社会を潤すもの:声かけ | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

今日は、久しぶりに日本に帰国した生徒たちに会うことができました。

もちろんアメリカでしか会ったことが無かったために、このむしむしした日本で会うのは少し変な気分でしたが。

日本でも一家揃ってお変わりなく、本当に楽しいひと時でした。

やはり、心が通じ合う時というのは楽しいものです。

逆に心が通じない、もしくは心を通わせようとしないことは悲しいことでもあります。


最近の日本の傾向なのか、それとも昔からなのか、言葉のコミュニケーションが減ってきているのかと思うことがしばしばあります。

今日のバスの中でもそうでした。

夜11時ということもあり、皆さんお疲れだったのでしょうが

降りた乗客の8人のうち、何も言わずに降りたお客さんは8人。

つまり、誰一人として、ありがとうございました、という言葉を運転手さんに伝えなかったのです。


もちろん、ありがとうございました、と伝えたところで料金が安くなるわけでもありません。

そして、お客さんの心理として、お金を払っているのだから、運転してもらって当たり前、との気持ちがあるのかもしれません。

しかし、ICチップの組み込まれた定期をピッ!と通す音と共にお客さんたちが無言で降りていくのは何か異常な気がしました。


言葉が少ない社会。言葉が交わされない社会。

これを構築しているのは、もちろん、われわれ大人です。

そして、その姿をみて育つのは、われわれの次の世代なのです。

ありがとう、と言い合える社会を作るのか、それとも機械音だけが響き言葉がない社会を作るのか。

それは私たち大人の手にかかっています。