では、前回の続きです。
前回、何を意識するかによって
見える光景も変わってくる。
認識も変わってくる、ということを書きました。
そして、認識が変わってくると、事実も変わってくるんですよね。
これは教育業界では有名な実験なのですが
とある二人の教師は、上司からこう伝えられたそうです。
片方には
「あなたのクラスは、劣等生ばかりいます、がんばってくださいね。」
そして、もう片方には
「あなたのクラスは、優等生ばかりを集めました。がんばってくださいね。」
実は、この二つのクラス、特に目立った違いはなかったそうです。
そして、その結果、二つのクラスはどうなっていったか。
劣等生と告げられたクラスは、特に変わらず。
優等生と告げられたクラスは、成績が向上していったのです。
では、この二つのクラスの違いは何であったか。
それは、先生の「意識」でした。
生徒たちの何を意識していたのか。
片方は、劣等生という意識をもって生徒に接し
もう片方は、優等生という意識をもって生徒に接したのです。
すると、先生たちが感じることは(もちろん先生の力量にもよりますが)
前者は、何をしても無駄、という閉塞感であり
後者は、必ずできる、という可能性であり希望です。
つまり、先生が生徒たちの可能性を意識していくと
生徒たちもその意識に反応していくのです。
このブログでたびたびでてくる先輩も
常に私の可能性を見てくれました。
どんなミスを繰り返しても
「大丈夫。小さなことにとらわれるな。エヴリシングオッケーじゃ。」と。
これまた、いつの間にそんな英語を・・・
と思うのもつかの間、小さなことにとらわれないようがんばろう、といつも思えたのです。
子どもたちの何を見るのか。
現状のできないことを意識するのではなく
子どもたちの可能性を信じ、彼らを意識して接する。
それが今、大人に求められている役割ではないでしょうか。
それでは、皆さん
Merry Christmas♪