母・スガ婆がデイサービスから帰ってきて少し様子がおかしい。

夕飯の支度をしていると、ソファに座ってそわそわしている。

部屋をウロウロし始めたので、

「座ってろよ」と言うと、

顔をゆがめてブツブツ言う。

いつもはそれくらい何とも思わないというか、

無視して、「いち、に、さん、し」と数え始めたりするのだが、

この日は泣きそうな表情で、悲愴感を漂わせている。あやしい。


それでも夕飯の準備を済ませ、

「母ちゃん、飯だぞ」と言うと、

「ば、ありがたいねー」と、ズルズルと味噌汁を吸う。

それはそれで、きわめて普通だ。

そして、夕飯を済ませ、洗い物をしていると、

まるで存在を消してしまったかのように、

スガ婆はソファに無言で固まっている。

固まってるスガ婆は、問題行動を起こさないから、らくチンだ。

ああ、このまま無事に一日が終わりますように。

と思った瞬間、

「どうしよ?」と、泣きそうな顔でスガ婆が言った。

「何が?」

「入ってもよか?」

「入る?」

スガ婆がトイレの前に立って言う。

ゲゲッ、まさか。

嫌な予感がした。

「さっさと行けよ」と、トイレのドアを開けると、

そそくさとトイレに入るスガ婆。

ゆがんだ顔の正体はこれだった。


ボクは夢中で皿を洗い、鍋をこすった。

もうすぐやっかいなことが起きると本能的に察し、

その前に片付けるものは片付けておこうと思った。

ボクはすっかり主婦としての感覚を身につけていた。

しばらくして、トイレのドアが開く。だが、スガ婆は出て来ない。

行こうか、帰ろか、考え中♪ のスガ婆であった。


やがて、異様な臭いが周囲に漂う。

ああ無情。やってくれたねスガ婆ちん。

幸いなことに紙オムツが被害を最小限に食い止め、

オムツから外に出ることはなかった。

「ウ○コババア、クソババア」

と軽くツッコミを入れると、すぐに風呂場に連れて行く。


オムツを脱がすと、茶色いものが尻にまとわりついている。

温水シャワーで洗い落とし、お股は自分で洗わせる。

すっかり洗い終え、濡れた体をタオルで拭き、パジャマを着せると、

何事もなかったかのように布団に潜り込み、あっというまに寝入るスガ婆。

たわいもないスガ婆の一日がこうして終わった。

めでたし、めでたし。



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介護は大変だからオレには無理、と友人が言う。



おまえはエライよ、と気の毒そうにボクを見る。



友人の頭の中にはあるのは、



老人のウ○コのついたパンツをボクが洗っている姿だ、たぶん。



ったく、誤解もはなはだしい奴。



介護の中でウ○コがどれほどボクを困らせているだろうか。



考えたこともないが、今度考えてみよう。



思うに、介護は誰にでもできる。



それは努力とか、経験とかじゃなく、慣れだ。



そう、どんな異常なことも慣れれば驚かなくなり、



仕方ないと割り切れるようになる。



時とともに嫌なことも忘れ、恨みも薄れる。



そうじゃない人もいるけど、それはよっぽどの場合だ。



親と一緒に住んでいれば、慣れるしかない、



というか、慣れる。



例えば、どんなふうに慣れるか・・・



最初、軽い感じのボケから始まる。



介護のカの字も始まっていない時期だ。



最初は、財布、しらない? と言い出す。



三ヵ月後、財布盗んだでしょ!に変わる。



半年後、うちの息子ったら私の財布盗むんだよ、



って兄弟にチクる。



ほかにも、誰かが窓の外から覗いてる、としつこく言ったり、



靴を履いて寝たりする。



それに対して、ヘイヘイヘイ、と軽~く受け流すことができれば、



介護は楽になる。慣れてしまえば、気持ちもやわらぐ。



そうなれば、人は明らかに成長しているってことだよ、友人くん。



と、ボクは勝ち誇ったように言う。



 



ここまで書いて、「じゃあ自分はどうなのさ?」と自問する。



うっ、それは・・・・・・そのことには触れないでおこう。



「なんだ、慣れてないんじゃん。ちっ」



と言う友人の頭の中に、またも老人のウ○コまみれのパンツが・・・・



 



結論はさて置き、(置くなよ!)



少しずつ慣れることで、一つ一つの行動は普通のことになり、



気持ちを乱されないようになる。大変だと思ったことも、



大変でなくなるから不思議。



それよりひどいことが起きるから、って時期もあるけど、



いつか峠を超える。



(ほんとかな、ほんとだろう、たぶん)



(スガ婆は峠超えた? 超えてないかも・・・それも困る)



 



ということで、要は慣れ。(安直だ)



介護は工夫しだいで何とでもできる。(そうきたか)



自分が老人になることに、少しずつ慣れて行くように



ボクは慣れていくという特技を身につけていく。



今日はスガ婆とずっと一緒に過ごす日。

ああ、どうか何事も起きませんように、と祈る。

朝8時。食事も済み、あとは何もしないで一日過ごすスガ婆。

ボクはパソコンにかじりついて、原稿を打つ。

すぐ近くのソファにスガ婆が座っている。

ボクはスガ婆を監視しながら、原稿を打つ。

時どき、窓の外を観て「キレイな海だねえ」とスガ婆は言う。

スガ婆の視線の先にあるのは、青い空。

もちろん、何も言わないで原稿を打つ。

突然「いち、にー、さん、しー」と数え始めるスガ婆。

カーテンのヒダを数えている。

それを10まで数える。

それが終わると、窓辺に行き、外を眺めて、

「ばっ、ヒー様(太陽)がいっぱいバイ」と言い、

再びソファに戻り、「いち、にー、さん、しー」と数える。

そんなことを5、6回くらい繰り返すと、

ボクは「じゃかましー」と怒鳴る。

すると、スガ婆が「帰りたい」と泣きそうな声で言う。

いつもの平凡な日常だ。

普通でないことが普通となる。

普通にできれば、それは異常に見える。

「風が気持ちいいね」

と言うスガ婆に、

「え、どうしたんだよ?」と心配する。

何だか変だ。

少しずつ、少しずつ、ボクらの日常は形を変えて行く。

明日が今日と変わるとすれば、

スガ婆がトイレを1回多く行ったくらいの違い。

気づかないほどの変化が、日常を変えていく。

明日も今日と1ミリくらいしか変わらない。

ボクにとってそれは幸せなのだろう、たぶん。


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今年になって始めたことがある。

それは、庭(といってもかなり小さい)に小鳥を呼ぶこと。

小さい頃から、どういうわけか鳥好きなのだ。

わが家にいつからか鳥図鑑があって、それが始まりだった。

仮に猫図鑑なら猫好きに、魚図鑑なら魚好きに、

クモ図鑑があればクモ好きになっただけのこと。

幼い頃は洗脳の嵐だ。固定観念なしの脳は

スポンジのように何でも吸収する。



その日、半分にカットしたミカンを庭木の枝に差しておいた。

でも、鳥は来なかった。

二日後、メジロが来た。

しかも二匹。夫婦に違いない。ラッキー♪

目の周りが白く縁どられているから、メジロ。

なんという安易な名前だろう。

春に生まれたから春子みたいな感じで付けられた気の毒な鳥。

でも、このウグイス色の野ネズミっぽくチョロチョロ動く鳥は、

何時間でも観ていられる。

小さい頃、近所の兄さんに連れられて森にメジロ捕りに行った想い出は

消えることのない大切なスウィートメモリーだ。

おおおおおお、メジロよ。故郷の想い出がよみがえる。クゥゥゥ。

夫婦で来てくれたんだね。ゆっくりしていってくれたまえ。

なんなら酒もある。一緒に飲めたらいいな。

しかしである。仲むつまじい夫婦のはずが、

一匹のメジロ(おそらく妻)がミカンを独占し、もう一匹(おそらく夫)が近づこうものなら

「これはアタシのものよ」と、攻撃するのであった。

うっ、けっこう凶暴。思いやりゼロ。自分勝手。

「分けてやれよ」

初めて知ったメジロの本性に愕然とした。

思わずボクは庭に飛び出した。それでも逃げようとしない。

都会のメジロは人間をあまり怖がらないのか。

「何よ、じゃましないでよ、フン」

こやつ、スレている。


仕方なく、もう半分のミカンを別の枝に差して、夫が食べられるようにした。

すると、信じられない光景が・・・

夫が食べ始めた瞬間、妻がやって来て、

「これもアタシのものだからね」

と、夫を追いやってしまったのだった。

ヒェェェェェー、と逃げる夫。

ウヒヒヒヒヒヒ、とせせら笑う妻。

夫はすぐ近くで、妻が食べるのを見ている。

アワワワワワワとバタつきながら・・・あわれだ。

取れるものなら取ってみな! ときっつい目でにらむ妻。

でも、そんな妻のもとをけっして離れない夫。

ふと、「何で一緒にいるんだ、君ら?」という疑問が。

夫が弱みを握られているのか、金持ちか、あるいは精力絶倫・・・



仕方なく別の木の枝にミカンを移した。

やって来たのはやっぱり妻だった。

どこまでも食い意地のはった妻だ。

この夫婦といつまで付き合っていけるやら。

タメ息をつき、ボクは家に戻った。



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洗濯物を干すとき、白い粉のような異物が洋服に付いていることがある。

それは、ほぼ間違いなくティッシュのカケラである。


スガ婆がポケットに忍ばせたのを気づかず洗濯してしまったのが原因だ。

洗濯機の中でティッシュがまろやかに粉砕され、

粉吹雪のようにすべての洗濯物にへばり付いてしまった結果である。


鼻をかんだティッシュを何度も使いまわすのが、認知症の初期から

変わることのないスガ婆の習慣である。

ただ、そのティッシュさえ忘れて、新たなティッシュが使われて

ポケットはどんどん膨らんでいく。


スガ婆は捨てるという行為を悪と思っている。

だから鼻をかんだあと、ティッシュをポケットにしまうのを見つけると、

「汚いなあ、さっさと捨てろよ」

と、ボクはゴミ箱をスガ婆に差し出す。

「ありがとう」

と言いながら、ティッシュを捨てるスガ婆の目が「無念じゃあ」と言っている。

「もったいないなー、だってまだ一回しか使ってないもん」

そんなふうな目だ。

「もったいないにもほどがあるんだよー」


油断すると、ティッシュはポケット以外にも隠されてしまう。

それが洗濯前に発見できないと、調味料のように衣服に絡む。

ボクはその洗濯物をそのまま干し、乾いてからガムテープでえんやらやーと取っていく。

何でボクはこんなことしてんだろう? 

ひょっとして、これって何かのアプリ?

どこかに点数が表示されて、ゲームオーバーとか出るのかな?

スガ婆が隠したティッシュを探し当てなければ、

洋服を洗濯できないというアプリ・・・・ないな。

そういえば、友人の拓ちゃんがアプリの開発リーダーだった。

相談したら、「アホですか」と言われる気がする。



それにしても、このおバカな行為を防ぐ方法はないものだろうか。

理想は、洗濯機がティッシュを察知して、

「ティッシュ発見、ティッシュ発見」

と警告し、自動停止してくれることだ。

センサーでどんな小さなティッシュも見逃さないスグレモノだ。

たぶん技術的には可能なはず。あとは、ニーズの問題か。

メーカーに提案して開発してもらおうかな。

「ティッシュをすばやく感知する、認知症家族向き洗濯機!」

ないだろうな・・・・


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