朝、唇の裏に2ミリほどの血豆ができた。
けっこう痛い。
口内炎は時どきできるが、それとは違うものだ。
どこが違うかというと、まずその発症の原因が決定的に異なる。
話は朝の4時にさかのぼる。
朝4時に、ボクはスガ婆がトイレに行く音で目覚めた。
母・スガ婆を介護し初めてからというもの、
いくら熟睡していても、微かな物音で番犬のように目覚める術が身に付いた。
(ううん、術というのは違うかも・・・)
何をしでかすかわからないから、耳を澄ませてスガ婆の動向を忍者のように探るのだ。
下駄箱から靴を出して並べたり、テーブルを動かしたり、
冷蔵庫を開けて残り物を食べたりする行為を耳でチェックし、
度が過ぎるようなら、「アホボケカス!」と言いながら階段を下り、叱り飛ばすことにしている。
スガ婆はトイレで用を済ませると、居間のテーブルを手で拭き、椅子を並べ直した。
食事の後、ボクのやる片付けを真似ているのだ。
私にだってできるもん、と自分の手のひらをテーブルに滑らせ、拭く。
スガ婆の手の菌がばらまかれ、そこから奇妙なキノコが生えたらどうしよう。だからつい、
「や、やめろ、ド汚いことすんなよ」とドヤす。
そんな真夜中の寸劇が終わると、スガ婆は自分の部屋の襖をバタンと激しく閉めて中に入る。
襖の悲鳴が闇夜を切りさく。さぞや襖も痛かろうて。
ごめんよ、フスマくん。病気だから許してくれろ。
(ヒトのこと言えた義理ですか、ご主人さま)
(おお、そうであった、すまぬ。今度、かわいいオナゴのポスターを貼ってやるぞよ)
(ほんとうですか、ご主人さま。だったら許します)
そんなことはさておき、その後、6時までの間にスガ婆は5回もトイレに行った。
そのため寝付くことのできないまま、ボクは朝を迎えたのである。
あああああ、ねむい。
「クソクソババア」と布団を蹴り飛ばす。
そして、朝の食事やらデイの支度やらをし、スガ婆を起こす。
着替えの時が、これまたやっかいなのだ。
寝巻きの上を脱がし、普段着を着せ、次にズボンを着替えさせる。
しかし、ズボンを脱ぐように言うと、どういうわけか上着を脱ぎ始める。
「ちがうってば、ズボンだって」
「ああ、そうだったね」
だが、言葉とは裏腹に上着を脱ごうとする。
「バカ! ズボンだって言ってんだろ」と怒鳴る。
「ああ、そうだ、そうだ、そうだった」
愛想のいい返事をする時ほど、ほとんど理解していない。テキトーなのだ。
スガ婆はズボンを着替えることなく、きれいに畳んで床に置いた。
それを見てボクはブチギレする。
デイサービスの迎えが来る日の朝は、時間への焦りとボケ行為が混ざり、
感情を抑えきれなくなる。
ボクは、・・・・と言い、・・・した。
そして、スガ婆は泣いた。
ボクは、腹がたつと無意識に唇を噛む。
それは、肉がちぎれそうなくらい噛むこともある。
そして、血豆ができる。
友人の拓ちゃんは、
「唇を噛むとガンになるよ」って言った。
いや、拓ちゃんじゃなくて、デッサンだったかも。
まあ、どっちでもいいか。
当然、根拠のなさそうな話なのに、ボクはこれに怯えている。
将来、ボクは唇ガンに冒されるのだろうか。でもそんなガンあったっけ?
いずれにせよ、怯えながらも、唇を噛む癖はなくならないのである。
朝の血豆は夜になっても消えないでへばりついている。
まるで麻薬中毒のような唇噛み行為を
ボクはいつまで続けるのだろうか。

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けっこう痛い。
口内炎は時どきできるが、それとは違うものだ。
どこが違うかというと、まずその発症の原因が決定的に異なる。
話は朝の4時にさかのぼる。
朝4時に、ボクはスガ婆がトイレに行く音で目覚めた。
母・スガ婆を介護し初めてからというもの、
いくら熟睡していても、微かな物音で番犬のように目覚める術が身に付いた。
(ううん、術というのは違うかも・・・)
何をしでかすかわからないから、耳を澄ませてスガ婆の動向を忍者のように探るのだ。
下駄箱から靴を出して並べたり、テーブルを動かしたり、
冷蔵庫を開けて残り物を食べたりする行為を耳でチェックし、
度が過ぎるようなら、「アホボケカス!」と言いながら階段を下り、叱り飛ばすことにしている。
スガ婆はトイレで用を済ませると、居間のテーブルを手で拭き、椅子を並べ直した。
食事の後、ボクのやる片付けを真似ているのだ。
私にだってできるもん、と自分の手のひらをテーブルに滑らせ、拭く。
スガ婆の手の菌がばらまかれ、そこから奇妙なキノコが生えたらどうしよう。だからつい、
「や、やめろ、ド汚いことすんなよ」とドヤす。
そんな真夜中の寸劇が終わると、スガ婆は自分の部屋の襖をバタンと激しく閉めて中に入る。
襖の悲鳴が闇夜を切りさく。さぞや襖も痛かろうて。
ごめんよ、フスマくん。病気だから許してくれろ。
(ヒトのこと言えた義理ですか、ご主人さま)
(おお、そうであった、すまぬ。今度、かわいいオナゴのポスターを貼ってやるぞよ)
(ほんとうですか、ご主人さま。だったら許します)
そんなことはさておき、その後、6時までの間にスガ婆は5回もトイレに行った。
そのため寝付くことのできないまま、ボクは朝を迎えたのである。
あああああ、ねむい。
「クソクソババア」と布団を蹴り飛ばす。
そして、朝の食事やらデイの支度やらをし、スガ婆を起こす。
着替えの時が、これまたやっかいなのだ。
寝巻きの上を脱がし、普段着を着せ、次にズボンを着替えさせる。
しかし、ズボンを脱ぐように言うと、どういうわけか上着を脱ぎ始める。
「ちがうってば、ズボンだって」
「ああ、そうだったね」
だが、言葉とは裏腹に上着を脱ごうとする。
「バカ! ズボンだって言ってんだろ」と怒鳴る。
「ああ、そうだ、そうだ、そうだった」
愛想のいい返事をする時ほど、ほとんど理解していない。テキトーなのだ。
スガ婆はズボンを着替えることなく、きれいに畳んで床に置いた。
それを見てボクはブチギレする。
デイサービスの迎えが来る日の朝は、時間への焦りとボケ行為が混ざり、
感情を抑えきれなくなる。
ボクは、・・・・と言い、・・・した。
そして、スガ婆は泣いた。
ボクは、腹がたつと無意識に唇を噛む。
それは、肉がちぎれそうなくらい噛むこともある。
そして、血豆ができる。
友人の拓ちゃんは、
「唇を噛むとガンになるよ」って言った。
いや、拓ちゃんじゃなくて、デッサンだったかも。
まあ、どっちでもいいか。
当然、根拠のなさそうな話なのに、ボクはこれに怯えている。
将来、ボクは唇ガンに冒されるのだろうか。でもそんなガンあったっけ?
いずれにせよ、怯えながらも、唇を噛む癖はなくならないのである。
朝の血豆は夜になっても消えないでへばりついている。
まるで麻薬中毒のような唇噛み行為を
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