今日はクリスマスイブですね。
2021年前の12月25日明け方馬小屋でイエスキリストが生まれました。
クリスマスイブはそれをお祝いする前夜祭ですね。
少しキリスト教について話します。
前置きとして私はクリスチャンでもなく、浄土宗のお寺の檀家ではありますが、仏教もそんなに信じていません。
私の宗教観は色々な宗教がありますが、どれも「死後や生きていく不安を解消する」、「娯楽や人々のつながり」を目的とした社交ツールだと思っています。
その中で人生の教訓を得て、キリスト教では「神の子として許される」、仏教では「極楽浄土に行ける」などと言います。
共通しているのは、「幸せを探求するには人の為に事を成しなさい。」
ということですね。
「人の為」というのはその方の上質世界を支援するということ。選択理論で言い換えると「自分が幸せと感じるには相手の上質世界に寄り添いなさい」ということです。
実は選択理論も宗教の考え方に似ているところがたくさんあります。
とくに愛の宗教と言われるキリスト教には共通するところがたくさんあります。
選択理論心理学会の会長の柿谷氏も偉い牧師さんだそうです。
私もキリスト教は好きです。許すこと、人に許されること。そして愛の教え。とても素晴らしいと思います。
ここからは宗教学の分野になるんですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などイスラエルを聖地としている宗教は唯一神を信仰しています。偶像は崇拝しません。
一方、仏教などその他の宗教には神はたくさんいます。仏教でいうと阿弥陀如来が元々の神ですが、釈迦如来やその他たくさんの菩薩や観音はもともと人でした。人が悟りを開いて神に昇華した。偶像崇拝します。
違いは分かりましたか。
世界で起こっている宗教戦争は、唯一神の宗教同士で対立しています。ユダヤ教対イスラム教。キリスト教対イスラム教。なぜでしょうか?
それは唯一神ですから、ほかに神がいることを許容しない、許さないわけです。そして神は偶像に宿るにあらず。自分の心とともにある。ですから、神は私とともにあるわけです。
私はキリスト教のイエスも、ユダヤ教のヤハウェも、イスラム教のアッラーも唯一神であるから、異教徒を殺していいという考え方には、悲しんでいると思います。
信仰の反対は憎悪。唯一神への忠誠心は異教徒への殺意。
神はそれを望んでいるのか?
その点、仏教は神様がいっぱいいる。おまけに日本は神教もあり八百万(やおよろず)の神がおります。日本は神様だらけ。でもそれが功を奏した。
それは、「相手を受け入れる。」「違いを受け入れる。」という尊い教えを体現しているからです。
そんな違いを受け入れ、相手を尊敬する態度は「受容」と「尊敬」、つまり内的コントロールの行為です。
私の個人的な意見ですが、キリスト教もイエスだけでなく、その弟子や周りの登場人物も神になればよかった。唯一神は選択肢を残さない、神に向き合うと自分を追い詰め、他者との違いを許容しない。それは、本当に神が望んだことでしょうか。
善か悪か、二択は自分を追い詰めます。
選択肢は沢山用意しましょう。それが自分の心を自由にしておく秘訣だと思います。
メリークリスマス!







