絵心とは何か。考え、感じて自己表現する。 |  西田スガオ 芸術と武道と日常生活を語る  

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地球は生きている。その地球に生まれ、生かされ生きる。

合気道を中心に武道と芸術で感覚を錬磨し、自己の気持ち等をあるがままに表現することを目指して活動します。

 

ここは言わずと知れた地球です。

 

地球から外へ行ったことありません。

 

当たり前のことです。

 

しかし、想像力によって思い浮かべることができます。

 

それは、今までの人生によって培われてきた見たもの体験したこと等によっての空想(絵空言、えそらごと)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

絵心。

絵を描こうと思う気持ち、自分の空想、創造を色や形であらわす。ある者の形を思い出す。認知する。認知したものを思い出して再現して表彰化する。

 

描こうという気にならなければ、一般的に言う絵心があるない、といった言葉など使わないのでしょうか。

描画材料を使って描きたいものを描く。気楽にただ欲するままに描く。書きたいから描く。描くことが楽しいから色や形であらわすのです。

自己の感情思いを表現する活動評価の問題なのかもしれません。です。描いているときにはすべてのことを忘れて熱中します。描くこと自体の行動はとても快感を感じます。

 

絵心、それはいったい何なのでしょうか。

 

描いた後に自分の絵を見て自己評価する。

自分が描いた線や色を見て思い感じる。ここで、どう思うか。

 

生まれてから今までの営み。表現することについての心の働き。感じ思ったことを行動に移す。表彰化する。

行動することがなければ何も起こらない。実行力でしょう。

 

何も上手に描こうとも思わない。

ただ描画材料等をもって紙、木、大地、あるいは空中等に思うがままに描くことができる心が存在するかしないか。

意欲、表現しようとするか。

 

行動することができるか。その気になるかなのでしょう。

 

ということは生きていること自体が絵心なのでしょう。即ち、何事かを成すb表現活動をすることができる行動力なのでしょう。

 

表現することは人間誰にでも備わっているものであり、個々の人々が感じり事ができる感覚、感性でしょう。

 

難しい表現になってきました。「絵心とは何か」

 

絵心という言葉を使うと画用紙等に形を書くということが一般的に言うようです。私がこうして自分の意思、、気持ち思いを表現することは、文章という、日本語を使ってイメージについて書き記しています。

 

絵心と同じように、文心・言葉心、音心

なんていう言葉を聞いたことがありません。

 

どうしてなのでしょうか。自分の感情等を表現する活動に違いはないはずです。

 

絵心だけに一般的にそういうことが言われます。私は絵を描くことが苦手です。学生のころに描いた絵が実物と似てもいない。本物そっくりに描けていない。誰が見ても下手だ。そういった落胤ができてしまっています。他者に笑わた。侮辱された。恥ずかしい思いをした。そういった思いが積もり積もって、自分には「絵心がない」という心理的な思い込みがあるのでしょう。

自分で描いた絵です。見るという行為は第三者の目といってもいいほど客観的になります。「下手だなあ」と思います。

上手な人は大勢います。しかし、上手な人に「絵心がある」とはいいません。

 

 

 

 

きれいだなあ。空を見上げて感動します。

 
大宇宙の中の地球。加古川市日岡山からの風景
 
絵心。
絵心がある。
絵心がない。
ことばは、自分の気持ちを表現する「言霊」です。
ことばの音が発するイメージが感情を伴った行動、表現活動に結びつけます。
 
絵をかくときに、「私には絵心がない」だから絵を描くことが苦手、絵を描くことで表現活動ができない。
と決めつけているようです。
 
さて、私の場合はどうでしょうか。
絵を描くことが、習慣になっています。
習慣とは何か。日々繰り返す行動の形、何をしていることが多いか。常識的に悪いことや良いと思われていることを行動することが残ってパターン化したものが習慣という。日々繰り返す行動パターン、それを生活習慣という。
立体作品を作りたくなる時がある。
 
こんな絵を描くときもあります。
 
紙と鉛筆があります。
鉛筆よりも墨やボールペン、色鉛筆等、いつでも手元にある。なければ確保する。
上手に描こうとも実物に似せようともなにも思わない。
創作活動が楽しい。他人の批評が気にならない。気にしない。我が道を行く。マイペースです。
 
色や形を見て何かをイメージする。連想する。感受性はすべての人にある。
 
風景を見て何かを感じる
 
 
 
画像で申し訳ない。キャンバスに何気なく描いた落書き。
 
遊び心を大切にしています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
情報発信も絵心の一部なのでしょう。コンピューターを使って自己表現する。
これからも情報発信し絵心とは何か。表現することの営みについて考えます。
 
 
使ってはいけない言葉。それは「私には、絵心がない」自己否定にもつながる言葉です。
 
何も考えず、思わず、意識せず、あるがままの姿勢で過ごす。瞑想する。
ボーとしているようにも見える。
 
認知症になってしまったのか。
周囲が気を使って大騒ぎだ。
このような状態になっても、全くとらわれることなくマイペースで過ごすことができるようになりたい。
 
ある人が、私に言った。「絵が上手なんですね」と、その人は、誰かから聞いたらしくそのように言った。
私は、いや「絵を描くことが好きなだけですよ。」
 
同じことを繰り返して書くが上手下手でなく、絵を描くことが好きかどうかでしょう。
 
一般的に言う、絵がうまい上手に描くことができる人は多い。下手に書くと恥ずかしい。みんなに笑われてしまう。このように思って絵筆を握る大人がなんと多いことか。
 
いや、子供の時からそういう風になったのか。
 
周囲の環境の影響か。
 
親、地域社会がそのように仕組んでいったのか。
 
小学校のの時からそのように教育されてしまい、知育偏重の教育へと進まれている。教育の弊害と断言してもよい。
この事は、文化を考察するうえで重要なことである。
 
価値観にもかかわることなので画一化は困難なので考えるのはやめようという気持ちにもなるが、・・
 
何が何だかわからなくなってきました。
 
絵心とは何か。
考えれば考えるほど、訳が分からない。堂々巡りの気配がする。
 この事は、突き詰めれば生きるとは何か。
なぜ絵を描くのか。
ブログで何をf表現しようとしているのか。
 
 
根本的な問題にかかわることだと感じる
小豆島に夕日が沈む。いや、そのように見える。
地球は自転し公転する。
太陽系惑星地球。
ここに生かされ生きている。
 
火事だ。火事だ!
偶然にもこの画像にコウノトリが舞う。
そろそろ、このテーマについて終結したい。これが今の気持ち。
絵心とは「感動する心。感受性豊かな柔軟な心、感性」なのでしょう。
感覚の陶冶のために今後も表現動をする覚悟です。
生きていることを実感することができる表現活動。
絵心があるかないか。そんなことはどうでもいいんのです。
 
生きるとは何か。生きがいとは何だろう。人生観にかかわるものです。
ツボが並んだ風景。黒酢を作っている。整然と並んだツボの多さに圧倒される。
 
一つの形が多く集まるだけでも何かを感じます。
 
集合体、単独体。それぞれに宇宙を構成するものがある。集合体は単独体の集まりです。
(2023,7.13日投稿)
 
去年の今頃は、金沢から能登半島への旅をしていた。ブログを確認してみたが記録されていない。
 
調べてみます。
 
 

 

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