勉強ってなんで大変なの?:大人になると勉強は非日常 | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

勉強ってどんどん世界を広げてくれると思うんですよね。ものすごく有益なのに、なかなか人は勉強することができません。それはなんでだろう、そんなことを考えていました。

 

 

息子の話になるんですが、まだ3歳でして、彼からしたら全ては発見であり勉強なんですよね。卵を割るのも勉強、お米を研ぐのも勉強、クレヨンで塗るのも勉強、ドーナツ屋さんで1ドル札をお店の人に渡すのも勉強。生きていることが勉強です。

 

そんな子供時代を過ごしていても人は大人になると、勉強することが日常にはなくなってきます。日々は同じことの繰り返し。昨日と今日、何が違うのか。何も違わないことが多くなってきます。人付き合いだってそんなに変わることもなくなってきます。学生のように3年ごとにコミュニティが変わるわけでも有りません。

 

そういう中で日々新しい発見をするというのは、なかなかできることではありません。それこそ勉強をしていかないと、どんどん日常に埋れていきます。自らを勉強できる空間、つまり非日常に置くことが大切になってきますね。読書する習慣であったりとか、新しい人に会うようにするとか、新しいことにチャレンジする、など。

 

勉強は世界を広げてくれます。だから私はどんどん勉強して、もっともっと世界を広げて生きたいと思っていますし、発見のある日々を過ごしたいと思っています。また子供達にも世界を広げていってほしいと思っています。でも勉強するのは大変です。私のように塾を職業としていても大変です。勉強は非日常です。飲んで食って、寝て笑って、それは日常です。勉強は意思を持って自らを鼓舞する必要があるんですよね。

 

 

勉強は非日常。学校に行っている子供達はわかりませんが、大人になると痛感しますね。この非日常をどれだけ日々に取り入れていくか、それが大人の課題になりますね。

 

日々勉強する大人で有りたいな、と思います。