東大寺修二会 お松明奉納・籠松明・お水取りに | 気むずかしい いろいろ

気むずかしい いろいろ

芝居、ミュージカル、落語、映画、
後輩、神社・読書・心理・呪いと祟りも。

めちゃくちゃ失礼な話なのだけど、

ご招待いただくまで「お松明」なんて知らんかった。

 

12月にエミちゃんと初めて会って、どういう会話の流れか忘れたけど、

「東大寺のお松明の特別枠を用意できますよ」と誘われて、

迷いなく「行く!」とお願いをして、行くことになった。

 

ただしくは、東大寺 二月堂の修二会(しゅにえ)。

カンタンに言うと、この会が終わると春がはじまると言われ、

要約すると西暦が日本の標準になるずっとずっと昔からある1200年続く年末行事なのである。

 

 

この行事が終わると、春がはじまる。

それはすなわち、農耕のはじまりでもあり、新しい1年がはじまるのだ。

新しい1年がはじまる前に、1年間の穢れを祓い、新しい1年を迎えるための準備をする行事でもある。

※あとで調べたら、行事がおわった翌日3月15日は、お釈迦様が入滅した日だった。

 

 

平安時代から続くこの行事は、江戸時代までこないに大きな松明ではなかったらしい。

江戸時代に見せ場をつくるために、松明が巨大化して現在のクライマックスとなったようだ。

これは、わたしのにわか知識で、自分なりに生活になじんだ解釈なので、間違いかもしれんが。

 

でも、はじめてこの行事に参加して、肌で感じたのは、そういうコトなのだ。

 

 

1200年一度も途絶えることなくつづくこの行事は、

コロナ禍も続けていていたが、一般公開は4年ぶりで、いろいろ行事内容と段取りが変わったのだそうだ。

そんな中で、世代交代もはじまっていて、

若い裸足の僧侶が、燃え盛る籠松明をひとりで担いで、長い階段をのぼるのだが、

「あっちぃ!ひぃーー!」と弱音をはく僧侶に、

付き添いのベテラン僧侶が「あともう少しや」とか、「がんばれ!」と声をかけながら誘導している姿があった。

 

 

東大寺の僧侶なんて天井人ぐらいに思っていたのだが、

下界の体育会系社会人とかわらない先輩後輩の姿がみえて、とても親しみを感じた。

僧侶といえど、人間なのだ。

籠松明をかつぐ大役をすごい競争率で得たのだろうが、熱いし、重いし、長いし、熱いし、重いしで大変なのだ。

その大変を乗り越えて、舞台にたどりついて、松明を派手にグルグルとまわして火の粉をひとりでもおおくの人にまき散らし、

勢いよく舞台を駆けて、参拝者の穢れを祓うのだ。

 

 

12日は11本の籠松明が舞うのだが、照明がすべて消えた二月堂の階段と舞台を舞う姿は圧巻だった。

電気がなかった江戸時代の市井の人と同じ景色をみたんじゃないだろうか。

とても美しいものを見れて、感動した。

「わたしの大好きな人、大切な人が、1年間幸せでありますように」と、本気でそう願ってしまった。

 

 

 

籠松明が終わり、お堂での五体投地の祈祷を扉越しにきき、

いったん駅付近で焼き鳥をつつく。

炭火で焼かれているのだが、お松明の日だから、どれもこれもガッツリ焼かれていて、ザ・炭だった笑。

 

 

そして24時半、

街灯がほとんどない真っ暗な道を歩いて、ふたたび二月堂へ。

 

杉の葉とヒノキ?の薪をくべながら、薪の炎を大きくふくらましながら、

ゆるゆるとお水取り行事がはじまった。

 

 

この行事、お松明とガラリとかわり、神道の行事だった。

舞台の下から聞こえるのは雅楽で、笙の音と、太鼓の音が真っ暗な空に響き渡っていた。

お堂の下にある閼伽井神社の井戸から水をくみ上げ、お堂におさめて清める儀式。

 

 

こちらも松明をもって階段を照らす人、水桶を担ぐ人が若い人たちで、

指導役の人が、躊躇する若者たちを的確に、厳しく指導してた。

ほぼぶっつけ本番で、しかも大雨あとで、階段が塗れていて、腰がひけてる姿が印象的だった。

想像していた緊張感と緊迫感とは違い、これもまた親近感の湧く庶民の行事感があふれていた。

 

 

3往復して、あっけなく終了。

二月堂からホテルまでは徒歩30分。

カラダが芯まで冷え、大昔にわずらった腰痛がぶりかえしそうなほど痛む。

ま、二月堂までの階段を3往復はしてるから、筋肉痛にもなったし。

ホテルにもどったのは27時。

 

しかし、めちゃくちゃ感動する体験だった。

 

 

▼近鉄奈良駅から担いで松明を奉納。あいにくのどしゃ降り。

 メディア関係者が「傘がじゃまで松明とれんなー」って困ってた 笑。

 仁王門をくぐって、二月堂へ。

 

 

▼仁王像の足フェチなもんで

 

 

▼朝のライトアップでかっちょいい

 

 

 

▼ご縁をいただいた会。ずっと場違い感が拭えなかったが、

 そこは厚かましさで乗り切った。

 

 

 

▼二月堂からみた朝の、雨の日の、生駒方面。靄、久しぶり。

 

 

 

▼リボンのおかげでものすごくいい場所を確保

 

 

時間になると日本語、英語、中国語のアナウンスがながれ、すべての照明が消えて、

階段したから炎があらわれ、担ぎ手の練行衆が自戒のような言葉を大きな声で張り上げ、大きな松明を担いで階段を駆け上がる。これこそライブ感があって、めちゃくちゃワクワクする。高揚感が。参拝者からも歓声が。

 

 

▼厚かましい柳藤のおかげで階段横のベストポジションを確保。大きな火の玉が僧侶の「ひぃーー!」という声と共に、階段をかけあがる。僧侶一人でかつぐこの籠松明は、12日に限り長さ8m、重さ70kg!いやぁ、大役やな。

 

 

 

▼二月堂の舞台についたら、一息ついて

 

 

 

▼火の粉を散らしながら松明を派手にグルグルまわして

 

 

▼舞台を一気に駆ける火の玉。花火をみているような、圧倒的な美しさだった。

 

 

 

▼みんな魅入る

 

 

▼火の粉が飛ぶことはないが、ヒノキが燃えるいい香りが広がっていた。

 

 

 

▼右端でもはでにグルグル。一般参拝の人にも火の粉をグルグル。そしてみなが近くで見れるように立ち止まらせず、順番に帰り道に促していたようで、将棋倒し寸前の混雑ぶりと、押し合いぶりがあった。つくづくリボンいただけて感謝。

 

 

 

 

▼役目を終えた松明。

 

 

 

▼ゆるゆると始まった25時半~のお水取り

 

 

 

▼松明の灯りをたよりに、雨に濡れた階段を3往復。

 

 

 

▼閼伽井の井戸から汲んだ水をお堂に運ぶこの行事は、若狭の遠敷明神の遅刻のお詫びが発祥。失敗のお詫びが、1200年続く行事になるとは驚きやろうな。むかしの日本人って、おもろい。

 

 

 

▼ゆるゆるとはじまった行事は、なにの合図もなく終わった。

お坊さんの行を、見学させてもらっている感が、たまらなくおもしろかった。

 

 

 

▼冷えと疲れでカラダがカチコチで、早々にチェックアウトして、

あさの11時から一人焼肉+焼酎お湯割りで締めましたとさ。