許せない!! | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

許せない

よくね、全てを許すこと!
自分を許すこそ!
そうすれば、全ては変わるって言うじゃんね。

俺も良く書いていたし、ちょい前の投稿も
それを結びの言葉にしていたもんね。

けど、ごめん。
それ嘘だわ!嘘ついてた!

許せないわ!!

俺、許したことなんてないんだもん。
誰のことも、許したことなんてないもんな。

だってさ、「許しようがない」んだよ。
そこに、「許されなくてはいけない人」がいないから。
「許されなくてはならないモノ」なんて、
そもそも、ないからさ。

一昨日書いた、パートナーの
「カバンの中のじゃら錢とパンツと謎のクリーム混在現象」に出会うのを、日々楽しみにしている状況に、
「許し」なんて入り込んでないわけ。

だからさ「許す」とか「許さない」とか「許そう」とかって、何の話だっけ?

許したくても、許しようになくない?

つまり、「許そう」としている時点で、
ズレてるってことだよね。

許さない= 嫌いな食べ物を、拒否する。
許す = 嫌だけど、食べることにする。

両方、嫌じゃん。そんなん両方、辛いもん。
人間、辛いことは、やらないよ。

好きになっちゃう!

これが正解。その食べ物、好きになっちゃったんだから、
「許す」と「許さない」は、無意味でしょ?

え?そんなんできない?

それは”嘘”だね。
だって、好きと嫌いは、同じモノだから。
嫌いなモノを、僕らは、本当は心底愛しているわけ。

だから、100%それを好きになれる。
時間の問題。
そう、それを認めちゃうだけ!
好きになるのを、許せばいい・・・

許せるじゃん! 笑

「許可」ってことなんだよね、許すって。
「OK、認めちゃお!」って感じ。
ゴッメーン、本当は、それやりたかったの〜ん!
けど、恥ずかしくって認められなかったの〜ん!
って感じ。

「許すこと」を、「嫌いなモノを受け入れる」的なイメージで使っていると、反対方向に進んじゃうのよね。

「嫌いなモノを、嫌いなまま、受け入れる」
ってのは、無理。不可能。不必要。
「嫌い」を固定している限り、辛い。

誰かを「許そう」としたのなら、
まず自分が見つけた「その人の罪」を見つけることだ。

「裁判長、あいつは、何の罪でしょう?」
「怠惰!」

そしたら、「もっとのんびりしたいのか〜自分!」ってわかるじゃん。そしたら、罪人の「のんびり人間」を許せないor許す・・・の地平は消えて、「のんびり人間万歳」になる。

好きになる。

ほら、好きな人を、許しようにない。
僕らは、許すなんて高慢なこと、できやしないよ。

「あなたのこと、好き」、それだけ。
残るのは、それだけ。

 

→ さらに詳しくは! 現実2.0の世界観 を読んでくださ〜い!!