<二日目>


手術後、病室で目覚めた。5時ごろ、麻酔から解放され、目が覚めたようだ。そして、最初に目にしたのは帰ったはずの義理の母だった。

「大きかったよ、びっくりした」

この人は前ぶれもなく家に来ては、大丈夫?もう終わった?などとよく質問する人である。

看護師の話では、盲腸は思ったより悪化し、そのため肥大化したようだ。その盲腸を母が見せてもらったらしい。

「盲腸腐ってたんだって」と母(バナナかよ)

「あ、あとね、これ飲んで。神様の水。治りが早いから」とボトルを差し出した。どうやら神棚にまつる水の入ったボトルのようだ。


翌日はほとんどベッドの中で過ごす。
点滴で飲まず食わずの生活がしばらく続く。
携帯の充電器と替えの下着がほしいが、今度母に頼むことにする。
だが、きっと間違える。
先日、息子が母にコーン味のポテトチップスとミルクティを買ってくるよう頼んだら、コーンスープとコーラを買って来た。(スガ婆と同類だ)


午後になって、術後の痛みも柔らぎ、少し体を動かしたくなる。移動は点滴のスタンドを押していけば問題ない。問題は寝ながらおしっこを出すためのパイプが私の急所に突き刺さっていることだ。これがある限り、歩けない。

パイプが刺さっているせいか、常に尿意がある。わざわざ差してくれた看護師には悪いが、早く取り除きたい。看護師に聞くと、明日には取れるだろうという。


<三日目>


朝の目覚めはよくない。熟睡できないからだ。
少し寝ては目覚め、また少し眠る。その繰り返し。
日中も眠く、健康にわるそうだ。
その日、看護師が「午後にはパイプ取りましょうね」といった。
これで移動ができると思うとうれしい。


その処置は午後遅めに行われた。下半身露わとなった私の中に恥ずかしさは消えていた。

「ちょっと痛いですよ」

看護師がゆっくりパイプを抜き始める。かなり痛い。

「はい終わりましたよ」

これは、やはり何かの罰なのか。

「じゃ、これからは自分で移動できますからね」

チ〇コも私も自由になって、これからは好きな場所に移動できる。

だが、まだ点滴がある。これがある限り完全に自由ではない。点滴は栄養補給のためのもので、食べなくてもこれで十分らしい。

看護師によると、食べるより点滴のほうがいいという人がけっこういるらしい。信じられない話だ。

私など、常に空腹感がありありで、携帯でクックパッドを何度も検索したくらいだ。


<四日目>


尿のパイプが取り外されたおかげで、病院内を散策に出かけてみる。

そして自然と売店に行きたくなる私。確か1階にあったはず。
ちょうどエレベータは看護師の詰所の前にある。詰所で売店の場所を聞く。

「1階のレントゲン室の裏側になります。わかりづらいですよ」

「ありがとうございます」

「何か買いたいものがあるんですか?」と看護師。

「ええ、雑誌とか」と私。

「あ、食べ物はダメですからね」

「はい、わかりました」もちろん買うつもりなどない。

エレベータに乗ってドアがしまる寸前に、

「食べ物、絶対ダメですよ」という看護師の声がエレベータ内に響く。ほとんど子供扱い。そんなに食い気が顔に出ていたのか。

ひょっとすると売店に通報されているかもしれない。

「食い意地の張った中年男性がやってきますので、絶対に食べ物は売らないで、と。

そう思うと、売店に行く気がしない。

すぐに1階に着いてドアが開く。
少し迷っていると掃除係らしいおばさんが来て

「どこ行くの?」と、やおら聞いてくる。

「あ、売店どこか知りませんか?」

「連れて行ってあげるわよ。近道あるから」

そういうと、近くのドアを開けて外に出た。

「あれ、外ですか?」

「そうよ、こっちが近いのよ」と、おばさん。

おいおい、こっちは点滴引きずってんだよ。
このガタガタ道を点滴のスタンドを転がして行くのかよ。
おばさんはさっさと行って、遠くから、

「この先だから。じゃあね」と、行ってしまった。
(おいこらー行くなよ)

適当すぎるおばさんを見送りつつ、
私はその裏道をガタゴトと音を鳴らして、
売店を目指すのだった。
<まだ初日>

救急車で運ばれた病院は家から歩いて5分もかからない場所にある大きな病院だ。

病院には8時半に着いた。担当医はまだ来てないらしい。そのためか、若い女医が私の情報収集にやって来た。

腹が切り裂けそうに痛いのに、住所、氏名、年齢、連絡先など、すでに救急に伝えたことを再度聞かれる。

「あと、この書類に記入できますか?」

見ると、何かの確認書のようで、住所、氏名、連絡先などが並ぶ。今聞かれたことと同じ内容だ。

オイオイ、おいらの腹は二の次かよ。手続きなんて後にしろよ――という意味を込めて、

「ああ、うう」と、もがき苦しむ。

「書けませんか?」といいながら書類を差し出す。

それって書けってことね。まるでお役所仕事っすね。と思いつつ、無理して記入する私。

おバカな手続きを終えてもまだ治療は始まらない。その後、30ほど何も施されないまま放置。

担当医が来るのを待つ。これじゃ救急の意味がまったくない。恐るべし相模〇病院。

ようやく現れた担当医だが、簡単な診察をするとどこかへ行ってしまう。その後、30分ほどして点滴が施された。そして、午前中はずっと放置状態だ。

時どき看護師が様子を見に来る。

「大丈夫ですか?」と看護師。

「いえ、大丈夫じゃありません」と私。

「あらそう」

といって消えては、再びやってきて、

「大丈夫ですか?」

「いえ、めちゃくちゃ痛いっす」

「あらそう」

うるせ、もう来んな――という意味を込め、ウーグーウーグーと声をあげて痛がる。

どうやら医者は一般患者の診察をこなしているようだ。これじゃ、普通に通院したのと変わらない。救急よりも一般通院者のほうが優先されている。どこまでもついてない。(おかしすぎ)


午前中の診療が終わったのか、やっと私への対応が開始された。レントゲンやMRIなど、これまでと一変して矢継ぎ早にことが進む。(何なんだ、この手のひら返しは)

検査が終わると、しばらく放置。そして、医者がやって来た。

「今日、手術しましょうね、虫垂炎ですが、けっこうやばいので」

ウグとしか言葉が出ないボク。

「その前に、家の方を呼んでもらえますか。いろいろ説明しないといけないので」

そう、手術前には必ず説明しないといけない規則があり、できれば家族と患者の両方にする必要があるようだ。

元妻は無理。息子は学校。スガ婆は普通にダメ。仕方なく、元妻の母(77歳)に電話してきてもらう。自転車で5分ほどの距離だ。時間あるかと聞くと、あるという。母はいつでも時間を持て余している。


10分ほどして母から電話。

「今どこにいるの?」と母。

「B棟の3階です」(電話で教えたばかりだ)

「受付で聞いたら知らないってさ」と母。

受付が知らないわけない。この人、何でも勘違いするから、普通には来れないとわかってはいた。

「B棟のエレベータはそこから奥に行った所です」

「わかった、じゃあね」と母。たぶん、わかってない。

その後、母は10分ほどして私の元へ辿り着いた。

「やっと着いたよ」と、ひと際でかい声が病室に響く。うちに来る時と同じ声の張りだ。

そんな母と一緒に医者の説明を聞く。難しい言葉の連続で母は居心地悪そうだ。説明が終わると母は明らかにうんざりしている。

「あと、麻酔科の先生の話も聞いてくださいね」

「私、家を留守にしているので帰ろかな」と母。

「もう少しですからお願いします」と医者。

待っていると、麻酔の担当医がやって来た。

30歳くらいの女性で美人である。背が高く、楚々として清らかだ。和服を着て京の庭を歩くと絵になるだろう、と思う。こんな女性に麻酔をかけられるなんて、なんて幸せなボク。相模〇病院さん、ありがとう。(こらこらー)

その思いは、母も同じだった。だが、表現がかなりストレートだ。

「こんなきれいな先生がいるんだね。うちの娘に似ているわね」と母。(どこがじゃい)

10分ほどで説明が終わると、母は帰って行った。

「あとでまた来るね」と言い残して。(何しに来んの?)


ということで、手術は午後2時半ごろに始まる。

さきほどの麻酔科担当医もいて私を手術台へと誘う。私はすっかり腹の痛みを忘れ、夢の中へと身を投じていったのであった。

(続く)
またまた夏からスルーしてしまったマイブログ。

気がつけば秋晴れ爽やかな10月。じつは私、入院していたのです。といっても、盲腸です、ハイ。

今まさに入院中の身、あまりにも退屈で、ついブログのこと思い出したのである。(どこまでも駄目な私)

さて、盲腸事件のてん末を解説してみたい。(やっぱりするんだ)

<初日>

朝5時、腹が痛くてほとんど眠れてないカラダをなんとか起こし、階段をよたよたと下る。

息子とスガ婆の朝食を作り、7時に息子、8時にスガ婆を送り出さないといけない。

食事は食パンにチーズをのせて焼き、その上にハチミツをかけた時短メニューだ。けっこううまい。

だが、息子は、「何これ?」と不満げだ。いつもならいい返すが、今日はそんな元気はない。そんなことより早く横になりたい。

「悪い、今日はそれしかできないんだ。ハラ激痛」といい、へなへなと長椅子に横になる。

「大丈夫?」そういうと、息子は何もいわず食べ始めた。

「手抜きにしてはうまい」と息子。

「ああ」と、うめき声で返礼。

息子には強い父親像を見せる必要もあるが、時には弱さも見せておきたい。というか、弱さのほうが断然多いわけだが。

「ごちそうさま」

そういうと、いつもならさっさと自分の部屋に戻る息子だが、今日は食器を洗って片付けてくれた。

間違ってなかった。私の、私の子育ては間違ってなかったのだ。あー、神様。

「ハイ、これ」

感動の余韻にひたる間もなく、息子が携帯を手渡す。

画面に表示されていたのは、<急な腹痛の原因>とかで、虫垂炎などという文字が並ぶ。

虫垂炎って、盲腸かよ!

「はやく病院行きな」(完全なる上から目線)

「あ、ありがとな」やっぱり、間違えてなかったんだ。(またかい)

だがしかし、感動は長くは続かない。

イテテテ

容赦ない腹痛はさらに増幅し、私をむしばむ。

くそ、なんか恨みでもあるのかよ。確かに最近、夜遅くにビールや酎ハイを飲んだし、柿ピーナッツも食べた。お腹を大事にしているとはとてもいえない。

だがそれは子供や婆を第一に考え、好きなサーフィンを控え、身を粉にして家事と仕事に専念している私の唯一の楽しみなのに。それさえも許されないのか、クウーーーーーーーーと床に泣き崩れる私なのであった。(ハイハイ)

イテテテテ

もうかなりやばい。だがあと一人、スガ婆を無事に送り出さねばならない。いっそのこと放置しようか。介護放棄――逮捕、刑務所ぐらし(うっ)

激痛の中で無駄な思考が働くのはなぜか。そして、激痛の中でも老人臭が健在なのはなぜか。どうでもいいといえば、どうでもいい。


6時半を過ぎた。そろそろ起こす時間だ。

ちょっと臭いがきつい。ひょっとして起きてるな。

部屋をのぞくと、スガ婆は布団の上に座っていた。

運がいいことに今日はウ○コももらさず、布団を小便で濡らしてもいない。奇跡だ。

手早く着替えさせ、食卓に着かせる。

朝食は息子と同じハチミツチーズ食パン。

「うまかね、母ちゃん?」

「うん、美しか」

美(うつく)しか、というのは美味(おい)しいという意味で、スガ婆がボケてから使いまくっている造語だ。

スガ婆は食事で好き嫌いはいったことがない。嫌いなものは残すからわかる。大好きなものは食べる速さが倍増する。例えるなら牛丼をかっ食らうオヤジのように椀を抱えて箸を動かし続ける。


7時前に息子が家を出て学校に向かった。

忘れ物はない? うん、ない。じゃあ、いってきます。

1分後、息子は家に戻って来た。

忘れ物あったわ、と一言。子育て間違ってたかも。

スガ婆が食べ終わるまで横になる。

30分は眠れる。いや、決して眠れるわけはなく、ただそれでも睡魔がある程度の麻酔効果をもたらしてくれる。


スガ婆を送り出すと、すぐに私は携帯で電話した。

ほどなくして救急車のサイレン音が遠くから聞こえてきた。

(続く)
スーパーで買い物をしてレジに並んでいると、買った商品をいちいち読みあげるレジ係がいる。

「リンゴ、入ります。ナス、入ります。コロッケ、入ります」

それだけではない。割引価格の場合、その割引率まで声高に言うのである。

「シャケ、10%引きです」

これを知らずに割引商品ばかり買ってしまうと痛い目にあう。

先日、私の前に並んでいた一人の女性が、このワナにはまってしまった。

その上品そうないでたちの中年女性は、何も知らずに割引商品をわんさかと購入し、意気揚々と買い物カゴをレジに差し出した。

すると、レジのオバサンは、

「お弁当、半額です。お刺身、半額です。惣菜、半額です」と、連呼しながらバーコードリーダーで読み取っていく。

ほとんど半額ものばかりを購入したことが暴露され、中年女性の顔が引きつっている。

「はずかしい」と小声で言うと、

レジ係は「ありがとうございます。合計で〇〇円です」と、動ずる素振りも見せず言い放つ。

ふと私自分の買い物カゴを見ると、割引商品が二つ入っている。

これくらいならまだマシかと妙に安心する。後ろを見ると誰も並んでいない。

これって何かの罰?

昔、小学校でテストの答案用紙を返すとき、点数を呼んで渡していた先生がいたが、点数の低かった時は恥ずかくて独りで帰宅したことがあった。

まさにそのようなことが目の前で起きているのだ。

それにしても、レジ係はなぜ人の買った内容物をいちいち声に出すのだろうか。

客のためであるとしたら、どんな利点があるのか。買い間違いを防ぐため?

「あ、リンゴじゃない、本当はトマトが買いたかったの。助かったわ」と、客はここで気づくことができるということか。

高齢の客が多いため、注意喚起しているのかもしれない。

あるいは、レジの機械がバーコードと音声のダブル方式になっているのかも。バーコードより、オバサンの声を信用しているというのか。いうなればコンピュータの数字を信用できず、ソロバンで再確認するようなものだ。

ともかく、気に食わない客には、「半額で~す」と、さらし者にできるという優位性を持つスーパー。

これによって、割引商品ばかり買う客を撃退でき、一人だけ得をすることのないよう対処できるのである。

だが、いくら低い点数を叫ばれても成績が上がらない生徒がいるように、割引狙いもなくなりはしないだろう。

オバサンをなめてはいけない。ひと目もはばからないのが、オバサンである。

スーパーはそんな人たちを相手にしていると自覚し、声に出すのを即刻止めてほしいと思う次第である。
気がつけばまた長~いブランク。

ということで、約2カ月もブログ更新していない。

この間なにをしていたかというと、大したことはしていない。

この2ヵ月間に、スガ婆におきたことといえば、血圧の薬の効きが悪くなったこと。便の回数が減ったこと。足腰が少し弱くなったこと。実の弟(80歳)と電話で話をしても、電話の声に反応できず、会話にならないこと。

そういえば寝小便は以前よりしなくなった。

一応、防水シートを敷蒲団カバーの中に入れて、布団本体まで濡れないようにしている。

以前はカバーに半径20センチほどの小便が二日に一回、30センチの小便は三日に一回というのがお決まり。

20センチまでのタイプのものはドライヤーで乾かせば、そのまま使用可能だ。

深夜に取り替えるのは疲れるので、乾かすのが手っ取り早い。

ドライヤーで熱風を当てると、濡れた場所がみるみる消え、同時に小便臭が鼻をつくが、楽チンこのうえない。

2分ほど、熱風を当て続けると小便はすっかり乾いてしまう。

あとは何事もなかったようにスガ婆を寝かせて、ハイ終了。布団カバーはそのうち洗濯すればいいのだ。

このドライヤーを使うのは、寝小便サイズが50センチくらいまで。

広範囲だと乾燥時間が長くなり、疲れるのと電気代のムダが考えられるので、面倒だがカバーを取り換える。

介護というのは、ある程度の手抜きが必要だ。

在宅介護を続けるには一生懸命より、80%くらいの気持ちのほうが上手くいく。(おおざっぱだ)

少々の汚れにいちいち交換などしていられない。時には見なかったことにする。(え~)

罪悪感は持ってはいけない。ここは良い意味のいい加減になること。(決して自分を弁護しているわけではない)


深夜や早朝の諸問題をテキパキと処理することは、スガ婆にとってもストレスの少ないことを意味する。

ちなみに小便をドライヤーで強制的に乾燥させると、そこだけ黄ばむわけだが、翌日、洗剤をつけて手もみ洗いすると、黄ばみは消えてしまう。

小便や大便が大した抵抗もみせず、すんなり落ちてくれるのは何とも有り難いことではある。食品の汚れだとこうはいかない。

大便といえば、3日に一回くらいのペースになった。

以前は毎日出ていたことを思うと、内臓の老いも始まっているのかと思わずにはいられない。

他の老人も同じようなものだとケアマネが言っていたが、この先どうなるのやらと少々不安になる。

とはいえ、これも規則的に出てくれればいいのであって、健康体のスガ婆でもそうなるのは、自然の節理として前向きに受け止めたい。

ちなみに父の場合、週に一回という驚くべきペースであった。

一度、トイレが詰まりあふれたことがあった。妻が対処してくれたが、これが離婚の原因になったのではないかと思ったりもする。