当地の市立病院では、下肢切断後、傷口の治癒まで入院。少しはリハビリもしていたらしいが、面会できない現在では、本人の様子とか状況などは、電話でもして病院に聞かない限りわからない。
市立病院ではその後もずっと入院するシステムではなく、転院することになる。
下肢切断が4月19日、整形外科入院。
転院5月13日、療養型の病院に入院。
下肢切断だったらもっと長くかかると思っていたが意外に短いもののようだ。81歳の母親でも。
転院時に市立病院とほんの短い時間面会、さらに転院先の病院でほんの短い時間面会。合計しても10分以下。
転院先では、いろいろな説明がある。転院前にも説明があったが、その説明で転院先に行ったときは、「受診」扱いだそうだ。
何か変な仕組みを感じさせられた。
転院のために日用品の準備に買い物を含めてせっせと集めた。
市立病院とは違い、療養所という形だから、準備しなくてはならない日用品も結構多かった。
パンツは、おむつだから病院側で。上のシャツは、準備しなければならない。
カネばかりかかるところは、毎月11万3400円かかるところ。それは療養費で洗濯物を業者任せにしたから毎月数千円かかる。7000円だったかな?これは、自分で洗濯物を取りに行き、洗濯物を返すならかからないが、大変だ。
日用品には、ニベアのスキンミルクのような乳液タイプのものを持ってきてくれと言われた。クリームではだめだと。変なところで細かい。
箸とかスプーン、それはケースがからなず必要。
コップの類は、割と多くいる。飲み物用、入れ歯を入れる入れ物タイプなど。合計したら病院側が受け取ったコップの数は、5個くらいだ。
病衣というやつだが、それは病院側に用意してもらうことにしたが、1日50円だったか、取られる。
毎月11万円の内訳は、
一部負担金限度額57600円
食事1日460円
居住費1日370円
病衣1日50円
カネばかりかかる母親だ。
テレビOK
病室には、テレビがない。市立病院では、カードで見れたようだが、療養所と言うのは、テレビがない。
聞いてみるとテレビがオーケー。
どのくらいの大きさならいいのか聞いたら、そのへんはあいまいな答えで、病室に台があって、その上に乗ればいいとのことだった。
療養所での侵入可能な領域は、病棟ごとのドアから数メートル、または、病室ごとのドアの近くにある小さな部屋まで。市立病院のようにエレベーター前の空間よりも少し奥にはいれるような感じ。
侵入可能なところに呼び出しボタンがある。
ところが、病棟のドアは、入る時はいいが、出るときは、暗証番号を入力しなければならない。
そうなっているのは、徘徊癖のある患者が数名いて、暗証番号をセットしないとどこかに出歩いてしまうからだと。ちゃんと数名分の指名手配写真のように顔写真が壁に貼ってある。
指名手配写真のような物のがあるところ、入院時に寝るときの拘束ベルトの使用を許可してほしいと求められた。
理由は、寝ているときに転がって落ちてケガをしないように、だと。
それに療養所タイプと言っても、体裁は、内科の診療所を兼ねている。
しかし、何か病気とか怪我の場合は、車いすが入るタクシーで市立病院などに家族が送迎するような形をとるそうだ。
今回の転院の場合も、車いすが楽に入るタクシーを利用することになった。降ろしてその場で料金を支払った。同乗しなくてもいいが、転院時の運びは、家族が行うという体裁をとっている。
なんだかな、そういう仕組みのようなもの。
切断した母親の様子を見たが、入院前と変わらなかった。とても意外だった。
ボケが進行して忘れてしまっているのではないかと勘繰っていたが、大丈夫だった。つまり、まだ数年は、死なないということ。
親を大切にするものだと世間は言うが、相手する側では、そうも言ってられない。
そうそう、切断した脚だが、火葬場で焼却だそうだ。料金は、数百円とか。
病院側から「骨はどうしますか」と聞かれた。拾ってもいいし、処分でもいいそうだ。
一応母親には切断した足を火葬場で焼いたと言っておいたが。
本人にしてみれば、足が切断されていることがわからないそうだ。
少し痴呆が進んでいることなんだが、逆に、本人が気にしない様になればなんともない感じに見える。
母親の現在の要介護度は、1。それについて、療養所の相談員から上げるような手続か何かを言っていた。
そうだろうな、寝たきりと同じことだし。だがまるっきり寝たきりとは言い難い。
リハビリ中心らしいが、歩けるようにはならないだろうし、その後、介護施設にでも移すとか言い出すのかな?
トラクター作業をもう一日できたところで転院で奔走中だった。こんな忙しいときに、とつくづく思う。死ぬときは、4月5月6月だけは避けてくれと言いたいくらいだ。