気を使わないアメリカ人:伝えたいことは言葉にすること | みとのや先生日誌:元帰国生だから言える事

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アメリカオレゴン州、ワシントン州にある学習塾巣鴨アドバンススクール(www.sugamoadvance.com)で日々子供達と奮闘中です。

アメリカ人とは、気を使わない国民である。




そんなことを考えるきっかけとなった出来事、それは私が大学2年生の寮生活中におきました。


寮のルームメイトは、デイビッドという、ちょっとぽっちゃりで弱気なユタ出身の白人でした。


寮生が皆寝静まる夜中の三時ごろ。


いきなり、バス音を最大限にきかせたロック音楽が鳴り始めたのです。




それは、薄い寮の壁を伝わり、私たちは目をさましてしまいました。


最初は、いったい何がおきたのか分からず、私もデイビッドも目をぱちくりさせていた程の音量でした。


私は、最初は我慢して寝ようとしたのですが、あまりにうるさいため、堪忍袋の尾が切れ、隣に文句を言うため部屋を飛び出しました。


そんな私をデイビッドは心配そうに見ていました。


なぜならば、隣の部屋に住むお兄ちゃんたちは、軍隊にいるようなごっつい体をした二人組みだからです。


私は、おこっていましたが、こわがってもいました 笑


私は彼らの部屋の前まで行き、深呼吸をした後に、ドアをノックしました。


しかし、叩いても大音量の音楽で打ち消されてしまいます。


私はくじけずに、ドアが壊れるのではないかというくらい強い力でドアをたたきました。。


そして、先ほどまで流れていたロック音楽が消え、ドアが開きました。


私は2メートルはあるかという彼らの顔を見上げ、つばを飲み込み、声をしぼりだしました。


寝たいから音量を下げてもらえないか、と。


2メートルもある彼らからいったい何を言われるのか、何をされるのか、私は不安でたまりませんでした。




しかし、彼らの口からでたのは、意外な言葉でした。


あ、ごめんごめん。


気づかなかったわ、これからも何かうるさかったりしたら、言ってくれ、と。


私はいろいろな最悪のパターンを想像していたのですが、完全に拍子抜けです。


静かな夜はあっけなく戻りました。




私は正直びっくりしてしまいました。


普通分かるだろう、それくらい・・・・でも、言えば通じるのか・・・・


これです。アメリカ人、彼らには言えば通じるのです。




小さな空間でお互いのプライバシーを損なうことなく生きなければいけない日本人にしてみれば、お互い気を使うのが当たり前であり、生きていく知恵なのですが、


この広大な空間で生きているアメリカの人たちは、そうではありません。


何かあったら言って下さい、私は気づきませんから。


そういう生き方なのです。


決して日本人が優れているとかいうことではなく、そういう文化であり、この広い空間で生きる彼らからしてみれば、何をそんなに気を使う必要があるのか、という考えなのです。


「私は私、彼らは彼ら。もちろん、迷惑かかってるのであれば、言ってね。」


そういう生き方だからこそ、アメリカではいろいろな人種の人が隣り合って生きていけるのかもしれません。



もちろん、夜中の3時にバス音を聞かせて大音量で音楽を聴く彼らの常識は疑いますが


話をし、彼らも納得をすれば、こちらの要望を聞いてくれるのです。



言いたいことは、言葉にして伝える。



アメリカの駐在員の家族の傾向として、英語に自信がないのもあり、子供の教育に関しては黙っていて、先生が自分の子供のことを気づくのを待っているということが多いのではないでしょうか?


もしくは、すでにあきらめているのかもしれません。

 



しかし、アメリカでは、黙っているということは、今の状況を受け入れている、今の状況に満足している、ということになるのです。


言いたいことは、伝えてみてください。

このままでは、うちの子は、勉強が嫌になってしまう。学校が嫌になってしまう。

もっと、宿題のレベルを下げてほしい。

もっとうちの子に注意を向けてほしい、と。

これがお子様がアメリカで生きる道なのです。

もっと積極的に意見を言っていきましょう。