教育とは:折り紙教室から教わったこと | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

日曜日、友人に誘われて地元の図書館で折り紙教室のボランティアをしました。

およそ50人ほどの子供や大人が来て、折り紙を楽しんでいかれたのですが

個人的には、小学校以来か、というくらい久しぶりの折り紙で

手裏剣やコップ、猫や鶴など

「そうだったそうだった」

と、とまどいつつも思い出しながら

折り紙を折っていました。


そこで苦労したのが

英語で地元の方たちに教えるという行為なのですが

山折とか、谷折など

あまり言葉が思い浮かばず・・・その前にそんな単語が存在するのかも疑問ですが

こうやってこうやってこうやるんだよ、という小学生のような説明を繰り返していました 笑



それでも、なかなか分かってくれなかったり

どう見ても目が点になって

???

という子供もいたり


ついには我慢できず

手取り足取り教えはじめ。

すると、相手は喜んではくれるのですが

何か物たりなさそうな顔をしていました。


そこで考えました。

手取り足取り教えてもらって完成しても楽しくないよな・・・と。

折り紙教室の目的は、折り紙の完成品をもらうことではなくて

折り紙を自分の力で折れるようになることなのですから。



そこで塾での教育と同じ要領

つまり、なるべく子供たちが主導で折り紙を進めていく

そうすれば、皆楽しんで折り紙に取り組めるのではないかと思い

途中からは

手取り足取り教えるのではなく

なるべく自分たちで説明書を見てもらい

間違いを犯しても、こちらからは特に何も言わずに

ああでもない、こうでもない

という彼らの試行錯誤を見守るようにしました。

この見守るというのが、結構難しいんですよね。

塾で毎日のように忍耐を鍛えられているので、なんとか持ちこたえることができました。


すると彼らは、試行錯誤をある程度し

そっか!といううれしそうな表情をし

手裏剣を完成させたり

鶴を折ったりと

その完成させたときの彼らのうれしそうな顔


そのうれしそうな顔は、こちらが手取り足取り教えて完成したときよりも

格段にうれしそうでした。

このときに初めて見守っておいて良かったな、と思いました。


そこで思い出したのが

教室とは

本当は「教える室」ではない、というとある教育雑誌の記事でした。

子供たちが「学ぶ室」でなければならない、と。



私たちは

教育というと、どうしても教えなくては、と思いがちですが

そうではなく、こどもたちが成長するのを見守ってあげる

つまづいても転んでも、

「大丈夫、君ならできるよ」

と応援してあげる。

それが本当の教育なのではないかな、と。

そんなことを再度確認することができた折り紙教室でした。