言語を学ぶ上でかかせない前提知識:どうしますか?という質問の奥深さ | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

私たちは、前提とすることが違うだけで、コミュニケーションが成立しないことがあります。


今日、サンダルを買いに靴屋さんに行きました。

箱ごとレジに持っていき清算してもらったのですが

レジの店員さんは

“箱、どうしますか?”

と聞いてきました。



箱をどうする・・・?

彼女の質問には分からない単語はありませんし、文法もしいて複雑なわけではありません。

しかし、私には彼女が言っている意味がわかりませんでした。

困った顔をしていると

“箱をこちらで処分いたしましょうか”

と言われたので、やっと納得がいった私は、お願いします、と頼みました。



単純な文章にも関わらず、私にはその店員さんが何を言っているのか理解できなかった。

なぜならば、私が前提としていることと店員さんが前提としていることが違ったからなのです。


店員さんは、箱をどうしますか?という質問において、箱を持ち帰るのかそれとも処分するのか?という意味が含まれていました。

そして、彼女の中では、その選択肢が常識としてあるのでしょう。


しかし、私は箱をどうするのかと聞かれ、心の中で“どうすると聞かれても、持ち帰るしかないのだし、もしかしたら、その箱で図画工作でもする、と言ってもらいたいのだろうか” とさえ思いました(笑)




このように会話においては、文法や単語が完璧に理解できていたとしても、前提とする常識が違うだけで、コミュニケーションが成立しないことがあります。

帰国生が英語を学ぶ上では、このようなことにも注意しなければいけません。

言語を学ぶということは、単に文法を学び、単語を学べばいいのではありません。

どのような状況でどのような言葉を選び、相手に伝えるのか。

どの単語が適切で、どのような文法を使用することが相手に伝わりやすいのか。

相手が前提としていることと、私が前提としていることの違いは何なのか。



言語を学ぶという行為は、複雑な迷路を、暗闇の中進むような作業なのです。