「私は不完全な人間だし、完璧な大統領にはなれないかもしれない。
だが、私が何を考えているか、常に皆さんにお知らせすると誓う。」
これは、今回大統領に選ばれたバラック・オバマ氏の選挙前のコマーシャルでの発言でした。
彼が言うように、完璧な大統領などは存在しません。
ここで勘違いをしてはいけないのは
彼が大統領になったから、金融不信や環境問題などは彼が解決してくれるだろう、ということではないのです。
政治というのは、彼ら政治家が用意したものを我々がサービスとして受け取るという単純なものではありません。
政治とは、私たちが積極的に勉強し、参加していかないかぎり、抜本的には何も変わらないのです。
それは教育とて同じなのです。
先生が用意してくれたものを、保護者や生徒が良い悪いと決めるものではありません。
CDや本や食品
などは
相手が作ってくれたものを買うという行為のもと成り立っているものです。
しかし、政治や教育はそうはいきません。
なぜならば、政治や教育は双方向で成り立つものだからです。
先日、とあるお母さんとそのお子さんの話を聞いていたときに
そのお子さんが、とある学校の先生の悪口に近いことを言い始めました。
お母さんはそれに対してなんて答えるのかな?と思って聞いていたのですが
そのお母さんは
「~ちゃんの言っていることは正しいかもしれない。お母さんはその場にいないからね。でも、その問題は先生の悪口を言っても解決しないよ。どうしたらいいのか、自分でできることは何か考えてみたらどうかな。」
と言うようなことをそのお子さんに伝えていました。
生徒の先生に対する悪口を
その問題解決のためには自分が何をできるか考えなさい
と伝えたお母さん。
受動的だったお子さんに対して
その問題に対して能動的に解決策を模索しなさいと伝えたお母さん。
私はその時にそのお母さんの態度と発言に拍手を送りたい気持ちでした。
このとき、もしそのお母さんが
「何?それは先生が悪いわ。そんな学校で大丈夫なのかしら。私が電話してみるわ」
とお子さんに伝えたらどうなっていたでしょう。
おそらくその子どもの先生に対する信頼はなくなり、その先生から学べることもなくなってしまうでしょう。
このように、家庭での協力がないかぎり教育は成り立ちません。
もちろん、先生は先生として最大限の努力をすることは必須です。
生徒を意識し、生徒を想い、成長を促す。
ただ、それを生かすも殺すも、家庭での対応がかぎとなります。
地域全体での子どもの教育。
悪いことも全てにプラスに変えていく家庭環境で育った子どもはすくすくと育っていくことでしょう。