差分 | 気むずかしい いろいろ

気むずかしい いろいろ

芝居、ミュージカル、落語、映画、
後輩、神社・読書・心理・呪いと祟りも。

ようやく仕事地獄からはい出て、

時間に余裕がでたから、年内、毎週金曜日やすんだろと、思うてます。

明日はお休みして、京都祇園で人生初のお茶屋遊びをしてきます。

伝統芸能の世界に身を置く人と一緒に。

 

財布に、ひと月分の給料をいれて・・・怖。

 

さて、昨晩。

20代の後輩4名と仕事の打ち上げ。

わたしから声をかけたんじゃなくて、誘われたの、嬉しかった、ありがとう。

 

ですが、ひとり50代ですので、

気を使われないように、気を遣わなければならず、

後輩4名に均等に話をふって、悪口と愚痴にならんように楽しい話をしてるフリして、

もうヘトヘトに疲れて21時半に解散。

 

ヘトヘトのまま帰るのはシャクなので、

あと2週間で閉店してしまうバーに立ち寄る。

 

昨日は、わたしと年齢の近い専業主婦がバイトで入っていて、

50代女性の他愛もない話でもりあがっていたところ、

来年就職する娘さんが、お客さんでやってきた。

 

聞くと、大手芸能事務所の社員で働くことが決まっていて、

なんと!5次面接まであり、

アゴアシ付きの合宿面談もあっり、採用が3か月越しで決まったそうな。

 

面接の話、めちゃ面白かった。

さすがエンタメの会社やなと思う、エンタメ面接やったわ。

詳しく書かれへんのが残念やけど。

 

娘さんと1時間半ばかし話を楽しんで、24時に退散。

めっちゃ、おもろかった。

 

もうわたし、会社の後輩と酒を飲んでも、楽しめなくなってしもうた。

刺激がないし、新鮮味もないし、だいたい答えが予想の範囲内で面白味がない。

「記憶との差分」がぜんぜんなくて。

 

「差分」

 

脳科学者の中野信子が言うてた。

刺激とは「差分」だと。

 

楽しいことをしていても、そのうち慣れて面白くなくなるのは、

記憶の「差分」がなくなるからだと。

 

「差分」がないと、楽しく生きれないのだけど、人生まだ折り返し地点なのに、

この先「差分」を見つけることができるのだろうか。

 

ヘミングウェイの「何を見ても何かを思い出す」という小説のタイトルを思い出す。

小説は読んだことないけどね。