成熟のために必要なこと  | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

人は人生を通じて、成長し、成熟していきます。
では、成熟とは何でしょうか?
僕は、「成熟=自らを許容すること」だと思っています。
「自分を許容できる量」が、「相手を許容できる量」です。
自分をコントロールすることをやめるほどに、
相手を、世界を、コントロールしようという欲望は消えていく。

だから、自らを許し、受け入れていくプロセスの中で、
人は支配的でなくなり、教育的でなくなり、
相手を、状況を、世界を、あるがまま許容できるようになっていく。

そして、その様な態度で生きる時にこそ、
相手を、状況を、世界を、本質的に変えていくコトができる。

では、どうやって成長し、成熟していけばよいのか・・・


実は、こんなコトを書こうと思ったのは、最近のいくつかの出会いでした。
長年の修行をつんだヨガの先生、セラピスト、宗教家、著名な教育者。
彼らは、みんなとても優れた能力の持ち主でした。
けれど、とても支配的で、教育的。

いかにも「成熟」に近づけそうなコンテンツ(ヨガ、人の心理、宗教、子供)に
日々触れている彼らが、成熟からとても遠い場所にある。

僕は、その不思議に興味を持ち、彼らの共通点に気がつきました。

それは、「自分の心や感情と、つながっていない」というコト。
自分の心の深い場所で感じているモノ・・・欲望や情動に、距離を置いている。

それらの感覚や感情を、理性のコントロール下に置き、
統制し制御するモノとして扱っている。
いや、むしろ、「なきもの」 としている。

そこで僕は、我が身を省みたわけです。

そして、僕を成長させてくれたのは、いつだって
家族や恋人、一緒に会社を作った仲間、学生時代の友人達との
時に苦しい、だけど、濃密な時間だった。
夢中で駆け抜けた日々、自分の感覚と感情を生きた日々だけが、僕を創ってくれた。
そんなことに、あらためて気がつかされたわけです。


人間が成熟するために必要なこと、という問いに戻りましょう。
それは、
・自分の周りにある人間関係の愛憎劇を、生ききること
・自らの感情や、感覚、欲望に忠実に生きること
・怒ったり泣いたり、笑ったり、日々の生活の現場に、密着すること。

僕らが成長するための「糧(かて)」は、「生活の現場」にあります。
眠ること、食べるコト、出会うコト、愛すること、別れること・・・
人生の喜劇を、悲劇を、そして赤裸々な感情の交錯を、
当事者として生きることにこそ、人格的な成熟の道程がある。

それは距離をゼロにすることからしか、始まりません。
セカイの、相手の、自分の、生々しい感情や身体に触れることからしか、始発しない。

自分の感情と感覚を生きる時、相手との間に、セカイとの間に、
本質的な繋がりが生まれる。
躍動する関係性が宿る。愛の契機と、気づきの機会が生まれる。

生活の現場に埋没し、生ききること。
自分の感情と感覚、欲望と情熱に、ちゃんと振り回されること。

懸命に、そんな毎日を生きているのなら、
自らを許し、全てを許していく地平にきっと辿りつく。

夢中で目の前の地面に一歩、一歩、足を運び続けるのなら、
きっと、想像すらできない場所へ、いつか、僕らは辿り着くのでしょう。