教師として一番大事なこと、それは教えるテクニックではありません。
教えることに試行錯誤するのは教師としての最低条件です。
それ以上に大事なこと、それは生徒を大事にし、生徒の可能性を信じるということだと思っています。
私自身、一教育者として、いつも生徒の現状ではなく、可能性を見ます。
この子は今の現状はこういう状況だけれども、絶対に伸びる。
この子がこういうシャイな部分をオープンにできればもっと伸びる、と。
こう思えるようになったのも、私が高校時代に出会った一人の先生のおかげでした。
それは、まだ白いワイシャツが背中につくほど暑い夏の日でした。
高校3年生の私は、附属の大学に行く予定でその夏休みの日も部活に没頭していました。
一休みのため、廊下に出ると、そこにいたのは私が心から尊敬し信頼する英語の先生。
彼女は唐突に英語で質問をしてきました。
“光一は留学しないの?”
私は少しびっくりしましたが、冷静に答えました。
留学は考えてません。
“なんで?”
留学する目的がないからです。
“そうしたら、日本の附属の大学に行く目的はあるの?”
・・・・いえ、ないです。
“それだったら、目的がないことは留学しない理由にはならないわね。光一だったら留学しても大丈夫よ”
ほんの2分にもならない会話でした。
しかし、私は人生が開けたような気がしたのです。
アメリカに3年半もいたにも関わらず、英語が上達しなかったという"英語コンプレックス”があった私でしたが、この先生の一言で、こんな僕でも留学ができるのかも、と自分の可能性を見始めたのでした。
その先生が、高校の時の私の英語力だけを見ていたら、留学などという選択肢を私に提供していたか疑問です。
光一なら、多少へこたれてもなんとかやっていけるでしょう、と私の可能性を信じていたからこそのあの発言だったのだと思います。
そして、なによりも、その先生の期待、信頼に応えようと努力した留学でした。
留学中も英語力のなさに四苦八苦しましたが、私の可能性を信じてくれた先生に今でも心から感謝しています。
生徒の現状を判断する“評論家”になるのではなく、彼らの可能性を信じ抜く“教育者”になる。
そうすれば、生徒は自分を信じてくれる先生に全力で応えようとしてくれるのです。