自分と復縁 変わらない人生を変えた七恵の物語 | 復縁したい人が最後にたどり着くあなたと彼がもう1度"幸せな恋人"に戻る『復縁の成功法則』心理コーチ さとうみちこ

 

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今からあなたに

お伝えする話は




つらい人間関係から解放
されることは、ないと信じる
方が楽だった。



大人からの過剰な体罰。
味方などいない世界。
学校側の仕打ち。




毎日が生きるか死ぬかの
瀬戸際だった過去を持つ女性が

「生きざまを変えた話」




彼女の名を七恵とする。




七恵の物心ついた時には
いつも両親のケンカの中に
身を置いていた記憶から始まった。








七恵は父親の怒鳴り声を

聞くたびに、自分の息が

思わず「ハッと」止まるのを

感じていて




物が飛び、何かが割れる音。
母親の悲鳴を聞いても
4歳の七恵には、どうする
こともできなかった。




激しく罵り合う両親の
話題のネタは、生活費や
「七恵の存在」だった。



母から
「お父さんはあなたの
ことが好きじゃない」



そんな風に何度も聞かされて
分かったような、分からないような
しかし、七恵を落ち込ませるには
十分な言葉だった。



「お父さんは、私のこと
嫌いなんだ…」



父が毎日怒って母に対して
暴力を振るうのは「もしかしたら
自分が生まれたからなのかも…」



そんな思いを持ちつつ
自分の何を変えたらいいのか
どうしたら満足してもらえるのか




何をしたら、怒鳴ることや
殴ることをやめてもらえるのか
子どもの七恵には、分るはずも
なかった。




「お父さんは自分のことが嫌い」
七恵の「そうであってほしくない」

その思いを、決定づける
出来事が起きた。



酒癖の悪い父が酔っぱらって
刃物を七恵に振り回してきたのだ。



もしかしたら自分は死ぬ
かもしれないと感じながら



七恵は瞬間的に
母に抱きしめ守られて
いたことを最後に



どうやって
その場を、やり過ごしたのか
記憶がなかった。









七恵にとって、生きることが
なんとなく、つらい…と
思わせるようになったのは



そんな怖い夜が過ぎても朝
目が覚めて、いつも母がそばに
いないことだった。



七恵の母は
人間関係が上手くいかず
転職ばかりを繰り返していた
稼ぎの悪い父の代わりに



幼い七恵を置いて、早朝から
働かざるをえなかった。



七恵はただただ布団にもぐって
怖い思いをしないように、じっと
しているしかなかったのだった。



「お母さん…

早く帰ってきて…」

 

 

 

真っ暗な布団の中で

七恵はうずくまって

声をたてずに泣くのが

日課のようなものだった。









大人の事情など分からない
子どもの七恵にも、はっきりとした
人生の変化を感じたのは
6つの時。





両親が離婚をした。
母が七恵を連れて
育った家を出ていく
ことになった。



「私はお父さんに

捨てられたんだ…。」
七恵はそう理解した。




寂しくても母に言えば
困らせてしまう。でも
あの嵐のような大人の
ケンカに巻き込まれないと
思うと、ホッとするような



わけの分からない気持ちが
七恵をめちゃくちゃにしていた。



「あなたはお母さんが
死ぬ思いで産んだんだよ」


「あなたはもしかしたら
いなかったかもしれない。」



この母のセリフにどんな
意味が込められているのか
七恵は子どもながらに十分

理解しているつもりだった。



だが、そんな風に言われるたびに
どうすることもできない
自分の無力を感じながら

 

 

七恵は母に対して心の中で

詫びるしかなかった。




「私はもしかして…
産まれない方がよかったのかも…」



七恵が産まれてまだ6年。
だが泣いても、どうにもならない
ことを、七恵は理解していた。



暗澹とした気持ちが
みぞおちの辺りにいつもある
ことを感じながら



まだ十にもならない子どもが
そんな風に、自分が生きることに
疑問を持つようになっていた。









七恵の人間関係の構築の
仕方は、両親と学校で
作られていったといえる。




普段の生活で、安心を感じる
ことができなかった七恵にとって
見ず知らずの他人と長時間
過ごすことは、怖いこと
でしかなかった。




怒鳴り声や、大きな物音は
父を連想させた。




人からいつ、何を、どうされるのか?
自分が人に嫌われないために
どうやって人と関わったらいいのか?




不安と共に
小学校生活が始まった。




いつも何かが怖く
下を向いて歩いている七恵の
ことを、敏感に感じ取るクラス
メイトたちが




「アイツにはお父さんがいない!」
ということを皮切りに、大人には
分からない、だが子どもの世界で
ハッキリと理解できるいじめに
なっていった。





両親の離婚は、自分が
決めたことでもないのに、蔑みの
視線や、バカにする態度や言葉は
七恵をどんどん消耗させていった。




いじめがエスカレートしても
七恵に「学校を休む」という選択肢は
なかった。休みたいと言うと
母が七恵を殴るからだった。



「私は、みんなに何も
悪いことはしていないのに…」




泣いても我慢しても、ブスやバカと
人からひどい扱いを受ける。
担任の先生に伝えたくても




考えられないようないじめによる
わざと転ばされたりなど、身体的被害が
毎日のようにあり、これがなくなるとは
とても思えなかった。




母の理解も得られなかった。
七恵の母は「学校に行かない
子供は、人として出来損ない」
という信念があった。





そんなことを思い出しながら…
担任に、自分が受けている仕打ちを
七恵は伝えられなかった。




もう一つ…。
子どもを指導する立場の
担任も、七恵にとっては
クラスメイトと一緒に



自分を授業中にバカにする
材料にしていたのを、なんとなく
感じていた。




そんな状態の小学校生活が
続き、それは中学生になっても
変わることはなかった…。








七恵が学校で受けた「仕打ち」は
数えたらきりがない。



教科書に落書き、机に落書きをされ
鉛筆や消しゴム捨てられたり
ペンケースを捨てられたり



靴を隠されたり、捨てたれたりなど
とりわけグループを決める時が
一番つらいものになった。




ハブられて、周りが渋々入れる
疎外感や、汚いものを見るかのような
クラスメイトの反応に




「もう人に近づくのはやめよう…」
と、クラスの写真を撮るのも
人と離れているようになった。




そんな七恵にも、たった一つの
救いがあった。母方の祖父が
七恵に優しく接してくれた、唯一の
大人だった。



七恵が寂しい時は母の職場に
原付で連れていってくれたり
優しい言葉を、七恵にかけて
くれるのだった。





だが、その祖父も亡くなった。










そんな七恵に転機が訪れた。

 

 


転校してきた女の子と、仲良く
なることができ、その子だけは

七恵のことを汚いあだ名で

呼ぶこともしなかった。





七恵に物や傷つける
言葉をぶつけたり
すれ違いざまに



「キモッ」
「ちかよるなー!」
「汚いんだよー!」
と、心を切り裂くことを
七恵に言うこともしなかった。




七恵は初めて、友達という
存在を得て、人と楽しくしゃべる
のが、こんなに楽しいものだった
のだと…嬉しいと感じられることが
嬉しかった。





朝のつらい目覚めも
その子の存在があるというだけで
クラスメイトのいじめの痛みを
大きく緩和してくれていた。





「ずっと、私とお友達で
いてくれたらいいな…!」





もしかしたら大それた願いだろうか?
七恵は初めてできた友達に
自分の中で、そんな淡い期待が
育っていった。









友達になってくれた子の誕生日の
パーティーに誘われ、七恵は
学生生活で初めて「楽しい」という
時間を過ごせたのかもしれない。




中学の修学旅行の班をきめるときに
「修学旅行の班も一緒だ!」
七恵は、こんな自分に優しくしてくれる
その友達と一緒なら、そこだけは自分を
いじめる空間は作られないだろうと思った。




だが、そんな淡い
期待も裏切られてしまった。
転校生は、七恵をいじめる側に
回っていた。





七恵には、小学生の時に
唯一の友だちであった
子の存在はあったのだが…




友達だと思っていた女の子は

小学4年生から、七恵との距離を
おくようになった。




理由は、七恵には
まったく分からないまま

その関係は、消滅した。









その頃の七恵の家では
家族や親戚の「仕置き」
という名目で




ストレスがたまった家族から

熱いものを七恵の肌に

押し付けようとするなどの

被害から、身を守ることで

いっぱいだった。




母も、あえて七恵を
助けようとはしなかった。




「泣いたり怖がっていたら
生きていけない」



「私は人から愛されない」
「人に近づくと傷つく」
「人より目立つといじめに遭う」
「私は我慢する」
「何をされても耐える」
「なにをされても平気」




七恵には、この過酷な人生を
生き抜くために、そんな
価値観が出来上がっていた。








14歳の頃だろうか。




クラスメイトというより、学年全体が
七恵のことを「アイツはバカにされて
いる存在」という残酷な認識が広まり




七恵を守る役目を放棄した
担任の扱いも、ひどくなっていった。




難しい問題をわざと七恵に
指名して、正しい答えを言わないと
35人の生徒と一緒に、あざ笑う
ことも珍しくなくなった。




学校を休もうとしても地獄
行っても地獄




そんな七恵の考えたことは
誰にも会わない公園のブランコに
座って、時間をつぶすことだった。




学校を行かずに、公園にいたら
いつか親にバレるということも
七恵は感じていた。




「私はどうやって生きていこう…
ずっとこの生活が続くのだろうか…」




七恵は、延々と答えの出ないことを
考えながら「もしかして…自分が
死んだら、人からいじめられること
から解放されるだろうか?」



そして気が付くと
七恵は高いとこから下を
見下ろすようになっていった。




「飛び降りたら、もういやなことは
全部なくなるよね…?」




明日も明後日も
自分の身に起きる学校の
いじめや、親せきの「仕置き」
を受けることを考えると




今の七恵には、怖いけど

とても魅力的な想像だった。





「私がもし死んだら…
お母さんは、私がいなくなった
ことを、後悔してくれるだろうか?」



「私をいじめる人たちは
私がいなくなることで、罪悪感を
少しでも感じるのだろうか…?」



そんな重い気持ちに
揺られながら、自分の落下を
想像すると、やはり怖さがわき

考えを改めることを繰り返していた。







 

七恵にとって

高校受験の目的とは

「絶対自分のことを誰も

知らないところに進学する」

ことだった。

 

 

 

環境が強制的に変わる。

七恵にとっては願ってもない

ことだった。

 

 

 

 

七恵は高校入学と同時に

人々を観察し始めた。

 

 

 

どういう人間が好かれて

いるのか、徹底的に観察した。

 

 

 

それが大人になって功をなし

他人が見る七恵はなんと

 

 

 

 

底なしに明るい

「悩みなんて持っていなさそう」

という、そのような人物として

他人から認識されていた。

 

 

 

 

七恵はどんな心の痛みを伴っても

笑ってさえすれば、人に好かれる

という、成功体験を積み

重ねていった。

 

 

 

自分から楽しく!

自分から物を与える。

困っていそうな人がいたら助け

 

 

 

人と繋がるきっかけを、どんどん

七恵は増やしていった。










しかし…

 

 



七恵はその頃から、身体の

異変に、なんとなく気が付いていた。

 

 

 

 

なぜか手の震えや苦しさが
止まらないのだ。
どんなに止めようとしても
手の震えや動悸が止まらない。




卒業後、働くことになっても
失敗を感じることは多々あっても
これまでそんなにボロを出さずに
人と付き合いが出来ていたはず。




七恵は震える手を暖めたり
さすったり、できることは
何でもやった。




それが「人間関係からくる怖さ」
ということには、七恵は気が
付きたくもなかった。











仕事から帰ると

七恵はぐったりして身動きが

取れなくなるのを感じていた。




職場では、七恵につらく当たる
イヤな人もたくさんいたが
学生時代に培われた「ストレスの

耐性(我慢)」が役に立った。




後にこの「ストレスの耐性」が
手の震えを発生させる元で
あることを知るのだが





職場で嫌われないように
「笑顔」で接することで
何とか乗り切っていた。






なぜこんなに疲れるのだろう?
そんなことを思いつつも、仕事を
勤勉にこなしながら





職場でランチ仲間に入れて
くれない人達でも
「私がもっと変われば
相手も私を理解してくれる」




と、七恵は信じて疑わなかった。




七恵は「自分は他人から
嫌われてなどいない」
ということを証明するかのように




他人のミスを自分のものとして
受け入れ、陰口を言われていると
分かっていても、気が付かない
ふりをした。




七恵は自分が傷つくことより
相手の気分をよくさせることを
常に優先していた。




それが、この時の七恵にとって
自分を守る唯一の方法だった。









「なんだか疲れたな…」





よく分からないが、七恵の
毎朝の感覚は、とにかく
疲れていた。




「生きる」というのは、とても
苦しいことだという感覚は
大人になっても変わることは
なかった。





ふと七恵の中に「もしかしたら…」
という、人生をもっと楽にする
生き方があるのではないか?

という、ある希望が育ちつつあった。




この苦痛から逃れるために
もしかすると「この方法しかない」
とさえ、思うようになった。




それは




「結婚したら幸せに
なれるかもしれない」
という思い。





七恵の恵まれなかった

幼少期とは、絶対違う

家庭を作りたい!





家族が仲睦まじく
一緒にいて安心を感じられ
怒鳴り声のない家庭!
物が飛んでこない家庭!




七恵は年齢的なプレッシャーも
後押しし、一番付き合いやすい
相手を選んで、結婚した。




これで幸せになれる…!




初めてづくしのことだから
不安がないこともなかったが
七恵は今までの苦労が
帳消しになるような
幸せに期待をしていた。




実際に良い夫だった。
料理を作る。家族が生活に
困らないような堅い

職業にも就いている。
そして子どもにも恵まれた。
家も夫家族に建ててもらった。




その夫が「うつ病」と診断
されたのが結婚後、約6年後の
ことだった。










夫がうつ病と診断されて
七恵は夫家族から、理不尽な
扱いを受けるようになった。



夫家族から

「あなたが働いているか
息子は身体を壊したのよ!」
と、無理に仕事を辞めなくては
ならなくなった。



それを期に、夫も七恵に
つらく当たるようになった。




七恵にだって、なぜ夫が
そんな状態になってしまったのか
分からない。




子育てはもちろん
毎日の掃除や庭を
整える家事をサボる
こともなかった。




「毎日一生懸命やっているのに

なぜ私が責められる…?」




幸せになるためにした結婚
だったが「また同じことを
繰り返している!!」




そんな取り返しのつかない
絶望感でいっぱいで…泣き叫んで
全てを壊してしまいたかった。




少しも変わらない!
人生何も変わらない!






庭の雑草をむしる七恵の

顔は、涙と土で汚れ

悔しさと、嗚咽を我慢するのに

夢中で雑草をむしった。

 

 

 

少しでも早く

このつらい気持ちが

なくなるように…。

 

 

 

 

 

 



そんなつらい思いを誰にも

話すことなく、抱えながら…
 

 

 

今度は「ママ友同士」の

付き合いに、七恵は大きな

苦痛を感じるようになった。





それはまるで
「あの子供の頃」と同じ
人間関係の構図だった。






「もう、ダメかもしれない…」
七恵は今日を最後に、目が
覚めなければいいと思った。










七恵はそんな過去のことを
思い出しながら

 

 


「本当にあの頃はつらかった」
あの頃は毎日泣きたかった
と口に出した。





あれから七恵は
心理カウンセリングという
心理支援があることを知った。




今の自分の限られた条件の中で
「これなら自分にもできるかもしれない」
と、なんとなく思った。




極端な怖さを持つ七恵だったが
手の震えと共に、あらゆる人間関係で
自分を「作る」のに、もう限界だった。




そして我慢では
「この生き方を変える」という

ことには、何も役に立たない

ことをまず知った。




自分の人間関係のトラブルが
なぜこんなにも多発するのか
七恵の「子供の人間関係の

作り方と感じ方」と、徹底的に

向き合うことになった。




七恵の凄惨な過去を

心理ワークで扱うたびに

 

 


「人生で起こる苦痛を早く
終わらせたい…!」
「もういやだ!」
「誰か私を連れ出して!」

 

 

 

と、嵐のように荒れ狂った

傷ついた感情が、出口のない

ヤカンを破裂させる勢いを

想像させた。




それは、子供の頃の
七恵が言いたくても

言わせてもらえなかった
魂の叫び。




感情処理の技術を七恵が
知ることがなかったら
どうなっていただろうか?






こんな過酷な人生を、悩みの

感覚の元になっている体験を

消化していくには

 

 

 

まだ多くの時間と

解決していく心理ワーク中の
「体験が必要」ということも
七恵はよく理解していた。




そんな七恵は心理
カウンセリングが進むにつれて
子どもの頃に自分が親から
与えられなかった尊いものを




「想像」で喜びや慈しむ気持ちを

子どもや家族に与えている

ことに、涙が出た。



「私は親から、こんな風に

優しくして欲しかった」

という思いを抱きながら

 

 

 

たくさんたくさん過去の

自分のために、涙を流した。



そんな自分のために涙を

流せるようになったことが

嬉しかった。

 

 

 

 






七恵は自分をほめるという

そんな経験がほどんどなかったが

心理カウンセリングのやり取りで

自尊心を自分で回復していける

ことを、まず体験として覚えていった。

 

 

 

 

「こんなことは出来て当たり前なんだ」
という思考から、心理ワーク後に

七恵が自分で得続けた「体験」により

 

 

 

「私はこんなにも、子どもや家族の

ために活動していて、こんなにも

よくやってきた…」

 

 

 

「生きていることの方が、つらい

ことがたくさんあるのに、私は

それでも、こうやって生きてこれた」

 

 

 

と、自分で自分を労うことの

大切さを、どんどん覚えていった。

他人に認められることや

 

 

 

他人のほめ言葉がないと

自分には価値がないという

思い込みもなくなっていった。

 

 

 

もちろん、誰かの感謝の気持ちが

七恵に向けられたら、それは

お金に変えられない、大切なものだ。

 

 

 

そんな感覚の変化に

自分を否定することが

心理支援を継続して

受けながら、減少していった。

 

 

 

 

深層心理に深く根付いて

いた、認知の歪みが少しずつ

修正されていくと





七恵は次々と本来の自分の実力や
能力、できることに気が付いていった。

前ほど無理をしなくなったのが

一番の自分への優しさだろうか。

 

 


その一例として





○自分は悪くないと、少しずつ思えるようになったこと。

(※原体験の感情処理が進み、他人の問題を引き受けなくなった)

 


○近づきたくないとこには、入らないので大丈夫という手ごたえがある。

(※感情処理が進み、新しい再決断の定着)

 


○安心できる場所、信頼できる場所ができたこと。

(※恐怖感情の消化が進んだ効果)

 


○少しずつ稼ぐことができるようになった。

(※感情処理によって自己肯定感と自己効力感の向上)

 


○少しずつ自信が持てるようになった。

(※怖さが減少し、様々なことに挑戦できたことの気づき

自分のできたことを認められることにより)

 


○人前で泣いても嫌われない安心感が少しずつできた。

(※ワークで何度も感情の肯定を扱ったため)

 


○無理して頑張らなくても大丈夫って少しずつ思えた。

(※休むことはダメなこと、という歪んだ認知の修正)

 


○嫌いな人の集団に入らなくても、頑張らなくても大丈夫と少しずつ感じた。

(※感情処理の進行と【属するな】の禁止令を扱った結果の1つ)

 


○距離感が少しずつ取れるようになった。

(※感情の肯定と【属するな】の禁止令が緩まった結果の1つ)

 


○人前で失敗しても笑われないこと、失敗しても、大丈夫という感覚が少しずつできた。

(※過去の原体験を何度も扱い、失敗の怖さの減少の結果)

 


○後ろから人が来ても少しだけ気にならないようになれた。

(※禁止令【触れるな】を扱った過程によるもの)

 


○たくさん自分を傷つけてきたけど、今はだいぶ落ち着いていられるようになった。

(※禁止令【存在するな】を扱った過程によるもの)

 


○イライラして家族に当たり散らすこともあるし、家族にぶつかっても、自分責めや罪悪感が少しずつ減ってる。

(※心理カウンセリングやワークを通して、感情処理をして自分への肯定が進んだ)

 


○本当は人は怖くない。少しずつ人の優しさに触れると嬉しくなれる。

(※感情処理が進み、事実を受け入れられることにより)

 


○掃除や家事をサボっても、大丈夫。自分の感覚を優先しても大丈夫。

(※継続された心理カウンセリングワークで、自分を労わることが定着)

 


○今日はサボる!今日は疲れたからやらない!って口にしても怒られなかった。

(※意見したら嫌われる体験を消化し、成功体験を積んだ)

 


○自分のために、少しずつ泣けるようになった。

(※どの感情も自分の味方であることを体験し続けたことの結果)

 


○自分が嫌だと感じるものは捨てても大丈夫。

(※自尊心の上昇につれ、不快なものを整理)

 


○自分の感覚を信じられるように少しずつなってきた。

(※禁止令【感じるな】と感情消化を継続した過程)

 


○感情を出しても大丈夫!嫌われない。

(※感情を感じない根本を継続して扱った結果)

 


○嫌なものは嫌で大丈夫と少しずつ思えるようになった。

(※自分の持った感情をダメ出しせず、肯定できるようになったため)

 


○人の意見に反発しても大丈夫。自分の感覚や気持ちが、大事に少しずつできるようになった。

(※心理カウンセリングワークが進み、自尊心の向上により)


○怖い、震えるは出しても大丈夫って言われて、少しずつ安心できるようになった。

(※苦手な恐怖感情に向き合い続け、消化してきた結果の1つ)

 


○大嫌いだった満員電車に乗れた。

(※原体験の恐怖感情の処理を継続した結果の1つ)

 


○怖かった出来事をそのまま、信頼できそうな人に伝えられた。

(※認知の歪みを修正の延長線上の成功体験の1つ)

 


○初めての場所や人は緊張するけど、すごい安心できる場所だった。
(※恐怖感情は脳内で先に再生されるという知識の裏付けを体験)







そんな手ごたえが

今の七恵にはあった。
 

 

 

もちろん、時には落ち込む

こともある。

 

 

それは人間として、とても

自然だということも、七恵は

自分に取り込め

 

 

 

泣いたり怖がったり腹が立つ

気持ちを、少しずつ味方に

していった。

 

 

 

まだまだ発展途上であるという
思いもあるが、それは人間には
成長のニーズがあるという
ことも知った。




幼少期から学生時代のいじめ被害は
決して七恵のせいではないことを
深く心で理解し





両親の激しい感情の起伏にも

七恵は「自分が原因ではない」

という体験を、心理ワークで重ねて




物事で発生した、失敗などの
怒りの矛先を、自分自身に

向けることも少なくなり




「生きていれば悩みは少なからず
発生することもあるし、落ち込む
こともある」という理解も定着し




七恵の中に「安心と回復力がある」
ことを心理ワークを通して「体験」
として、少しずつ感覚として手に
入れていった。








子どもの頃にできなかったものや
欲しかったものを手に入れるために
七恵は心理カウンセリングで自ら
「育て直し」をしていった。





あれだけつらい出来事しか感じ

られなかった七恵が、小さな

幸せを拾い始めるようになり

 

 

 

七恵はそんなことを感じられる

ようになった自分を、少しずつ

好きになっていくのも感じた。

 

 

 

 

家族などで出かけた時に

「私は、今楽しんでる!」

という実感を、少しずつ

取り戻していった。

 

 

 

 

自然と笑った時の自分にも

驚いた。こんな笑顔が

できるくらい、あの時と今の

七恵は違うという理解もできた。

 

 

 

 

七恵が人にお願い事や意見を

言うのは、とても勇気が要る

ことだった。

 

 

 

なぜなら幼少期に、親や

いじめっ子たちの加害で

七恵は意見を言えないような

環境に身を置かねば

ならなかったからだ。

 

 

 

それを、言いたいことを相手に

伝えても、怒鳴られなかったときに

感じた成功体験をまた1つ得た喜び。

 

 

 

誰かが七恵に協力してくれたとき。

感謝の気持ちを伝えてくれたとき。

助けてくれたとき。

褒められたとき。

認めてくれたとき。

相談に乗ってくれたとき。

甘い物を食べたとき。

好きなことをやれたとき。

新しい挑戦をやれたとき。

成功を積めたとき。




このように

「嬉しい!楽しい!」と

感じられることが、嬉しかった。

 

 

 

なぜなら七恵は、物心ついた

時には、いじめ被害や親からの

体罰で、「心を鉄にして傷つかない!」

ことを、強く願って生きてきたからだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

七恵はそんな自分のことを
少しずつ大切にするように
ベクトルが向き始めた。



そんな七恵はカウンセラー

によって、自分の人生を

「変えてもらった」のだろうか?



七恵はその問いに

迷うことなく首を横に振った。




七恵は自分の意思で心理
カウンセリングを受け始め



自分が望む結果を

全て七恵自身で
手に入れてきた。




あれだけ自分はダメな存在と
信じて疑わなかった七恵は





自分の知識にないことは
自分の生活をより豊かにして
いくために、貪欲に投資した。



まず自分を楽にするために

七恵をバカにしたり、気の

合わないと感じる人物には

近づくこともしなくなった。




「自分のくり返している対人苦痛」
を起こすやり方を変えるために
2年強という歳月をかけてきた
七恵だが、この時間は長いと
思うだろうか?





七恵が生きてきた人生を考えるなら
それは恐ろしく短い期間になるだろう。

30年生きてきたとしたら

たった2年強で、七恵は自分を

変化させてきたという事実と

結果を、少しずつ積み上げていった。




慣れないことは怖さを伴うし
泣いても怒っても怖がっても
自分の感情や行動に責任を
持てることも

 

 

 

過去の後悔を正解にして

いけることも、「体験」と

同時に覚えていった。



それは七恵が時間とお金をかけて
手に入れた心理体験と、現実で

実践した結果である。



一番大切なのは
七恵自身が幸せか
そうでないかである。




七恵が落ち込んだら、なぜ
落ち込んで、心が塞いでいるのか
自分で理解できることである。




これまでの過去は

七恵にとって、本当に

過酷なものだった。




七恵は、生涯をかけて子どもの
七恵と、共に生きていく準備が
整いつつある。




自分をダメ扱いするより

大切にした方が「生きるのが楽!」

という体験は、七恵の子どもに

引き継がれていくだろう。

 

 

 

 

あなたが一番大事

あなたが一番大事

あなたが一番大事

 

 

 

 

七恵は何度も自分の物語を

読みながら、できたことを

この物語に付け加えて

増やしていくことだろう。

 

 

 

 

 

※七恵からあなたへ※

 

 

こんな過去があっても、

結婚できるし、子供もいる!

今がこんなに幸せなんだってこと、

幸せに向かって心理ワークを

受け続けて成長し続けています😊

 

 

 

 

 

 

※私から七恵さんへ

 

 

 

本当に一生懸命やって

こられましたね!ワーク後も

新しい生き方を定着させていく

ために、最初のうちは慣れなくて

大変な時もあったことでしょう。

 

 

 

七恵さんの勝因は、諦めることを

しなかったからです。

 

 

 

どんな感情も敵にしなかった

こともお手柄です。長い時間

よく向きあってくださいましたね。

 

 

 

 

1つ1つの禁止令は

本当に手ごわいです。

時間もかかりますし

元に戻そうとする力も

強力です。

 

 

 

 

ですが

自分で決めたことは自分で変えられます。

 

 

 

 

 

それを七恵さんは

粛々と実行されて

いかれたのですよ。

 

 

 

自分の感じ方が、今の悩みや

行動、決断になっているということを

七恵さんが本当のことに気づいても

くださったからでもあります。

 

 

 

どんな地位や名誉や立場の

方でも、悩みを持たないことは

ありません。

 

 

 

そういう立場の方々や他人が

自分の生きづらさを他人に

「見せるか見せないか」

「我慢するかしないか」の違いです。

 

 

 

七恵さんが親から受け継いだ

苦しみは、七恵さんの悩みとなって

相当苦しんでこられたと思います。

 

 

それを思うと

七恵さん、あなたは一切悪くない

 

 

 

そう、全てはここです。

感情が身体に籠ってしまった

時は、いつでも思い出してください。

 

 

無理な感情出しをしなくても

あなたの物語を何度も読み返して

幼かった七恵ちゃんが泣けなかった、

怖がれなかった分、大人の七恵さんが

この子のために、泣いて怒って

怖がってあげてください。

 

 

 

あなたには、自分を

変えた実績がある。

この物語は、その記録でも

あるんですよ😊

 

 

 

ぜひ、何度も読み返して

新しい七恵さんの物語を

紡いていってください。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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