【現実2.0】体験の理由 〜 なんで私がこんな目に?〜 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

このブログは、心理学や哲学、宗教や思想、様々な形で伝えられてきた、
人類が持つ「2種類の体験の捉え方」=「2種類の現実」を、
「現実1.0」と「現実2.0」というコンセプトで
わかりやすく描いて見ることを目的としています。

第1回から読まなくても、わかりますので、読み進めてください。

面白かったら、第1回から読んで見てください。

 

* * * *

 

第1回:現実1.0と現実2.0の概要
http://ameblo.jp/sudoshun-blog/entry-12282346034.html


第2回:現実2.0で眺める人間関係

http://ameblo.jp/sudoshun-blog/entry-12284373355.html

 

第3回:現実1.0と現実2.0、それぞれから見える世界の比較

 http://ameblo.jp/sudoshun-blog/entry-12285782617.html

 

と書いてきまして、今日は第4回。

今日は、第3回のラストで予告した通り、

「なぜ、自分がこんな体験をしているのか」という問いについて

考えながら、人の成長について考察をしていきます。

 

* * * *

 

僕は、なぜ、この体験をしているのだろう。
僕は、なぜ、こんな体験をしなくてはならないのだろう。


誰もが、こんな問いを持ったことがあるのではないでしょうか。

なんで、自分がこんな目に・・・とほほ・・・
あるある、ありますね〜

この問いの答えと、「現実2.0」の世界観は密接に繋がっているんです。

昨日と今日、そして、明日。

僕らは、変化をしています。生とは変化するもの。
僕らは、生まれた時から、今日の日まで、そしてこれからも、
変化の中に生きているわけです。
それは、一瞬一瞬、脱皮していくようなもの。
これまでの自分から、これからの自分へ。

この変容のプロセスを、僕は、卵の比喩で説明することがあります。

まず、卵をイメージしてください。
そして、自分がその内側、卵の中にいます。
硬い殻の中にいれば、安全で、安心。
卵の殻は、外の世界、危険な外敵から身を守ってくれる安全な外壁です。

卵の内側には、これまでの自分の全てがあります。
これまでの自分にとっての正しいもの、これまでの自分が良いと思ってきたもの。
これまでの自分が、信じてきたもの。自分の重ねてきたもの
つまり、「自分」という世界がそこにある。

では、卵の外側に何があるのでしょう。
それは、自分にとって間違っているもの、これまでの自分が悪いと思ってきたもの。
これまでの自分が、信じてこなかったもの。
今の自分にとっては「嫌」で「危険」で「怖いもの」・・・

本当にそうかは、知りませんけれど、あなたは、そう教わりました。
お家で、学校で、社会から先生から友達から、そして自分の経験を通じて。
だから、居心地の良い、卵の中で生きていきたいわけです。

けれど、問題が起こります。
僕らは日々、成長していますので、
居心地の良かった卵の中もいつか必ず窮屈になってしまう。
なので、必ず、殻を破って外に出なくてはならないタイミングがやってきます。

けれど、そこから出るには、大変な勇気がいるのです。
安全な外壁の外側の世界には、怖いもので出来ているわけですから。

外に出るのは、怖い。だから、出たくない。
けれど、ここにいるのは、とっても窮屈だ!

この「出たい!」と「出たくない!」の軋轢が、
悩みや問題や困難というものの、本質です。

窮屈だけど怖いものに触れずに居られる場所を選択することもできます。
それは、「自分の信じる正義を生きる」ということです。
「自分らしく生きる」と言ってもいい。

それをしようとしてみると、たくさんの苦しみが待っています。
自分を律し、叱咤し、たくさんの困難の中を頑張っていく道です。
必ず、そうなります。

なぜ?

それは、実は、本当は、あなたは「私」を出ていきたいからです。
「私」と「私の正しさ」を、出ていきたいからです。
「私」という卵が窮屈で、もうそこから出ていきたい!!
備わった翼は、大空で待っている血湧き肉躍る冒険を覚えています。
僕らの深い意識は、卵を割って次なる世界へ羽ばたいていくことを、
痛切に欲望している。

そう、いくら「私」が安住を求めても、あなたの「魂」は解放を求める。
困難とは、この二つのアンビバレントな欲求のことです。
成長を止めることはできません。
ということは、安住を求める限り、これまでの「自分らしさ」にこだわる限り、
永久に、内なる闘争が続くということです。

そこから自由になるには、屈することです!
自分らしさ・・・へのこだわりを捨て、外の世界を受け入れること。
これが、成長というプロセス、変化というプロセスです。

僕らは、成長させられる。卒業させられる。
卵の外に、放り出されるんです。
人生に。そして魂に。

「私の都合」・・・なんて、お構いなしにね!!

さて、ここまでは、結構普通の話ですよね。
「自分の殻を破る」という慣用表現があるように、
この「孵化」という比喩は古今東西、
人間の成長の比喩として使われてきたわけですから。

なので、ここからが、重要な話です。

この卵を割って、外に出るという「孵化」のプロセスは、
具体的に、どんな風に体験されるのか?
どんな体験が、孵化のプロセスなのか?
というのを書いていきます。

卵というのは、自分の信念で出来ています。
自分の信じる正義、善きこと、こうあるべき・・・
という信念で編まれた強固な外壁です。

それが、割れるというのは、
「自分のこれまで信じてきたこと」が「自分の中の真実」、
「自分の信念」に文字通り”ヒビが入る”、そして”壊れる”ということなんです。
自分がバラバラに割れてしまうような体験。

その信念が強いほどに、それは大きな衝撃になります。
本当にバラバラになっているのは、自分ではなく、
自分の信念と、自分が信念を使って創り出した、自分の内なる世界
(卵の内側の世界)なんですけれどね。

もちろん、感動や感激、強烈な歓喜、そういう体験が
自分の既成概念、卵の殻を割ってくれることも、たくさんあります。
例えば、その機能を担う”卵の外側”こそ、アートと呼ばれるモノなわけです。

それに、自ら進んで、何かわからないけれど、
目の前にやってきたモノに乗ってみる!というのも、
見知らぬ世界に連れられて、気がついたら、殻の外!なんてこともある。

けれど、強固な信念、かた〜い殻が壊れる瞬間というのは、
多くの場合、もっと衝撃的な体験です。
裏切られる、騙される、攻撃される、信頼がもろくも崩れ去り、
信じてきたモノが否定され、自分がわからなくなり・・・・
といった体験を経由することが多くあります。

そして、多くの場合、それは「人間関係」において起こります。
どんな人間関係が、孵化のプロセスを担っているんでしょう。
どんな人間関係が、孵化のタイミングにいることのシグナルなのでしょう。

それは、「敵との出会い」です。
見知らぬもの、自分の気に触るもの、
自分をいらだたせるもの、理解できないもの。

あなたが、許せない、その人。
あなたが、怒っている、その人。
絶対に、違う!と感じた、その人。
あなたを傷つけた、その人。

粗暴で、不謹慎で、わがままで、非常識で、
残酷で、冷淡で、未熟で、低俗で、愚鈍だと、
あなたが自分の卵の中の価値観、尺度、モノサシを使って断じた、その人。

あなたの敵。あなたに、困難を与える存在。
あなたの目の上のたんこぶ。あなたの頭痛の種。非常識な、あの人。

笑 

いますか?
きっといるー みんな いるー 僕も いるー 

それが、自分の卵の外側に、いる人です。
その人こそ、「自分の正義」を使って卵の外側に排除した人。
そして、その人こそ、自分を「孵化」させてくれるエンジェルだということです。
その人以外に、あなたを孵化させてくれる人は、いません。

つまり、敵との出会いとは、困難との出会いとは、
許せない人との出会いとは、
卵を割って外に出るための愛の儀式に他ならないということです。
その人が、あなたの救世主です。

さて、その救世主ですが、その人こそ、卵の外に出たあなたの姿でもあります。
あなたの本来持っている、可能性を見せてくれている人です。
もちろん、今の地点から見ると、その人は「ダメな人」に見えます。
ダメな人・・・なんて可愛いモノではなく、「最悪」でしょうね・・・

だから、その人が本当のあなた の姿だよ!と伝えると、
多くの人は、絶対に違うと拒否します。

いやいや、絶対に自分は違います。そんな人間ではない!!
そうなるくらいなら、死んだ方がまし!
と本当に死んでしまう人もいます。

孵化は時に、命がけです。本当に。

けれど本当は、知っている。あなたの魂は、知っている。
その人のようになりたい自分を。窮屈なこだわりを手放してしまいたい自分を。
そんな風に自由に生きることを、自由に表現することを、切望している自分を。
 

だからね、僕はいつも言う。

その人のモノマネをしてご覧。その許せない行為・・・を自分でやってご覧。

その人に憧れている自分を、認めてご覧。

本当は、それ、自分がやりたいんだって気がついてみよー

そこに自由への道がひらけてきます。

 

そして、卵から出てしまえば、世界は一変しています。
あなたは、気が付きます。
この世界に、粗暴さも、不謹慎さも、わがままも、非常識も、
残酷さも、冷淡さも、未熟さも、低俗さも、愚鈍さも、一切存在してなかったこと。
そんな人が、この世界には、一人もいなかったということを。

許さない自分が、断ずる自分が、裁定する自分が、いただけ。
卵の中から見ていた風景が、空想物語に過ぎなかったことを。
世界は、本当に、愛に満ちていることを。

なーんだ、それでよかったのか。

何を、頑なになっていたのかな、何を、焦っていたのかな、

何を肩肘張っていたのかな、あ〜不思議!

そんな感じ。

さて、救世主が、わざわざ呼びにきてくれました。
”トントン”、「おーい、そろそろ、殻の外に出るタイミングだよー!」

その呼び声は、誰のもの?

もちろん、自分ですよね。
自分の魂から、自分への呼び声。
それが、色々な人の姿を通して、出来事を通して、聞こえてきているだけです。
様々な機会を通じて、そのメッセージを伝えてきているだけです。

あなたは、私。私は、あなた。世界は、私。私は、世界。
現実2.0の世界です。

故に、体験とは、常に、自分が自分に贈るギフトです。
出会いとは、自分が自分を拓くための契機です。
すべての体験が、より広い世界へ自分を導くために創られています。

全ては完璧です。完璧な形で、完璧なタイミングで、それは起こる。
それは奇跡ではなく、単純に、自分がそれを創り出しているからです。
自分が作っているのだから、そりゃ、完璧です。

なぜ、その体験をしたのだろう。
なぜ、そんな体験をしなくてはならなかったのだろう。

問いの答えは一つです。
あなたは、あなたを解放するために、その体験を作り出した。
あなたは、あなたを生きるために、その体験を作り出した。

卵から出ると、世界は美しく、広大で、自在です・・・しばらくは・・・
そう、あなたの成長速度は、あなたが思うよりずっと早いんです。
だから、しばらくすると、気がつくでしょう。

あれ、私は、少し大きな卵の中にいるに過ぎない!
そう、卵の外側にあったのは、また少し大きな卵。

同じです。また、その卵の外側からの呼び声に呼ばれて、
僕らは、自分を解き放っていく。もっと自由に、もっと自在に。

その卵を出ると、きっとまた少し大きな卵の中。
その先は??? ・・・どうなっているんでしょうね!

それは、きっとあなたが見つけます。
その先に何があったのか、いつか教えてくださいね。

それでは、今日のところは、こんなところで!