デイサービスにはいろいろな老人がいる。
ブツブツと誰に向けることなく文句を言ったり、遠くをじっと見ている老婆など。
その中で、スガ婆は、愛想が良く、何かされるたびに
「ワー、すごい。すばらしい」といったほめ言葉を連発するので、
「かわいいおばあちゃん」と思われている。
こうして甘やかされたスガ婆は、ためらうことなく調子に乗る。
人と自分をいい気持ちにさせる術を自然と身につけている。
もはや修正不能なマシンガンのように「ほめ殺し」が連射される。
認知症なのに、ずる賢さはなくならない。
「ちゃんと認知症らしくしろよ」と言っても聞き入れることはない。
自宅でもお茶を出すと、「生まれて初めて、こんなおいしいの」と、
ゴマすりを平然とするのである。
ひょっとして家で練習してんのか。だったら、そうはさせねえよ。
とばかりにボクは、決して「かわいい」などとは言わない。
当然、無視だ。
だけど、スガ婆はそんなことはつゆにも気にしない。
今朝も、デイサービスの車に乗り込む際に、
「わー、すばらしいお部屋」と、スガ婆が言ったら、ドライバーの女性が、
「かわいいおばあちゃん」と、目を潤ませて言った。
プロの介護士でも、スガ婆の罠にまんまとはまる。
「どこがだよ」と、突っ込みたくなる気持ちを抑え、ボクは笑顔でうなずく。
たしかに、ブツブツ文句を言われるより、「ステキなお部屋」と言われるほうが
気持ちいいのはわかるが、ボクにとってそれは、たわごとでしかない。
自分をいい人に思われたいというのか、あるいは自分は病気ではないと見せたいのか、見えすいた言葉をためらうことなく言い放つスガ婆。
行ってらっしゃい、と笑顔で手を振るボクは、タメ息を漏らして家に入る。
テストで最低点を叩き出し、家に入れない中学生のときの記憶がよみがえる。
今頃、デイの送迎車の中は、意味なくはしゃぐスガ婆と、その認知症仲間たちが一方通行な会話に花を咲かせているはずだ。
質問しても、それにきちんと答えることはない。質問して終わりなのだ。
そして再び質問を浴びせる。質問に質問で返すスガ婆たち。
そんな無駄なやりとりを想像して、
昨日見た映画「地球が静止する日」に似た恐怖におののく。

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ブツブツと誰に向けることなく文句を言ったり、遠くをじっと見ている老婆など。
その中で、スガ婆は、愛想が良く、何かされるたびに
「ワー、すごい。すばらしい」といったほめ言葉を連発するので、
「かわいいおばあちゃん」と思われている。
こうして甘やかされたスガ婆は、ためらうことなく調子に乗る。
人と自分をいい気持ちにさせる術を自然と身につけている。
もはや修正不能なマシンガンのように「ほめ殺し」が連射される。
認知症なのに、ずる賢さはなくならない。
「ちゃんと認知症らしくしろよ」と言っても聞き入れることはない。
自宅でもお茶を出すと、「生まれて初めて、こんなおいしいの」と、
ゴマすりを平然とするのである。
ひょっとして家で練習してんのか。だったら、そうはさせねえよ。
とばかりにボクは、決して「かわいい」などとは言わない。
当然、無視だ。
だけど、スガ婆はそんなことはつゆにも気にしない。
今朝も、デイサービスの車に乗り込む際に、
「わー、すばらしいお部屋」と、スガ婆が言ったら、ドライバーの女性が、
「かわいいおばあちゃん」と、目を潤ませて言った。
プロの介護士でも、スガ婆の罠にまんまとはまる。
「どこがだよ」と、突っ込みたくなる気持ちを抑え、ボクは笑顔でうなずく。
たしかに、ブツブツ文句を言われるより、「ステキなお部屋」と言われるほうが
気持ちいいのはわかるが、ボクにとってそれは、たわごとでしかない。
自分をいい人に思われたいというのか、あるいは自分は病気ではないと見せたいのか、見えすいた言葉をためらうことなく言い放つスガ婆。
行ってらっしゃい、と笑顔で手を振るボクは、タメ息を漏らして家に入る。
テストで最低点を叩き出し、家に入れない中学生のときの記憶がよみがえる。
今頃、デイの送迎車の中は、意味なくはしゃぐスガ婆と、その認知症仲間たちが一方通行な会話に花を咲かせているはずだ。
質問しても、それにきちんと答えることはない。質問して終わりなのだ。
そして再び質問を浴びせる。質問に質問で返すスガ婆たち。
そんな無駄なやりとりを想像して、
昨日見た映画「地球が静止する日」に似た恐怖におののく。
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