタイムの茶箱ベース・プレイヤーであったアイヴァン・ヴォーンはクラスメートで音楽の大好きな15歳のポール・マッカートニーを誘ってクオリーメンのライヴを観にやって来ていました。

そしてライヴの合間で休憩しているジョン・レノンにポール・マッカートニーを紹介します。しばし雑談を交わした後、ポールはジョンのギターを手に取りチューニングを直すとエディ・コクランの「20フライト・ロック」とジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・アルーラ」を歌ってみせました。

ポールのギターの腕前、およびちゃんとチューニングができること、および歌のうまさに感心したジョンは彼をクオリーメンに誘うことを考えます。ポールが加入すればバンドの演奏力は上がるが年下ながら自分より音楽の知識、技術があるメンバーの加入は自分のリーダーとしての立場を危うくさせるのではないかと逡巡はするものの最終的にはバンド、ひいては自分の成長を目指すためにポールをバンドに誘い、ポールも自分の大好きなR&Rをかっこよく歌うジョンに魅力を感じ誘いにのっかることになります。




以上が20世紀の音楽を変えたビートルズの2つの才能の出会いと、一緒に音楽を始めるまでのあらましです。

この時、クオリーメンがステージで歌っていた曲の一曲が、56年12月にインディーズのフィー・ビーから発売されローカル・ヒットし、翌57年1月にドットが買い取り全国発売し見る間にチャートを上昇し2月16日に全米4位となったデル・ヴァイキングスの「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」でした。

Come And Go With Me- The Dell Vikings


愛して 愛しておくれ ダーリン
俺と一緒にいておくれ
お願いだからよしとくれ
海の向こう行けなんて
お前が必要なんだ
だから俺と一緒にいておくれ

来なよ 来なよ こっちに 来なよ
俺の心の中に
言っておくれ ダーリン
お前が必要なんだ ダーリン
だから俺と一緒にいておくれ

そうさ お前が必要
ホントに必要なんだ
別れるなんて絶対言わないでくれ
絶対に言わないでくれ
チャンスはないわ なんて


ポールはこの歌を聴いた時のことを95年のインタビューで次のように語っています。

>園遊会に行ってすべての余興を見た。そしてタンノイ の小さな音響システムから漂って来るすごい音楽を聞いた。それがジョンとそのバンドだった。僕は驚いて「おお、すげー」と思った。なぜなら僕は明らかにその音楽にハマってしまっていたんだ。たしかジョンは「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」を歌ってた。すごいなと思ったよ。でもすぐに、歌詞が違うことに気がついた。少し変えていたんだ。「俺と一緒に行こうぜ・・・はるか刑務所まで」なんてね。彼はそれをラジオで聞いたんだけど歌詞は知らなかった。でもコーラスは覚えていたので、あとは彼が自分でつくったんだ。フォーク・ソングの歌詞や監獄のくだりを拝借して、デル・ヴァイキングスの曲にとりこんでいた。うまいことやるな、って。
僕は思った「うーん、彼はルックスもいいし歌もうまい。まるで僕のためのリード・ボーカリストみたいじゃないか。」もちろんメガネは外していたから、彼は本当にマイルドな印象だった。ジョンは良かった。彼はただひとり目立つメンバーだったよ。他は目に入らなかった。


ただこれは、二人の出会いについていつも質問されることになかば辟易としたポールがマス・メディア用に用意したお利口な方の第一印象で、別のインタヴューでは最初のジョンの印象をぶっちゃけています。

>第一印象は「こりゃたまげた、歌詞をその場ででっち上げているぞ」だった。デル・ヴァイキングスの「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」を歌っていたんだけど、歌詞をただの一語も知らないんだ。歌いながら歌詞を全部作っている。すごいと思ったよ。


最初のインタビューでポールが触れているように、この時点では二人とも「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」のレコードは持っていなかったようです。おそらくはラジオから聴いたりNEMSで試聴しただけだったのでしょう。でもいい歌だなぁと思ったポールはしっかりと歌詞を覚えてましたが、ジョンときたらまったく覚えていなかったということですね。「カム・アンド・
ゴー・ウィズ・ミー」ですからね、日本人の僕が聴いてもある程度歌詞が聞き取れる平易なドゥー・ワップ、それを英語が母国語のジョンはまったくお覚えていなかった。ステージで取り上げるほど気に入った曲のはずなのに。

おそらく、その場にいた大勢の中でジョンとポールしか知らないようなとっておきのR&Bソングである「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」を唄いポールを「おぉ」と思わせたジョンですが、さらにその歌詞がデタラメだった、でも自分が歌うよりも絶対カッコよくて大好きなリトル・リチャードやプレスリーに通じるR&Rをポールに感じさせた。自分の音楽的な才能に自信を持っていたポールですが、自分とは全く違う才能を見せつけられてしまった。だからポールはジョンのバンドに加わった、そういうことなんだと思います。ステージの上のジョンは芝生の上のポールに「俺と一緒にいておくれCome and go with me」と歌っていてポールはそれに従った。

運命という名の必然。

それが、僕も大好きな「カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー」で引き起こされたということを知り、なんだかちょっと嬉しく
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>宗男:でも、あれだっぺ、思ってることをよ、かっこつけずに思いっきし叫ぶと何だか力がでるっぺ。それに、笑えるっぺ、なんだか・・・・・。

それが、ビートルズだ。

だから好きなんだ俺は。うん、何でもいいんだ、うん。難しいことじゃなくていい、何でもいいんだ。腹立つことでも、仕事休みてぇーでも、あの娘が好きだーでも。何でもいいんだ、今思ってることを叫ぶんだ音楽に乗せてな。エレキ・ギターとかでよ、ウワーっとでっけぇ声で叫んでるべ、「うるせぇわー」っと思うかもしんねぇヶど、でもアレはできるだけ遠くまで届けるためなんだ、気持ちをな。だからでっけぇ音なんだ。

だからよ,聴いてると、何か心が晴れるんだ、一緒に歌いたくなるんだ。でよ、それがレコードとかになるとイギリスから茨城まで届くんだ、すげぇね、もう。



先週末の「ひよっこ」は「ビートルズきちがい」の宗男おじさんの一人舞台でした。
宗男おじさん演じる銀杏ボーイズの峯田和伸くんの髪が異常長いため、マッシュルーム・カットをデフォルメしすぎているとか、時代考証やビートルズの取り上げ方が雑だとか、俗っぽいドラマでビートルズを取り上げるなとかいろいろと外野からの批判も多いようです。

でもまぁもともとビートルズを描いているドラマでもないし、宗男おじさんを通じてのビートルズ体験やその他もろもろの出来事によって集団就職で東京にやってきた田舎娘のみね子(有村架純)が成長していく様を描く物語なので、ビートルズそのものというよりはみね子や宗男他の当時の市井の人たちがビートルズをどのように捉えていたのかっていうのがエピソードの要なんだと思います。

で、宗男のワンマンショーとなるわけですね。




宗男の言葉はもしかすると後世の「ビートルズ来日」の評価に寄せ杉なのかも、本当はもっと整理できない混沌としたものだったのじゃないのかなとは思いながらも、おおむねそういうものだったのだろうなと。(この後の物語で何故44歳で英国との戦争を体験した宗男が英国のR&Rバンドであるビートルズに夢中になったのかが語られます(涙)。)


おそらく「ビートルズ来日」が一般的に事件だったのは東京を中心とした都心部の若者たちだけで、地方では言うほどの「大事件」ではなかったのじゃないかとも思われます。先週の前半で描かれていたように一般的にはビートルズより加山雄三やロス・プリモスだったというほうが正しいのだろうとも思います。

黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」

(頭の♪七色の虹が消えてしまったの♪の歌詞はシュガーベイブの「ダウンタウン」に影響を与えています)


それでも、ビートルズの来日という出来事によって東京周辺だけでなく日本中の若者たちの心の中にあった「何かsomething」の扉が開かれてしまったのだと思います。それは宗男の言葉で言えば「思ってることをよ、かっこつけずに思いっきし叫ぶと何だか力がでるっぺ。それに、笑えるっぺ、」という気持ちでもあったろうし、それはおそらくはビートルズじゃなくても普段の生活の中で何かのタイミングで感じることがあったもの、でも自分たちより前の世代の人たちは大人になるためにはいつかは忘れていった「何か」。


The Beatles - Rock & Roll Music


その「何か」をもったままでも大人になれるんだという、イギリスやアメリカの若者たちはすでに10年前には経験していて、それは日本の若者の中にも徐々に育ってきていた思い。それは、何かのきっかけさえあれば一気に爆発するそんな状態に66年の日本は、東京はなっていた。その導火線になったのが、ビートルズがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ!ということだったんだろうなぁと俗っぽいドラマを見乍ら思うこの頃でした。



宗男のワンマン・ショーのラストでは茨城に比べ星が少ない東京の夜空に向かって、みんなで「ビートルズ待ってっぞー」と叫んで終わります。夕陽を追いかけ渚を走る青春ドラマそのもの、でも「ロック」という概念がいまだなかった時代ですから、そんなもんなんでしょう(笑)

The Beatles - I'll Follow The Sun - Lyrics



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