イスラエルの戦争犯罪を容認するボブ・ディラン | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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ディランについての記事をむこうのネットで検索していて、いくつかの記事においてディランとイスラエルの関係性に触れているものにぶちあたりました。アメリカでは割と知られたことなのかもしれません。しかし、日本では今までお目にかかったことのない内容なので少なからぬショックを覚えますが、もともとディランはユダヤ教を信仰している人なので、そういう部分もあってもおかしくないのかなという気もします。

「風に吹かれて」や「激しい雨が降る」「戦争の親玉」といった反戦歌を歌ったディランが、ダイナマイトを発明し戦争で一儲けした男が立ち上げたノーベル賞を受けるはずがない。ディランは常に反体制、反権威の男で人権主義者で平和主義者と信じて疑わない日本のファンにはちょっと信じがたい記事かもしれません。

Michael F. Brown 18 October 2016
Bob Dylan’s embrace of Israel’s war crimes
からの抄訳です。誤訳もあるかもしれませんが大意は伝わるかとなにとぞご容赦を





音楽の天才ボブ・ディランがノーベル文学賞を先週受賞したことが論争の的になっている。

彼の音楽的才能を評価している一部の評論家でさえ、受賞は文学賞の拡大的解釈だと主張している。彼の音楽が数百万人の人々に戦争反対や人権意識を喚起させたことに対しての評価ではないのかと。

しかしながら、アーチストにはあまり知られたくない、感じの良くない側面があるものだ。ディランの場合はイスラエルのラビ・メイヤ・カハネとユダヤ防衛同盟(JDL)との関係だ。



1983年、ニューヨークタイムズのスティーヴ・ホールデンはディランのアルバム『インフィデル』について「近年、時代精神を失っていたロックのレジェンドの気がかりな回復」と書きました。そして「イスラエルへの率直な擁護である「ネイバーフッドの暴れ者 Neighborhood Bully 」とアメリカの労働組合を告発するゴスペル・ブルース「ユニオン・サンダウン」の2曲の政治的な歌によってそれは声高に主張されている」と言う。

「歌詞は怒った変人がでたらめなパンチをくりだし、一人か二人倒れればOKというようなものだった」

アラブの暴力による永遠の犠牲者というイスラエルの物語を、おうむ返しのように語る歌詞で始まる「ネイバーフッドの暴れ者」は、イスラエルによって何万人もの血が流されたレバノン侵攻の一年後に発表された。


(例によってディランの音源はアップされていないのでカバー・バンドのものです)

さて、ガキ大将 彼はたった一人の男
敵は 自分たちの土地に彼がいるという
やつらは数で勝っていた 100万対1 
彼に逃げる場所はなく 走っていく場所もない
彼はガキ大将


イスラエルのレバノン侵攻はアメリカにとっての泥沼のベトナム戦争に例えられ、イスラエル国内でさえ反対があった。ベイルート占領時のイスラエル民兵によるサブラとシャティラのパレスチナ難民キャンプでの残酷な大虐殺を世界が目の当たりにした、その後でさえイスラエルを擁護する歌詞をディランはあいかわらず歌っていた。

今日、その歌詞は、ベンジャミン・ネタニヤフやアヴィグドール・リーバマンやナフタリ・ベネットといったのイスラエルのリーダーたちの政策に顕著な人種差別的なナショナリズムへの前兆として読むことができる。
 
曲をさらに聞くと、ディランはアメリカ政府からイスラエルへの強い援助、特にアルバムが発売する直前に行われたカーター政権による強大な軍事力の援助についての無知さを露呈している。

資金提供は今日まで続き、最近のオバマ政権との交渉を含む10年間でも記録破りの380億ドルに達している。

それでもディランは歌う。

彼は心をわって話せる友達がいませんでした
愛では手に入らないから 金で支払うしかなかった
旧式な武器を買うしかなかった 仕方がなかった


アメリカ国内でディランが後押してきた平等の権利も、イスラエルとその隣国たちに関する彼の政治観の下ではどこかへ忘れ去られてしまうようだ。

アメリカの権力に対するディランの挑戦も、イスラエルについてはユダヤ防衛同盟(JDL)を創設し人種差別主義的なカハ党を創設したラビ・メイヤ・カネハから学んだ偏向した現実認識のためにイスラエルの交戦状態を容認する方向へと変更されてしまう。

ディランとカハ党およびJDLとの関係は明白とは言い難いが、1971年にはニューヨーク・タイムズのアンソニー・スカデュトによって調査されていた。

「イスラエルとユダヤに対するディランの関心は彼をメイル・カハネ導師とJDLとの予想外の関係へと導いた。」とスカデュトは書きます。

伝えられるところでは、歌手は何回かのJDLの会議に出席し、組織に対し資金を与えていたかもしれないという。

「ユダヤ人の子供を含む、多くの若い過激派たちにとり、イスラエルは簡単に言えばファシストであるアメリカ政府によって支えられるひとつの州である、そしてディランのイスラエルに対する熱心な支持と彼のあからさまなJDLへの接触は彼が政治的に右寄りになった兆候になる」

45年にわたる反戦運動から離れて漂流するディランと彼のレバノン侵攻後のイスラエルに対する容認は、イスラエルに対するボイコット、投資の引き上げ、そして制裁の運動(BDS運動)の一環として2011年にイスラエル公演を行わないように(ロジャー・ウォーターズらに)要請されても、それを拒絶し公演を敢行したことに何の違和感もいだかせるものではない。

すべてのパレスチナ人のための平等の権利や占領の終結、難民の帰還といったBDS運動のカギとなる要求は「ネイバーフッドの暴れ者」を書いた男の心に届くことはない。



皮肉なことにディランとピンクフロイドのロジャー・ウォーターズは今月のフェス「デザート・トリップ」で同じステージに立った。

しかしながら、今日、BDS運動を支持しているのはウォーターズだ。“壁をとっぱらえ ”とスペイン語で書かれたTシャツを着てトランプの人種差別主義に抵抗する子供たちを支持するのもウォーターズだ。

フェスティバルにつめかけた何万人もの観衆の前でパレスチナで司法を学ぶ学生を激励したのもウォーターズだ。

ウォーターズもディランもともに70代だ。

一人はこの50年で自由と平等の権利のために戦い続ける意欲を増大させてきた。
他方は不可欠なはずの政治的公約から距離を置くことでノーベル賞を受けた。

今日、ディラン自身の最も有名な歌詞の精神を、誰よりも体現することができるのは、残念ながら「ボブ・ディラン」ではない。


人は何年経てば
自由になれるのだろう?


Roger Waters - GE Smith - Blowing in the Wind - Dylan Cover