京成電鉄 車掌区乗務員発行 乗車券 | 菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

発行された正確な時期は不明ですが、京成電鉄の車掌区乗務員発行の乗車券です。

 

 

JPR/てつどう橙地紋券となります。

 

上段は国鉄線、下段は京成電鉄線と新京成電鉄線の図版となっており、京成電鉄線と国鉄線の接続駅である「日暮里」は、双方の図版とも二重丸の中に黒丸を入れた記載となっています。

 

社線側の図版の記載駅を見ますと、本線に昭和38年12月1日に「船橋競馬場前」から改称された「センター競馬場前」、千葉線に昭和42年4月1日に「西登戸」に改称された「千葉海岸」が記載されておりますので、この乗車券は昭和38年12月1日から昭和42年4月1日までの、3年4ヶ月の間に用いられていた券と考えられます。

 

図版の新京成電鉄線は、前原から新津田沼が枝線として記載され、現在の路線形態とは異なっておりますが、昭和28年11月に前原~京成津田沼間の開業により、京成津田沼駅乗り入れを行なった際に、初代の新津田沼駅を廃止して前原~京成津田沼間に2代目の新津田沼駅を開設しましたが、昭和36年8月に前原~新津田沼間が枝線として復活して3代目の新津田沼駅が開設され、この時に2代目の新津田沼駅は「藤崎台駅」に改称されています。この乗車券の図版は昭和36年8月の新津田沼への枝線が開業した時点のもので、前原~京成津田沼間に「藤崎台」が記載されておりますが、この路線形態は長くは続かず、約6年9ヶ月後の昭和43年5月に3代目の新津田沼駅を移転して、現在の4代目の新津田沼駅が開設され、4代目の新津田沼駅と京成津田沼駅を結ぶ現在の路線が開通し、前原~藤崎台~京成津田沼の路線は廃止となり、藤崎台駅も廃止となっています。