ある猿回しが、たくさんの猿を飼っていた。彼はある日、猿たちに、このように話しかけた。「お前さんたちの餌に、トチの実をあげたい。朝3つ、夕方4つ、配りたいと思うが、どうかね」これを聞いた猿たちは、配り方が面白くないと、ギャーギャー騒いだ。「ああわかったわかった。静かにしなさい。では、朝4つ。夕方は3つやろうじゃないか」と、言ったところ、猿たちは大喜びした。朝3つ、夕方4つでも、朝4つ、夕方3つでも1日にもらうトチの実の数は同じ7つである。それなのに、なぜ猿たちは、怒ったり喜んだりしてしまうのか。1日にもらうトチの実は同じであることに気が付かないので、朝三暮四と、朝四暮三のどちらかを「いい判断」として、ひとつをつまみ上げようとするから、紛争が起こってしまう。朝三暮四でも朝四暮三でも、どちらでもいいではないか。どちらでも同じではないか。と考えれば、争いごとは起きない。
いかがでしょうか。朝三暮四。まず、意味をご存知でしたか?中学入試レベルではなかったでしたっけ。忘れちゃいましたが。この真意は子どもに教え込んでおきたいことです。「どちらでも同じでしょう」という意味です。息子たちが幼少の頃、違う種類のケーキを買って帰ろうものなら、激しい奪い合いの喧嘩が勃発しました。苺とチョコで戦争です。
どっちだっていいじゃないの。
と諭しても、全く聞き入れません。彼らにとって大事なのは「どっちが先に選ぶか」であって、「何を選ぶか」ではないのです。だからと言って、私も底意地が悪いのか「2つとも苺」という逃げの選択をせず、ドーナツでもアイスでも、必ず違うものを買って帰りました。教育です。次第に、長男の方が「こんな馬鹿馬鹿しいことで喧嘩するのに飽きた」と言いだし、次男に「先に選べ」と譲るのですが、すると今度はそれが面白くない次男が「どっち食いたい?」と長男にわざわざ聞いて「苺」と言えば苺を奪うという底意地の悪い行動に出るのでした。すると戦争。
ところが、それから5年も経てば、ウニとイクラですら喧嘩することはなくなりました。「先に選ぶ」が大事でなく、ウニもイクラもどっちでもいいことがわかったのでしょう。散々喧嘩をしたことで「そんなことで争うことが馬鹿馬鹿しい」という認識に至ってくれたのです。