あれから二、三日たっただろうか、ヒヨドリのヒナが巣から脱走した。

ろくに飛ぶこともできないのに、家の軒先にとまって、ヒーヒー鳴いている。

身を震わせて、いかにもひ弱さを見せつけ、親鳥を心配させる。

親は決してヒナから目を離さないよう、数メートルの距離から見守りつつ、ピーピーと騒がしい。

「ガンバるのよ、ヒーちゃん。ママが見てるからね」

だが、ヒナはそんな親にかまうことなく、

「うぜ~」と言っては屋根やベランダに逃げ回る。

それにしても、早すぎる。フカしてまだ一週間も経ってない。なのにもう、不良少年に成長した。

目を離せば、迷子になって、やがて猫やカラスにやられてしまう。そんな危険を冒しても、一人前にならんとする本能に鳥たちは何ら疑おうとせず外界の扉を開ける。

雨が降ってきた。

巣に戻って身を丸めていれば、親がヒナに覆いかぶさり、雨に濡れることはない。

だが、二度と巣に帰らぬと誓ったのか、ヒナは雨から身を守るようにベランダの隅で身をかがめている。

心配そうにバタつく親鳥。知らぬフリして目を閉じるヒナ。

親から離れようという意思が、その小さな体に感じとれたのは、気のせいだろうか。

暑い夏の昼下がり、やがてゲリラ雨は止み、ヒナはまた活力を取り戻し、

「世話になったな、あばよ」と、飛び立った。

というより、飛び降りた。翼の力が弱く、ベランダから急降下。自殺行為じゃん。

すさまじい親の鳴き声が響く。

「ヒーちゃん、ダメよ~、ダメダメ」

この近所にはノラ猫が何匹かたむろしている。地面に激突して負傷すれば、ノラに狙われる。

だが、急降下後、急上昇したヒナは再び屋根に飛び上がり、

「羽が濡れたまま飛んじゃったよ」と、やや恥ずかしそうに翼をパタパタさせた。

「ダメよ~、ダメダメ」

「もう大丈夫。じゃあな、母ちゃん」

ヒナはあっけなく飛び去った。

そして、すぐにその後を追って親鳥も飛んで行ってしまった。

こうして、わが家の庭で繰り広げられた、ヒヨドリの感動子育て日記は終わりと遂げたのでした。

めでたし、めでたし。(はや!)
今朝、目が覚めたのはスガ婆の奇声でも、老人臭でもなく、鳥だった。

そう、鳥だ。

窓を開けていたため、鳥の声がストレートに入ってくる。朝、5時に。

しかも、その鳴き声たるや、キュートな小鳥のさえずりとは程遠く、ピェー、ピュー、ピョーと、かなりうるさい。

ったく、なんという迷惑。

声の主は間違いなく、ヒヨドリ。

しかも2羽。喧嘩でもしているのか、わが家の庭木で盛んに叫んでいる。

「うるせえな、あっち行けよ」と言うのも大人気ないので、窓を閉める。

だが、それでも鳴き声はかなりの音量で侵入する。

仕方なく、スガ婆の尿チェックに行く。

ヒヨドリなどおかまいなしで、死体のような顔で寝ているスガ婆。こっちはこっちで不気味だ。

その日、ヒヨドリは庭木にまとわりついて、飛び去ったかと思うと、再び戻っては、また飛び去って、まるで巣でも作っているのかと勘ぐる。

その予感はみごと的中。

本当に巣があった。わが家の庭木に巣を作っていたのだ。ゲッ。

2階から見ると、巣の中が見えた。ネズミのような動物がいた。

う、ヒナじゃん。

そういうことか。ヒヨドリの子育てが始まったんだ。よりにもよって、わが家で。

まあ、これも何かの縁、しばらく様子を見るしかない。

メジロに続いて、今度はヒヨドリか。とりあえず長い目で見守ろう。こう見えても、鳥にはやさしいのである。

こちらが温かい目で見ると、ヒヨドリと心通じているような気になるから不思議だ。

「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

「よしよし。子育てガンバるのじゃぞ」

「はい、ご主人様」

(ちがうかも)

こうして、わが家ではヒヨドリの子育てが始まった。
とあるコンサートにスガ婆と行ってきた。

その会場は渋谷区と世田谷区の区堺にある、有名作曲家の記念ホールである。

会場は4、500席ほど。出演者は30名くらいで、その一人が僕の友人だ。わざわざ宮崎からやって来たのである。

出演者はほとんどが60歳以上。スガ婆と同年代もいる。

歌唱力は二の次で、歌うことに生きがいを感じているとしか思えない人達だ。まるで老人ホームの余興を見ているような錯覚に陥るから不思議。

時折り、ホールに響くけたたましい歌声に、僕はケータイのイヤホンを耳にあて難を逃れる。

客は30名ほど。出演者の親族だろうか、年配の客がほとんど。ヤジを飛ばすこともなく、神妙に聴いている。

僕の友人(50代)はライブハウスで歌うセミプロである。

それゆえにこの蛮行を不思議に思った。聞くと、

「恩師に誘われ断れなかったんだ」と唇を噛む。

各人の持ち歌は演歌、歌謡曲、童謡からシャンソン、カンツォーネ、美空ひばり、と幅広い。

ピアノの生伴奏もあるが、音合わせをせずに本番を迎えたようで、音程が定まらず、中には途中で歌をやめ、ピアニストと打ち合わせを始める者も出る始末だ。

「あー、早く帰りたい」

会場に着いて15分ほどしかたってない。イヤホンもあまり効果はない。友人の番はまだまだ来ない。帰るに帰れない。

コンサートは午後1時から7時くらいまで延々と行われる。最後まで聴くことは不可能に近い。そのためだろうか、入場料は取らない。

高齢者が立派なホールで、しかも伴奏付きで歌えることは何とも幸せなイベントである。

だがその裏で、客はひたすら耐え忍び、時間と戦い続けていることを関係者は、たぶん知らない。
お漏らし対策として与えた紙パンツと尿パッドだったが、スガ婆は

「超快適~!」とばかりに、紙パンツと尿パッドにはまっている。

尿パッドを知らない人のために説明すると、尿パッドは紙パンツに貼り付けて、おババの尿を吸い取る、いわゆる生理用ナプキンの親玉のようなものだ。

僕は以前、間違えてナプキンを購入していたが、できれば記憶を消してしまいたい。

あの頃おそらくレジの女性も

「な、なんなのこの人? はっ、まさか女? もしかして変態…それとも奥さんに頼まれただけ?」

と、蔑視を投げかけていたにちがいない。

紙パンツとパッドはあくまでも夜の対策だったが、昼間も使用するようになり、トイレに行く回数が激減し、尿パッドはおババの小便で常に飽和状態にある。

そのまま歩くと、重みで紙パンツごと尻から下がり、半ケツとなってカニのようにカクンカクン歩いている。ちょっと不気味だ。

仕方なく尿パッドを交換する。使用済みのパッドは尿を吸い取って、ぶくぶく太ったトドのようなフォルムを形成し、何だか幸せそうだ。

ありがたい商品だが、できれば尿パッドだけにはなりたくない。

つい最近まで、ほぼ毎日のようにスガ婆が尿を漏らし、布団が濡れて、その始末に追われていた。

尿パッドをもっと容量の大きいものに替えたいところだが、その分値段が高くなる。

しかし、いつまでも早4時におババの寝小便に振り回されるのは、能がない。

そこで介護経験者でもある隣のオバさんに相談すると、夜11時くらいに容量の大きい夜用の尿パッドに替えるといいと言うので、さっそく実行する。

すると、これがズバリ的中した。

布団に漏らすことはなくなり、尿パッドは中トドくらいの体型を維持して、朝を迎える。

「ありがとう、おばさん!」

中トドを汚物入れに捨てながら思わず合掌。


ただ、朝5時半にスガ婆はトイレに行く。不思議なことだが、朝はどういうわけかトイレなのだ。

用を済ますと中トドをお股にはさんで、カクンカクンと歩いて部屋に戻る。

この機に尿パッドを取り替えないと、中トドはスガ婆の手によっていじくられ、挙句のはてに部屋の片隅にポヨンと捨てられる。

あるいは布団の中で体の下敷きになってしまう。

結局、朝4、5時に起きてしまうのは相変わらずで、健康的な生活を続けるしかない。合掌。

スガ婆は歌が好きだ。

特に、童謡が好きなようである。

これは、デイに行くようになって知ったことだ。

家で歌ったことはあまりないから気づかなかったが、どうやら歌好きのようである。

デイでは土曜日にカラオケや音楽会がある。そのため、ケアマネージャーはスガ婆に配慮して、わざわざ土曜をデイに行く日にしてしまった。

先日、歌詞が書かれた半紙を持ち帰ってきた。

それは「歌を忘れたカナリア」の歌詞だった。

自然に口ずさむ。すると、スガ婆が歌いだし、一瞬、親子合唱を奏でる。ゲッ。

恥ずかしさを通り越し、自虐の念にかられ、思わず頭を壁に打ちつける。

スガ婆の独唱から意識を遠ざけるため、その歌詞をじっくり読むことにする。

と、それはそれでスゴイ内容であることにあらためて気づいた。

1番
「歌を忘れたカナリヤは、
後ろの山に捨てましょか。
いえいえ、それはなりませぬ」

2番
「歌を忘れたカナリアは、
背戸の小藪に捨てましょか。
いえいえ、それはなりませぬ」


続いて3番

「歌を忘れたカナリヤは、
柳のムチでぶちましょか。
いえいえ、それはかわいそう」

(4番は省略)

よく見ると、どれも残酷なものだ。

これを老人が笑顔で歌う光景はまさに地獄絵。

いったい作者は何をもってこの歌詞を世に出したのか。

カナリヤをムチで叩くってのは、かなりヤバイ。

もし今の社会で発表されたら、世の親どもがこぞって反発することは想像に難くない。

しかもそれを子供に歌わせるのだから、当時の社会はおおらかというか、度胸があるというか。

それはともかく、いったいなぜこんな歌詞ができたのか考えてみたい。(考えんなって)

おそらくそれは、作者が親の介護をしていたからという推測が成り立つ。

カナリヤをババアとかジジイに替えると、意味が通じるようになるから不思議。

ということは、介護に疲れた長男が、親が寝たあとに、夜な夜な書き綴った日記の一片なのかもしれない。

だとしたら、悲しい話しだ。

あるいは、あの「姥(うば)捨て山」の関係者が悪しき風習を思いだして書いたものかもしれない。(たぶん違う)

ともかく、そんな裏があることを私たちは忘れてはならない。(はい?)

翌日、カナリヤを口ずさむと、スガ婆は「なにそれ?」という目で僕を見る。

僕は、後ろの山に捨てましょか♪ と語気を強めて歌う。