【小説】立ち小便と神様と犬 | シュガー・ドラゴンのブログ

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 それは、五反田駅のバスロータリーの一角に植えられた、向日葵が咲き始めた頃のことでした。花房山通りを、目黒方面に向かって、犬を連れた男が歩いておりました。真夏の太陽が、激しく照りつけていましたから、犬を連れた男は汗をかきかき、「ちょっと休むとしよう」と、大きく右に湾曲した、いつもの散歩道から脇にそれ、山の斜面を切り出して作られた、石段を上りだしました。というのも、その辺りは、大きなお寺や大使館などが建ち並ぶ、いわゆる高級住宅地で、居心地の良い広場や公園が、そこかしこにあるからです。
 犬を連れた男は、合歓の木が涼しそうな陰を作っている、小さな公園へとやってきました。水飲み用の、直立した水栓の蛇口をひねると、陽の光でキラキラとした飛沫を上げ、中空に放物線を描きながら、水が湧き出でました。犬を連れた男は、放物線に向かって、顔を投げ出し、思うさまに頬張りました。顎を胸に埋めると、旋毛に落ちてから項を通り、背中を伝って尻の割れ目へと辿りく水の流れが、男の体を癒しました。
 人心地ついた男は、犬がいなくなっていることに気付きました。慌てて見渡すと、煉瓦で仕切られた公園の花壇に分け入って、芝生に転がり身体をこすり付けている犬の姿が見えました。男は犬を呼びましたが、犬は夢中になっているようで、こちらを見ようともしません。「花壇に入らないで」の立札を横目に、男はそっと芝生に足を踏み入れました。抜き足、差し足、ゆっくり腰を落として、手を伸ばし、リードを手繰り寄せ、男は安堵とともに公園を見渡しました。花壇の中から見る景色が、男を妙な気持にさせました。初めて訪れた街で、帰りに迷わないよう振り返ってみると、今通ったはずの道が、まったく別の空間に思えるような違和感。よく見知っている五反田の街並みは、どこかへ消えてしまっていました。
 男は芝生に尻を落とすと、そのまま大の字になりました。疎ましいとすら思っていた陽の光も、木漏れ日となって心地よいくらいです。握っていたリードは手放し、そうっと目を閉じ、胸は規則正しく上下運動を始めました。すると、男はふいに立ち上がり、まるでそこがその場所であるということを、前もって知っていたかのように、花壇の奥の塀の側までくると、まるでそこでその行為をすることが、さも当然といったかのように、ズボンを下しました。男が用を足そうと、狙いを定めた時、塀になにやら落書きを見つけました。それは、マジックで書かれた鳥居でした。男は尻に力を入れて、出掛かった小便を引っ込めました。男は鳥居をしばらく眺めてから、思い出したようにそれをしまって、ズボンを上げました。
 犬は、いつの間にやら花壇を出て、公園の門柱のところに座っていました。抜き足、差し足、芝生を後にして、男はリードを手に取りました。花房山通りを、五反田方面に向かって、犬を連れた男は歩いていました。来た時よりも少しだけ早足で。バスロータリーには、向日葵が咲いていました。途中、犬は三回、小便をしました。


(終)