僕らが学ぶ理由 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

どれだけ、自分を見つめて、自分を許し、世界を愛し、
自在に生きることができるようになってもね、必ず僕らは死ぬ。
きっと事故るし、理不尽な仕打ちを受ける。誤解され、裏切られ、大切な人を失う。
うまくいかないことが、やってくる。


だから、「良いこと」や「望んだこと」に
囲まれている状況を目指しているのなら、僕らは、永久にゴールできない。


ってことは、心理を学んだり、自分を見つめるってことの目的・・・大きく言えば生きるということの目的は、
「人生を良いことで、満たすこと」や、「うまくいくこと」じゃないんだよね。
 

じゃあ、なぜ僕らは学ぶ?
なぜ、僕らは自分を見つめ、自分を許し、自分を愛そうとしている?
 

僕は「幸せに生きる」ためにそれをしているな。
僕がやってきたことは、そこに尽きる気がする。
 

人生には、いろんなことが起こる。
そりゃ、うまくいってる時は、幸せさ。
だけど必ずやってくる、大切な人を失い、信じていた人に裏切られ、突然の天災に巻き込まれ、家族と分かり合えない時。そんな日々を、「不幸せ」とするのなら、
人生、必ず、不幸せになる運命を辿ってるようなものだ。
 

であるなら、答えは見えてくる。
いかなる日々をも、幸せに生きること。
もちろん、嘆き、悲しみ、恨み、妬んだっていい。
それこそ、人生の本質かもしれないもんね。
 

けれど、ずーっとその中に居たい人は、稀有。
きっと僕らは愛を、許しを、求めて歩き出す。
 

それが心の旅の目的地かな。
 

ギフトを受け取ること。
人生がくれるギフトを、受け取ること。
別れも、誤解も、不寛容も、その全てをギフトとして受け取ること。
 

それが、生に、主体的に関わることだと、僕は思う。
そして、主体的に関わる限り、心の中、その深い場所に、
いつも幸せが息づいている。