私は今でも、初めての現地校に行った日を昨日のように覚えています。
あれは、カリフォルニアのさわやかな空の下でした。
父親に家から徒歩一分の学校に連れられ、校長先生らしき人の部屋に通されると、父親と校長先生が何か話をしていました。
その間、私の心臓は尋常ではない心拍数。
話が終わった頃には、日本では見たことのないくらい体格の良いおばちゃんが私を迎えにきてくれました。
彼女はクラスの担任の先生でした。
そして、父親の行ってらっしゃい、と言われ
もうお父さんはいなくなるの?と寂しがる猫のような目をしていた私でしたが、父親にはただうなずかれ、しぶしぶ先生についていきました。
私の心臓の鼓動が早まる中、学校の廊下を先生の後を歩いていきます。
その先生は何かを話してくれているのですが、全く分からず。
教室の前に着き、彼女がドアを開けました。
皆の視線がいっせいにこちらに集まりました。
私は、何がなんだか覚えていません。
ただ、先生に連れられ前に立たされたので、自己紹介をするのだと推測し
“My name is Koichi. I am from Japan.”
と、私は下を向いたまま、渡米直前に覚えたたどたどしい英語で自己紹介をなんとか終えました。
その後、休み時間になると、色々な子が話しかけてきました。
最初は興味深々で質問してきた彼らも、私が英語を話せないと分かるや、あきらめる始末。
彼らの言っていることはわかりませんでしたが、落胆したのだけは分かりました。
授業などは、聞いても何も分からず、周りの子達の見よう見まね。
早く一日が終わってほしい、ただそれだけを願っていた学校初日でした。
アメリカは
自己主張
をしなければいけず、助けてほしければ助けてほしいと言わなければいけません。
私がどんな気持ちでいるのか、などと察するクラスメートはいません。
全ては、私自身が“助けて!”と叫ばなければいけなかったのです。
日本の学校では、静かにしていること、自己主張をせずに、周りに同調することが求められました。
しかし、自己主張を重んじるアメリカでは、それでは通用しません。
もし静かにしていようものなら、この生徒は何も考えてなく、やる気がない、と思われてしまう。
そんなことは知るすべも無く、私はただ単に黙って、日本で言う優等生をしていたのです。
それは、気の遠くなるくらい長い1日でした。